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THE SOUND OF MUSIC (サウンド・オブ・ミュージック) |
解説&ストーリー
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20世紀フォックス映画『サウンド・オブ・ミュージック』のアメリカでの興行成績は、1939年に製作され数回にわたるリバイバル上映で大いに稼いだ不滅の大作『風と共に去りぬ』の30年近いヒットの数字も寄せつけなかった大記録をわずか一年半で記録を更新した。 年度別でなく、過去のすべてのヒット作品の記録を追い抜いて『サンド・オブ・ミュージック』が第一位になり、その後、『風と共に去りぬ』は70ミリ・プリントに焼き直され世界一斉に公開により再び肉迫したが、1970年度初頭の「ヴァラエティ」の記事によると、下記の順位であった。 『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)7,200万ドル 『風と共に去りぬ』(1939)7,110万ドル 『メリー・ボビンズ』(1964 第7位)3,100万ドル 『マイ・フェア・レディ』(1964 第8位)3,000万ドル 『ウエスト・サイド物語』(1961第12位)2,500万ドル 『南太平洋』(1958第25位)1,750万ドル
映画『サウンド・オブ・ミュージック』の原作は、ブロードウェイ舞台のミュージカルで、舞台が基になっているのはドイツ映画で、そのドイツ映画は実話に基づいていたが、1926年、オーストリアのザルツブルクで、7人の子供のいるフォン・トラップ海軍大佐のところへ家庭教師として修道院から派遣されたマリア・アウグスタ・クチェラは、翌年、大佐と結婚し、一家は合唱団として活躍を始める。 1938年、一家は、ナチス・ドイツに併合されたオーストリアを去り、ヨーロッパ各国を経て1942年にアメリカに渡った。トラップ・ファミリー合唱団はここでも大人気を博し、1949年にマリアは、自伝「トラップ・ファミリー物語」を出版した。
1956年、一家がさよなら"コンサート"を行った年、彼らを題材にして西ドイツで作られた映画が『菩提樹』(Die Trapp−Familie、監督:ヴオルフガンク・リーベンアイナー、主演:ルート・ロイヴエリック)で、映画は大好評であった。1958年にはオーストリアを出国後の一家を描く『続・菩提樹』(DieTrapp−Fami[ieinAmerika、監督・主演、前作と同じ)も作られた。これを舞台のミュージカルにしようと企画したのは演出家ヴィンセント・ドナヒューと女優のメリー・マーティンで、2人の意向を受けて、ハワード・リンゼイとラッセル・クラウスが『菩提樹』を基に台本を書き、リチャード・ロジャーとオスカー・ハマースタインIl世が作曲・作詞を行った。 ![]() ロジャース&ハマースタインのコンビの作品にはそれまで『オクラホマ!』(1943年初演)、『回転木馬』(1945年初演)、『アレグロ』((1947年初演)、『南太平洋』(1949初演)、『王様と私」(1951年初演)、「私とジュリエット」(1953年初演)、『パイプ・ドーム』(1955年初演)、『フラワー・ドラムソング」(1958年初演)、という8つの作があり、中でも『オクラホマ!」は2248回、『南太平洋』はl925回、『王様と私』は1246回の公演記録を持つ大ヒット作品であり、『回転木馬』と『フラワー・ドムソング』もそれぞれ890回、600回上演されたヒット作であった。このブロドウェイのヒット・メイカーとして知られるコンビの9番目の作品となったの『サウンド・オブ・ミュージック』である。 ![]() 1959年11月16日、メリー・マーティンの主演によりニューヨークのブロードウェイ、ラントフォンテーン劇場で幕を開けた『サウンド・オブ・ミュージック』は1963年6月15日まで1443回のロング・ランとなり、大成功を納めた。残念なことに公演中の1960年8月にハマースタインUが亡くなったため(享年65歳)、『サウンド・オブ・ミュージック』はコンビの最後の作品となった。 20世紀フォックスはこのコンビのヒット・ミュージカルを、それまでに4作品映画化していたが、1955年『オクラホマ!』、1956年『回転木馬』、1956年『王様と私』、1958年『南太平洋』、また『フラワー・ドラムソング』は、1961年にユニヴアーサルで映画化され、当然、『サウンド・オブ・ミュージック』にも興味を示し、1960年5月に映画化権を獲得した。これを映画用に脚色したのは、『麗しのサブリナ』(1954)、『傷だらけの栄光』(1956)『北北西に進路を取れ』(1959)の名シナリオ・ライター、アーネスト・リーマンで、彼は既に『王様と私』(1956)、『ウエスト・サイド物語』(1960)でミュージカルの経験があった。 ![]() 映画化に際しては3曲が削られ、2曲が新たに加えられた。男爵夫人とマックスが歌わない役となったため、彼らの歌2曲(「愛はどう生き延びられるか」「止める術なし」)が、マリアと大佐の愛の歌「ありふれたカップル」と共に外された。 ハースタインUがいないため、ロジャースが作詞も行った2曲の新曲は「自信を持って」と「何か良いこと」(「ありふれたカップル」の代わり)である。また歌が歌われる場面及び歌う人物も映画では若干変更されている。 監督は最初、『我等の生涯の最良の年』(1946)、『ローマの休日』(1953)の巨匠ウイリアム・ウイラーが予定されていたが、スケジュールが合わず、『罠』(1949)、『傷らけの栄光』(1956)等のシャープな感覚で知られ、『ウエスト・サイド物語』(1960)という大ヒットを飛ばしたばかりのロバート・ワイズに交替した。 主演のマリアには、年齢的に映画でマリアを演じるのは難しいメリー・マーティンに代わり、ドリス・デイ、オードリー・ヘプバーン、ロミー・シュナイター、デポラ・カー等が候補に上ったが、最終的には、舞台の『マイ・フェア・レディ』(の主演で知られていたイギリスの女優ジュリー・アンドリュースに決まった。この時点では彼女の映画デビュー作『メリー・ボビンズ』(1964)はまだ公開されていなかったが、彼女は当時29才であった。 ![]() トラップ大佐にはカナダ出身のクリストファー・プラマー(『女優志願』1958、『ローマ帝国の滅亡』1964)、男爵夫人にはエリノア・パーカー(『黒い絨毯』1954、『黄金の腕』1955)、大佐の友人マックスにリチャード・ヘイドン(『戦艦バウンティ号の叛乱』1962)、修院長にペギー・ウッド(『スタア誕生』1937)という実力派が配役された。 クリストファー・プラマーの歌はピル・リーが、ペギー・ウッドの歌はマージョリー・マッケイ吹き替えている。 また修道院長が悩むマリアに対して歌う「すべての山に登れ」は、この映画が日本で最初に公開された時、来日したワイズ監督の指示によりカットされたと言われているが、その後のリバイパル上映では残っている。7人の子供たちはオーディションで選ばれ、長男のニコラス・ハモンドと女のアンジェラ・カートライト、それに末っ子のキム・カラスには映画やテレビ出演した経験があったが、他の4人は、次女のヘザー・メンジーズがバレー学の生徒、残りの3人がモデルで、演技はまったくの素人であった。 1964年3月26日にハリウッドで開始された撮影は、途中、4月下旬から約1月、屋外の風景撮影はすべて舞台となったオーストリア・ザルツブルグの街とその近郊の山々で行われ、修道院のシーンは、マリア本人が過ごしたノンベルク修道院で撮影されたが、内部の撮影許可は下りなかったためセットを使った。「自信を持って」撮影中に物語の主人公マリア・フォン・トラップ夫人本人が撮影を見学にやってきたので急遽、彼女がエキストラとして一瞬だけ画面を横切るシーンが追加されたほか、フォン・トラップ邸は2ヶ所で撮影され表玄関のシーンと裏の湖のシーンはそれぞれ別にロケされている。 撮影で苦労したのがドイツによるオーストリア併合のシーンで、ナチスに対して反感を持つザルツブルグではハーケンクロイツ(鉤十字)を掲げる事すら出来ず、皮肉にもナチス派の人の協力で可能となったそうだ。エンディングの山越えシーンはバイエルン近郊で撮影、ヒトラーの別荘が近くにあった所で、実際の撮影では家族全員はドイツ領に向かって歩いていたが、撮影は現地ロケを挟んで、8月21日に終了した。 ![]() この映画は、トッドAO方式による65ミリのネガを使う、本物の70ミリ映画で、横長の大スクリーンを生かした本来の構図は今回のこのワイドスクリー版で初めて家庭のテレビ画面でも見ることが出来るようになった。 撮影は『黄金』(1948)、『エデンの東』(1955)の名カメラマン、テッド・マッコードである。ポスト・プロダクションに約5カ月をかけ、1965年1月に完成。1月15日、ミネタ州ミネアポリスでの試写を皮切りに何回かの試写を経て、1965年3月2日、ニューヨークのリヴォリ劇場でプレミア上映。続いて全米でロードショー公開された『サウンド・オブ・ミュージック』は、大ヒットとなり、1966年には史上最高ヒット作となった。 日本でも同年6月26日に公開され、アメリカと同様、大ヒットとなった。 1965年度のアカデミー賞では、作品賞、主演女優賞、助演女優賞(ペギー・ウッド)、監督賞、カラー撮影賞、カラー美術・装置賞、編集賞、編曲賞、衣裳デザイン賞の10部門でノミネートされ、作品賞、監督賞(ロバート・ワイズ)、音響賞(ジェームス・P・コーカラン)、編集賞(ウィリアム・レイノルズ)、編曲賞受賞(アーウィン・コスタル)の5部門で受賞した。 (アメリカ映画 20世紀フォックス color TODD-AO 70mm(1*2.2) 176 min.)
ある日、マリアが家庭教師として訪れたトラップ家は、厳格な父親と父親に反発している悪戯好きな子供たちで、マリアは子どもたちと仲良くしようと努力するのだが生まれ育った環境の違う彼女にとってすべてが初めての経験であった。ある激しい嵐の夜、怖がる子供たちに歌を歌って共に過ごし彼女は新しい家族として迎えられるようになり、 気立てが良く音楽好きのマリアは、子供たちを母親のように話をし、子供たちもすっかりなつくようになった。
やがて、トラップ家に戻ったが、トラップ大佐もマリアへの感謝の気持が愛情にかわり、結婚を申し込み、懐かしの修道院で華やかな式を挙げ、正式に子供たちの母親になる。 トラップ家に再び明るい幸せが訪れたのも束の間、ナチスのオーストリア合併工作進み、ナチス・ドイツはトラップ大佐に召集令状を突きつけてきたが、祖国オーストリアを愛する大佐は、その命令を拒否したために身の危険が迫ってきたので亡命を決意する。マリアの機転で一家揃って民謡音楽際に出演し、会場から秘かに国境に向い、スイスに逃れるのである。
しばらくして渡米したが「トラップ・ファミリー・シンガーズ」合唱団は、アメリカでも知名度もあって興業主の誘いで全米ツアーを実施し各地を回った。だが、ビザが切れ出国を余儀なく、ヨーロッパでコンサート・ツアーをする事になったが、ツアー中にドイツがポーランド侵攻し第二次世界大戦が勃発したために再びアメリカに戻ることになった。 アメリカで最初に住んだのはペンシルベニア州フィアラデルフィアの近くで、ここは、オーストリアに比べ夏が暑かった。1942年に知人からストウを勧められたが、バーモント州は自然豊かでストウ周辺に迫る山々や広大な緑の牧場は故郷を思い起こさせた。
その後、ロッジの経営をはじめ、1956にはシンガーズの活動は停止した。1980年に火事でロッジが全焼したが、再建し現在は93室になっている。 映画のあの歌を歌って!と、よく言われるが映画は、ロジャースとハマーステインUの創作歌曲で、「トラップ・ファミリー・シンガーズ」合唱団が歌ったのはモーツアルトやバッハなどのクラシックや民族音楽なので「ドレミの歌」や「サウンド・オブ・ミュージック」のリクエストがあると閉口したと言う。
キャスト(役名) ジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)(Maria) クリストファー・プラマー(Christopher Plummer)(Captain Von Trapp) エレノア・パーカー(Eleanor Parker)(The Baroness) リチャード・ヘイドン(Richard Haydn )(Max Detweiler) ペギー・ウッド(Peggy Wood )(Mother Abbess) シャーミアン・カー(Charmian Carr)(Liesl) ヘザー・メンジース(Heather Menzies)(Louisa) ニコラス・ハモンド(Nicholas Hammond )(Friedrich) デュアン・チェイス(Duane Chasa)(Kurt) アンジェラ・カートライト(Angela Cartwright)(Brigitta) デビー・ターナー(Debbie Turner)(Marta) キム・カラス(Kym Karath)(Gretl) アンナ・リー(Anna Lee)(Sister Margaretta) ポーシャ・ネルソン(Portia Nelson)(Sister Berthe) マーニ・ニクソン(Marni Nixon)(Sister Sophia) エバドン・ベーカー(Evadne Baker)(Sister Bernice) ベン・ライト(Ben Wright)(Herr Zeller) ダニエル・ツーヒッテ(Daniel Truhitte )(Rolfe) スタッフ 製作・監督:ロバート・ワイズ(Robert Wise) アソシエト・プロデュサー:ソール・チャップリン(Saul Caplin) 原作:ハワード・リンセイ(Howard Lindsay)、ラッセル・クロース(Russel Crouse) 脚本:アーネスト・リーマン(Ernest Lehman) 作曲:リチャード・ロジャース( Richard Rodgers ) 作詞:オスカー・ハマースタイン2世 (Oscar Hammerstein II) 編曲:アーウィン・コスタル(Irwin Kostal) 撮影:テッド・マッコード(Ted McCord )
ロバート・ワイズ (Robert Wise) 監督作品
"Robert Wise" Web site "Somebody up there likes Me"(1956)
クリストファー・プラマー (Christopher Plummer) 出演作品
"Christopher Plummer" Website "Battle of Britain"(1969) - Opening
エレノア・パーカー (Eleanor Parker) 出演作品
"Eleanor Parker" Website
リチャード・ヘイドン(Richard Haydn) 出演作品
"Richard Haydn" Website
ペギー・ウッド (Peggy Wood) 出演作品
"Peggy Wood" Website |
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ジュリー・アンドリュースは、イギリスのサリー州で生まれ、ヴォードヴィル芸人だった母親と義理の父親により才能を見出され、義父のレッスンを受けながら、1947年 ロンドンのウエスト・エンドで子役でデビューした。1954年、19歳の時にアメリカへ渡り、ミュージカル『ボーイ・フレンド』のポリー役でブロードウェイ・デビューした後、『マイ・フェア・レディ』のイライザ役で一躍脚光を浴び、その後『キャメロット』等ミュージカル女優として、ブロードウェイや、ウエスト・エンドで活躍した。
ジュリー・アンドリュース出演作品