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■スペーサー
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シネラマ(CINERAMA)


シネラマの起源については、1939年のニューヨーク世界博覧会に登場した「ヴァイタラマ」と云われている。これは11個のレンズで撮影し、11台の映写機で湾曲したスクリーンに映写する方式でフレッド・ウォーラーが発明したシステムである。やがて、第二次世界大戦が始まるとアメリカ陸軍航空隊の射撃訓練用のシュミレーション装置「ガナリー・トレーナー」に応用されたが、これは5つのレンズで撮影し、5台の映写機で上映するものであった。当時は、このシステムを商業映画に応用し、導入することは困難と思われていたが、戦後台頭するテレビに対し、大きなスクリーンで対抗しようとした映画界は、このシステムを改めて注目したのであった。

"Vitarama camera"&"
Cinerama Camera"

1952年9月30日、ニューヨークのブロードウェイ劇場で史上初の「シネラマ」作品『これがシネラマだ』(This Is Cinerama)が公開されると、これによって、大型映画の時代が幕を開けた。通常の人間の視野は左右160度、上下60度と言われているが、これに近い146度と55度の視野をカバーするため、開発者のフレッド・ウォーラーは、3つの広角レンズ(焦点距離27mm)を装備し、3本の35mmフィルムで3画面を同時撮影する「シネラマ・カメラ」を考案した。

カメラの後ろから見て、交差している左のレンズは右側の領域を撮影し、右のレンズは左側の領域を撮影する構造になっていて、中央のレンズは真正面の部分をカメラに収めてある。左右のレンズは中央のレンズに対して、それぞれ48度の角度に配置され、各レンズの左右方向の角度は50度、2箇所の継ぎ目のオーバーラップ部分はそれぞれ2度となっており、3本で146度の写角が得られる。ひとつの回転シャッターが3本レンズの前(光軸の交差点)にあって、それぞれのフィルムを同時に感光させ、絞りや焦点の調整も3つのレンズが完璧に連動するようになっている。言わば、改造した3台の通常スタジオ用35mmカメラをそれぞれ48度の角度を付け固定し、ひとつにまとめて1台の特殊大型カメラを作ったようなもので、カメラは約68sの重量にもなった。

Reconstructing
"The Best of Cinerama"

Reconstructing "The Best of Cinerama" by David Strohmaier and Cinerama Inc, 2016. Copyright 2016, Cinerama, Inc.(2016/07/04)
フィルム送り速度は、通常の35mmの24コマ/秒より早い26コマ/秒となっており、3本とも完全に同調させて垂直走行させ、各フィルムの1コマは6パーフォレーション(送り穴、片側の数で表記)となっており、通常35mmフィルムの4パーフォレーションより面積が広くなっている。
劇場では左、中央、右の映写機から焦点深度の深いレンズを装備した3台の映写機をセルシン・モーター(Selsyn Motor)<シンクロモーター>により電気的に連動させて3つの映像を同期させ、撮影時と同じ26コマ/秒の速度で映写を行う。それと同時に別室で、ステレオ・サウンド6本+コントロール・トラック1本が記録された全面磁気コーティングの35mmフィルムをスクリーン映像に同期させて立体音響を再生するものであった。

標準サイズ26×75フィート/約8×23m(縦横比1×2.88)のスクリーンは、通常の材質で作ると、強湾曲のために光線が乱反射して、映写に悪影響を及ぼすことから、そこで幅0.875インチ(約22mm)ほどの穿孔プラスチック・テープを1100本張った特殊なものが採用された。それは、テープとテープは日除けの鎧戸のような角度になっており、反射光は隣のテープの裏側に当たって消される仕組みとなっている。またスクリーン上の継ぎ目を目立たなくするため、継ぎ目のフレーム・ラインに沿って櫛状の鉄製を素早く上下に運動させて画の線をボカす装置「ジゴロ」が取り付けられている。

シネラマは、撮影ばかりでなく上映も大掛かりなもので、同一場面の3画面を出来るだけ均一にするため、各映写機の光源の明るさをコントロールする必要が生じてくる事や、天地方向のフレームを3画面とも完全に合わせなくてはならなことなど、通常の映写に無い作業が必要であった。そのため、映写技師3名と音響調整技師1名に加えて、画面調整技師1名が必要とされ、実際は、これに助手が加わるので技師団の人数は数十名になったと言われている。大型映画開発に重要な役割を果たしたマイケル・トッドが映画でなくイベントとして扱ったシネラマの第1作は、『これがシネラマだ』(This Is Cinerama)(1952)であったが、この作品は当時、全世界で17館の劇場で、このうち日本では東京の帝国劇場と大阪のOS劇場でしか公開されなかった。

Tearing down the silver screen
for the 146 degree Cinerama Curve!








シネラマ映画リスト
(CINERAMA MOVIE LIST)

シネラマ(Cinerama)映画方式
(35mm×3本、フィルム送り速度26コマ/秒)


『これがシネラマだ』(This Is Cinerama) (1952) アメリカ映画 シネラマ社
(アメリカ公開1952.9.30/日本公開1955.1.5)120分+休憩

『シネラマ・ホリデー』(Cinerama Holiday) (1955) アメリカ映画 シネラマ社
(アメリカ公開1955.2.9/日本公開1955.12.21)120分

『世界の七不思議』(Seven Wonders of the World) (1956) アメリカ映画 スタンリー・ワーナー社
(アメリカ公開1956.4.10/日本公開1957.3.15)128分+序曲・休憩・終曲を含む

『世界の楽園』(Search for Paradise)(1957)アメリカ映画 シネラマ社
(アメリカ公開1957.9.25/日本公開1958.6.1)104分+序曲・休憩・終曲を含む

『大西洋二万哩』(Windjammer)アメリカ映画 ナシヨナル・シアターズ+シネミラクル
(アメリカ公開1958.4.10/日本公開1962.4.29)142分+序曲・休憩・終曲を含む

『南海の冒険』(South Seas Adventure) (1958) アメリカ映画 シネラマ社
(アメリカ公開1958.7.16/日本公開1959.4.25)120分+序曲・休憩・終曲を含む


THIS IS CINERAMA - Blu-ray
This is Cinerama! (1952) "Trailer"
シネラマ『これがシネラマだ』

"THIS IS CINERAMA"(1952)『これがシネラマだ』(日本公開1955年1月5日)が、60周年を記念して2012年10月にブルーレイ(Blu-ray/Import)でリリースされた。この作品は、初めてシネラマ方式で製作され、上映された記念すべき第一作目であり、シネラマとは、どんなものであったのかなどを知る上でも貴重な作品である。


本作は、オリジナル映像を精緻に修復され、色彩はカラフルで美しく、しかも画質が鮮明。それにサウンド・トラック音源がすこぶる素晴らしい。シネラマ・スクリーンを再現したカーブド・スクリーンのスマイルボックス(Smilebox)版で収録されいる。フレッド・ウォーラーのラジオ・インタビューやビハインド・シーンのスライドショウ等や、オハイオ州デイトンのネオン・シネラマ劇場やコロラド州のクーパー・シネラマ劇場などのトリビュート映像なども収録され当時のシネラマ上映などの貴重なボーナス映像が付加され、大変興味深いものがある。


『これがシネラマだ』(This Is Cinerama)(1952)は、2002年に「文化的、歴史的、芸術的」に重要と考えられアメリカ国立フィルム登録簿(National Film Registry)に保存されました。(アメリカ国立フィルム保存委員会(United States National Film Preservation Board)は、アメリカ議会図書館に永久保存するフィルムを選択、保存するアメリカ合衆国の制度。)(ご参考)

(In 2002, this film was selected for preservation in the United States National Film Registry as being deemed "culturally, historically, or aesthetically significant." )


Product Description On the evening of September 30, 1952, the shape and sound of movies changed forever with the introduction of Cinerama. This unique widescreen process was launched when television was deemed a major threat to US film exhibition. Fred Waller, Cinerama's creator, had indeed labored that long on his dream of a motion picture experience that would recreate the full range of human vision.

It used three cameras and three projectors on a curved screen 146→ deep. In celebration of the 60th Anniversary of its premiere, Flicker Alley is proud to present This Is Cinerama, exactly as seen by over 20,000,000 viewers in its original roadshow version. You will travel around the world with Cinerama, from Venice to Madrid, from Edinburgh Castle to the La Scala opera house in Milan, and concluding with a flight across America in the nose of a B-25 bomber. (from Amazon)



Cinerama Holiday Remaster "Trailer 2013"
『シネラマ・ホリデー』

"CINERAMA HOLIDAY"(1955)(2013 Cinerama Inc. & Fliker Ally LLC / DVD publication.(SmileBox.129 min.)

本作は、2013年にシネラマ社&フリッカー・アレーからリリースされたもので、オリジナル映像が精緻に修復されている。シネラマ・スクリーンを再現したカーブド・スクリーンのスマイルボックス(Smilebox)版(Blu-ray)とDVD版の2種類が収録されている。若い2組のカップルがラス・ヴェガス、サンフランシスコ、ニュー・ハンプシャー、ニュー・オリンズ、スイス、パリなど世界の名所を冒険旅行するもので、最もスリリングなシーンは、スイス、モリッツでのボブスレー、まさしく、総毛立つ(Hair raising)シーンである。また、ジャズが誕生したニュー・オリンズでの黒人演奏家たちのライブは、当時の活気ある雰囲気がリアルに伝わってくる。パリの夜では「オペラ座」や「リド」のレヴューなどは実に楽しめる内容となっている。


ボーナス映像には、11項目の詳細な情報があり、音声は、DVDとBlu-ray版が収録されている。ドルビー・デジタル2.0 & 5.1 STS-HD のディスクとなっている説明があり、特に1080pへのフィルムの復元に関する項目には興味が持たれる。驚異的なイメージ・スクラップ・ブックや多くのデモンストレーションそれに当時の出演者たちのインタビューなども興味深いのもがある。

"CINERAMA Restoration of CINERAMA HOLIDAY"
Editorial Reviews
Cinerama Holiday was the second of the original, 3-panel Cinerama travelogues. Released in 1955, the film crisscrosses the vacations of two adventurous, real-life married couples, with stops in St. Moritz, San Francisco, New Orleans, and Paris.

Special Features
Bonus Features of this set will include the original CINERAMA HOLIDAY breakdown reel, new interviews with original participants, original 8 mm home movies, a demonstration and comparison of the film’s restoration, an amazing scrapbook of images made during production, a booklet reproduction of an original program, and much more!



Cinerama "Seven Wonders of the World" (1955)
シネラマ『世界の七不思議』






Trailer for Cinerama's
"Search For Paradise" Remastered 2013

シネラマ『世界の楽園』

See more details about remastering Cinerama on www.in 70mm.com






1958 Cinemiracle "Windjammer:
The Voyage of the Christian Radich" Trailer

シネラマ『大西洋二万哩』

This is the promotional trailer for the 1958 spectacular "Windjammer: The Voyage of the Christian Radich", the first movie presentation in CINEMIRACLE. Cinemiracle was a widescreen cinema format competing with Cinerama developed in the 1950s. It was ultimately unsuccessful, with only a single film produced and released in the format. Like Cinerama it used 3 cameras to capture a 2.59:1 image. Cinemiracle used two mirrors to give the left and right cameras the same optical center as the middle camera.

This movie was a documentary film of a training cruise of the full-rigged S/S Christian Radich from Oslo across the Atlantic, through the Caribbean, to New York and back home again. "Windjammer" was produced by Louis De Rochemont and directed by his son Louis De Rochemont III. The world premiere of both Windjammer and the Cinemiracle system was at Grauman's Chinese Theatre in Hollywood on 8 April 1958. The film ran for 36 weeks. Windjammer was later transferred to the Cinerama format, and even to Cinemascope.The crew consisted of the captain Yngvar Kjelstrup, 16 officers, 42 teenage cadets and the mascot dog Stump. They traveled 17, 500 miles.This is truly one of my favorite movies since I was a child. I grew up listening to the soundtrack of this movie and this had a great deal to do with my love for sea shanties, ships and the ocean.(2009/08/20Youtube)






Cinerama South Seas Adventure Trailer
(New 2013 Version)

シネラマ『南海の冒険』







Brian Trenchard-Smith on“This Is Cinerama(ブライアン・スミスの「これがシネラマだ」)(英文)
Cinerama Adventure Home Page (シネラマ・アドベンチャー)(英文)
Internet Encyclopedia of Cinematographers Home Page(シネラマ・ エンサイクロペデア)(英文)
Aspect Ratios Home Page (アスペクト・レシオ)(英文)
Travel Log of "Seven Wonders of the World (世界の七不思議)(英文)
Cinerama History (シネラマ・ヒストリー)(英文)



Cinerama Dome (Los Angeles, USA)
Celebrates Cinerama's 60th



スーパーシネラマ
(SUPER CINERAMA)

シネラマ社は1960年に買収したシネミラクル社の技術も導入しシネラマを改良した新方式の「スーパーシネラマ」を開発し、35mmフィルム3本による撮影及び映写を行う「スーパーシネラマ」は、撮影レンズやカメラの基本構造、原理からフィルムの規格に至るまで「シネラマ」と同じであるが、カメラと映写機のフィルム送り速度が26コマ/秒から24コマ/秒に変更され、通常の35mm映画や70mm(トッドAO初期作品を除く)と同様となった。

また、全面磁気コーティング35mmフィルムのサウンド・トラックによるシネラマの音響は、既に6チャンネルからサラウンドが1チャンネル増え7チャンネル(スクリーン背後に5チャンネル+劇場内左右それぞれ1つのサラウンド2チャンネル)+コントロール・トラック1チャンネルに改良されていたが、これは、「スーパーシネラマ」にそのまま採用された。



シネラマ投射3タイプ


図a=3つの広角レンズ(焦点距離27mm)を装備した3本の35mmフィルムで3画面を同時撮影する「シネラマ・カメラ」で撮影された映像を投射するシステム。
図b=従来の3つの映写室を「シネミラクル」映写方式を取り入れて一室に集め投射するシステム。
図c=これは、1本の70mmプリントを1台の映写機でシネラマ・スクリーンに映写する方法で、これも同じ名前の「スーパーシネラマ」と名付けられ、同じ名称となり紛らわしくなった。)

これで、3パネルの「純正シネラマ」時代は、長編ではトラベローグ(観光映像)6本、劇映画2本が製作されただけで終焉した。



「シネミラクル」映写方式を取り入れて映写機を一室に集められた方式




サラウンド用スピーカーは、劇場内に14〜16個設置され、スーパーシネラマの導入と共に劇場も改造され、それまであった舞台が取り除かれ、傾斜した床から直接続くようになったスクリーンは、左右ともに壁面近くまで広げられ以前より大きくなった。湾曲スクリーンも146度の規格だけでなく120度のものも加えられ、そして、従来の3つの映写室と映写コントロール室、サウンドコントロール室が「シネミラクル」映写方式を取り入れて一室に集められ、ただし、「シネラマ」と同様の三室映写用「スーパーシネラマ」映写機も製造されていたので、以前のように三室からの映写も可能であった。「スーパーシネラマ」の第1作は『不思議な世界の物語』(The Wonderful World of the Brothers Grimm) (1962)で、2作目となった『西部開拓史』(How the West Was Won) (1962) が、この35mmフィルム3本同時撮影、及び3本同調映写方式の最後の作品となった。本作品の後、1本の70mmプリントを1台の映写機でシネラマ・スクリーンに映写する、紛らわしい同じ名前の「スーパーシネラマ」が登場し、3パネルの純正シネラマは時代は、長編ではトラベローグ(観光映像)6本、劇映画2本が製作されただけで終了した。

シネラマ・スクリーンの大画面から継ぎ目が消えた1本式70mm「スーパーシネラマ」の第1作は『おかしなおかしなおかしな世界』(It's a Mad Mad Mad Mad World) (1963)だが、撮影には1本65mmのネガをを使用する「ウルトラパナビジョン70」方式(左右方向を圧縮比1.25:1で圧縮して撮影)が採用され、特殊な映写用シネラマ・レンズで上映された。その結果、撮影が3本撮りの制約から解放され、様々な焦点距離のレンズが選択可能となり地平線や水平線を歪まない状態で映し出せるようになり、また、不自然な遠近感も無くなって大胆な顔のクローズアップなど、他の70mm方式と同様な演出も初めて可能となった。以後、「スーパーシネラマ」は、1本のシネラマ用70mmプリントをシネラマ・スクリーンに映写する上映方式の名称となり、このことから「スーパーシネラマ」という正式名称で、下記のように完全に異なった2種類の規格が存在している。

◎ 3本の35mmフィルムと1本の磁気フィルム(7チャンネル・ステレオ・サウンドラック専用)を同調映写。
◎ 70mmフィルム(6チャンネル・ステレオ磁気サウンド・トラック付き)

35mm3本方式「スーパーシネラマ」の3面全体の映写(アパーチュア)画面構成比は1×2.66だが、これは各画面の継ぎ目のオーバーラップ部分を考慮し、映写機アパーチュア(フレームを決定する矩形の小窓)を使用して、水平となる0度の映写角度により、カットマスク(スクリーンの縁を区切る黒幕)無しの状態で平面スクリーンに投影した場合の数値である。「スーパーシネラマ」のスクリーンは、劇場の条件によって若干大きさが異なっており、35×90フィート(縦横比1×2.75)〜32.5×94フィート(縦横比1×2.89)となっている。それに従って、映される映像の画面比率は1×2.6〜2.8となる。(下記画像はシネラマ・スクリーンの一例である)

Cinerama Screen
"Inside the Cinerama"


スーパーシネラマ映画リスト
(SUPER CINERAMA MOVIE LIST)

スーパーシネラマ(Super Cinerama)映画方式(旧式)
(35mm×3本、フィルム送り速度24コマ/秒)


『不思議な世界の物語』(The Wonderful World of the Brothers Grimm) (1962)
アメリカ映画 MGM+シネラマ社 (アメリカ公開1962.8.7/日本公開1964.3.6)135分+序曲・休憩・終曲を含む(ビデオソフトLD既発売)

『西部開拓史』(How the West Was Won) (1962)
アメリカ映画 MGM+シネラマ社  (アメリカ公開1963.2.21/日本公開1963.11.25)162分+序曲・休憩・終曲を含む(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『ベスト・オブ・シネラマ』(The Best of Cinerama) (1963)
アメリカ映画 シネラマ社 (アメリカ公開1963.11.21/日本未公開)26コマ 142分+序曲・休憩・終曲を含む(本作はこれまでのシネラマ作品のハイライト集)



<スーパーシネラマ映画>
「不思議な世界の物語」の撮影について

(Photography of "The Wonderful World of the Brothers Grimm")

3本のフィルムを並列映写するシネラマ最初の劇映画となった『不思議な世界の物語』の撮影監督ポール・C・ヴォーゲルは、まず第一に苦心したのが、他の大型スクリーン映画にはないシネラマ特有の欠点と言われている3本並列映写に画面の継ぎ目をいかに目立たないようにすることにあった。

そこで、継ぎ目の部分に構造物の柱や樹木などの線が写るように、また影が来るように構図を設定したり、ライティングの際にその部分が影となるように配光をした。こうすることによって、継ぎ目を目立たないようにすることが出来たが、併し、これ以上に困難な問題がこの方式には生じた。たとえば、2人の俳優をスクリーン左右両端に配置して向かい合っている場面を真横からこの3本のレンズ付き特殊カメラで撮影したとすると、このカメラでは、3本のレンズが並行して全部真正面に向いてないので、左右2本のそれぞれのレンズに対して人物は2人とも斜め横向きになってしまう。

この結果、シネラマ・スクリーンに映し出された2人の俳優は、お互いに違う方向を見ていて向かい合っているようには見えないものになり、そこで、この2人は顔を合わせるのでなく、あえて画面の奥の方向へ向く姿勢をとらなくてはならなくなる。3本シネラマの撮影では、このような特殊な状況を考えて、人物の位置や目線の方向を設定することが必要となり、そして、人物が各画面の継ぎ目を横断する場面では、正確に焦点が合ってないと、隣の画像へ入ると同時に人物像の一部が、前にいた画面の端に再び出現してしまい二重像となってしまう。

The Wonderful World of the Brothers Grimm Cinerama
"Poster"

(焦点が被写体がより前に合っている場合)また、隣の画像へ入った瞬間、前の画面から部分的に人物が消えるようなことも起こる。(焦点が被写体より後に合っている場合)従って、精密なピント合わせが絶対に必要となってくるばかりか、人物の動きを正確に決めておかねばならない。人物が継ぎ目に所で立ち止って二等分されるようなことがあってはならないからである。

「シネラマ」及び「スーパーシネラマ」の特殊カメラは、それぞれ焦点距離27mmの広角レンズ3本を装備しており、そのために画面の奥行きが非常に誇張された映像になる。そこで、室内セットは大きく見えないようにするため、通常の映画よりも狭く作られた。広角レンズでは、背景の壁面が全部写ってしまうだけでなく、天井と床の大部分も写るため、セットの壁を極端に高いものにするか、もしくは通常の高さの壁に天井を全部付けるか、どちらかを選択しなくてはならない。そのような事から大分部のセットでは、天井を全部付ける方法で建設されたが、しかし、この場合、ライトをセット上方に設置出来ず、床に置くしかない。


それに加えて超広角の撮影となるため、カメラより後方にライトを設置する必要が生じてくるので被写体後方からの照明がまったく出来ない。そこで、フラット・ライティングを避けるために多くのライトを一方に集めて設置し、カメラ・ブリンプ(防音カバー)の上部に追加の押さえライトを付けることになった。

このような困難な状況下で、さらにヴォーゲルは天井の梁や家具、もしくは動かない俳優等の影にライトを隠したが、切り返しの場面のように撮影位置が変われば、当然ライトの位置も変えなくてはならない。そのため、通常の撮影と同様、移動の場面を先に撮影し、後でそれに合わせたライティングで関連した挿入カットを撮ることになった。それと反対に「踊るお姫様」のエピソードでは、馬車や小道具、そして動かない俳優の影に慎重にライトを隠して先に固定の場面を撮影し、カメラがセット全体を回って主人公たちを追う場面になると、ライトが写ってしまうので、大セット上下にライトを移した。

ヴォーゲルは、シネラマ・カメラを使った仕事は面白いが、特に室内撮影で照明に限界があるので、撮影方法は他の70mm方式よりも非常に難しいと言っている。シネラマが開発されてから、長い年月の間、劇映画が作られなかったのは、以上のように様々な撮影時の難題が出たため特に技術的制限が多すぎるからであったと思われる。


Three way conferencs ...Cinematographer Paul Vogal,Oroducer-director George Pal,and Cinerama vice-president Tom conroy line up a difficult shot while the Metro-Goldwin-Cinerama presentation of the George Pal production, "The Wonderful World of the Brothers Grim" locations in Bavaria.this page-Cinerama web site.

西ドイツでローケーションされた「踊るお姫様」の馬車の疾走シーンでは、木こりが馬車から飛び降りて坂を転がって行く場所があり、見た目の主観的な描写が出てくる。この場面は、特別に作った鉄製の大きな円形枠の中にバッテリーと共に取り付けられたカメラのスイッチを入れた後、これを無人の状態で斜面から転がり落として撮影したものである。この後、木こりが馬車追いかけて狭い橋を渡る場面があるが、この橋は1866年に架けられた最古の鉄橋で、一度に4人乗ると危険であると言われていた。ところが、重い「スーパーシネラマ・カメラ」に加えて、何回も10人〜12人のスタッフが一度に、この橋に乗ったために橋板が外れてしまい、スタッフは、これを奇禍(思いがけない災難に遭う)として木こりが谷間に落ちそうとなる場面を撮った。橋からロープでぶら下げられた大型カメラによって壮観なショットが撮影され、現実感溢れる名場面が出来上がった。


Here is an actual scene from the movie The Wonderful World of The Brothers Grimm in full 3-strip Cinerama. This comes from this page- Marty Hart's wonderful web site.

グリム兄弟が住んでいたカッセルは、第二次世界大戦で爆撃を受け、その後、復興されていたので昔の建物や道路はほとんど残っていなかった。そこで、伝説的な物語の大部分は、中世の面影を残すローテンブルグで撮影され、このローテンブルグでの丸石畳の道の移動撮影は、クレーンや移動車などを使う通常の手段では困難で、そこで移動撮影用の橋が考案され、事前にMGM撮影所にある丸石畳でテストが行われた。その結果が良好であったので、ロケ地となった西ドイツで同仕様の橋を製作し、これを撮影用に使用した。

この移動用橋は、録音時にノイズが入ってしまうためにモーターを使用することが出来なく、人力によって動かす以外に方法がなかった。併し、この橋を使った移動ショットは大成功し、振動も極めて少なく、上り下りもスムーズに移動撮影が可能となった。

人形アニメーションの撮影は「スーパーシネラマ」カメラの3本レンズのポジションをあらかじめ正確に設定しておいて、1台1本レンズ・カメラを移動させて、左、中央、右それぞれのポジションで、同一場面を1コマずつ撮影する方法で行われた。この後、人形を少し動かし、再び左から中央、右の順で撮影を行い、そして、この左、右、中央、右、左、中央、二義の画像が並ぶネガから3コマごとに抜き焼きして、それぞれのレンズの画像のフィルム3本を作成するもので、このような作業を行ったのは、コマ撮り用のカメラが2台しかなかったからと言われている。

本作品は、アメリカや日本では公開当時、正式な「スーパーシネラマ」の名称でなく、単に「シネラマ」の表記やロゴが宣伝されていた。


上記画像は、1997年、パイオニアLDCからリリースされた『不思議な世界の物語』のレーザー・ディスク、3面/135分で、帯には、名プロデューサー、パル(宇宙戦争)が描くファンタステックなグリム兄弟の世界。

35ミリ・フィルム3本を使うシネラマ劇映画第1作!と記載されている『不思議な世界の物語』は、「ババリアの森深くに展開する驚異と夢幻」「すばらしい冒険とスリル!さあ、おとぎの国へ!」というコピーで宣伝され、1964年3月6日から240日間、スーパーシネラマ劇場のテアトル東京(東京)とOS劇場(大阪)でロードショー公開された。

テアトル東京の興行成績は動員27万5221人、興行収入は1億1340万。一般公開は1965年8月21日から7日間、新宿スカラ座など8館で行われ、動員23433人、興行収入は641万だった。



 For more information "The Wonderful World of the Brothers Grimm" visit the IMDb



<スーパーシネラマ映画>
「西部開拓史」の製作経緯&新技術について

(Manufacturing process & new technology of "How the West Was Won")

アメリカのグラフ誌「ライフ」が1959年4月、3回にわたって連載した絵物語「西部はいかに勝ちとったか」は、国民的な話題を呼び、『ベン・ハー』(Ben-Hur)(1959)の完成記念パーティで、『ママの想い出』(I Remember Mama)(1948)に主演した名女優のアイリーン・ダンは、MGM撮影所長のソル・C・シーゲルに「ライフ」の絵物語を国民的な映画にしたらと持ち掛け、MGMはシネラマ社と合作する素材を探していたのでシーゲルは飛びついたと言われている。

『エルマー・ガントリー』(Elmer Gantry)(1960)で男をあげた若手の製作者であるバーナード・スミスが担当を命じられ、シーゲルは大スクリーンの特色を生かした心を打つドラマであると同時に、シネラマ的な見せ場をたっぷり用意するように要求した。スミスのチームは、195冊の書籍を参考にして、アメリカ人が完全に満足できるような考証を行ない、シナリオは7回書き直しされたと言われている。また、俳優でもある歌手のビング・クロスビーがタイム誌に7週間掲載された記事「How the West was Won」の権利を獲得して、1959年に開拓時代の歌をトリビュートした同名のアルバムを発表し、この記事が大作映画の素材に最適と考え、MGMに話を持ち込み、スタジオは映画化権をクロスビーから獲得し、彼はこれで得た利益をサンタモニカの病院に寄付したという説もある。

How the West Was Won "Cinerama Poster"
『西部開拓史』は、オールスター・とキャストと巨大な「スーパーシネラマ」の映像で1830年から50年間にわたるアメリカ建国の歴史を描いた超大作である。5つのエピソード (両親を失った開拓者の娘と山男の恋愛、一攫千金を目論むショーガールとギャンブラーとの恋愛、 南北戦争に巻き込まれた西部の人々の葛藤、インディアンと鉄道敷設者たちの攻防、 列車強盗団に孤独に立ち向かう保安官)が描かれている。監督には、映画経歴53年のヘンリー・ハサウェイが決定し、また、南北戦争のエピソードを映画経歴47年のジョン・フォード、ユニオン・パシフィック鉄道建設とバッファローのスタンピード(暴走)を映画経歴49年のジョージ・マーシャルが分担することになり、布陣は万全に敷かれた。

『西部開拓史』は、1961年に撮影が開始され翌年5月に無法者と保安官のエピソードでクランク・アップ(撮影を完了)した。ロケは、サウスダコダ、イリノイ、コロラド、カルフォルニア、ユタ、ケンタッキー、オレゴン、アリゾナなど、インデイアンとの戦闘シーンは、アラバマで行われ、77セットが組まれ、コスチュームは、5,000着が用意されたが、機械で縫製されたのはアップ撮影時に縫い目が見え、リアルさが損なわれるというので、全て手縫いされた。インディアンが列車を襲撃するシーンでは、バッファローを2,000頭から使って迫力あるシーンを創出し、機関車は撮影のためにハリウッドからロケ地まで運び込まれた。機関車(92年前に製作)が走る線路は2キロにわたって鉄道建設がなされ、動物は、馬630頭、牛550頭、羊200頭、ロバ160頭からなり、動物たちの飼育係として203人が雇われ、エキストラは12,617人にも上った。

How the West Was Won (1962) "24 famous star lists"
有名なスター、24人は、ゲスト出演ではなく重要な役を演じるので、ギャラだけでも大変な額にのぼると想像されるが、「国民的映画」と言うことで、高額でないギャラで出演してもらい、国務省の賛同を得てギャラを、そっくり慈善基金に寄付することになった。その代りに、ほかの映画のギヤラに対する課税額から寄付金相当額は差し引かれ、このシステムのほうが手取りが増え、旨味みがあったと言われているが、一説には、24名のスターの出演料だけで220万ドルにのぼったと言われいる。

本作は、製作費が300万ドルの時代に、1,500万ドルもの巨費を投じて完成したが、『風と共に去りぬ』(Gone With the Wind)(1939)、『ベン・ハー』(Ben-Hur)(1959)に次ぐ3番目の記録を樹立した。映画が公開されると批評家から、また観客からも絶賛を浴び、2年間にわたりロングランを記録、4,500万ドルもの収益を上げ、'63年度のヒットNo.1作となった。第36回アカデミー賞では、作品賞を含む8部門にノミネートされ、オリジナル脚本賞、編集賞、録音賞の3部門を獲得している。 フィルム・スコアは、アルフレッド・ニューマン(1901〜70)が担当したが、彼は1940年から20世紀フォックスの音楽監督を務めた映画音楽の大家で、『慕情』(Love is a many splendored thing)(1955)、や『王様と私』(The King and I)(1956)等でアカデミー賞を9回受賞している。


本作では、デビー・レイノルズが「牧場の我が家」をリヴァーボートで歌うが、これは、プレスコット家はイングランド移民なので、イギリス民謡(グリーンスリーブ)の替え歌を中心に、アメリカ民謡などをとり入れながら、86名による大編成のMGMスタジオ管弦楽団及びケン・ダービー指揮の合唱団が、雄大な景観と共にドラマに相応しいダイナミックな演奏が展開されている。

『西部開拓史』(How the West Was Won)(1962)は、1997年に「文化的、歴史的、芸術的」に重要と考えられアメリカ国立フィルム登録簿(National Film Registry)に保存された。(アメリカ国立フィルム保存委員会(United States National Film Preservation Board)は、アメリカ議会図書館に永久保存するフィルムを選択、保存するアメリカ合衆国の制度。)(ご参考)

(In 1997, this film was selected for preservation in the United States National Film Registry as being deemed "culturally, historically, or aesthetically significant." )

"Cinerama Multi-Camera"
Inventor Fred Waller had developed a multi-camera projection technology called Vitarama that created a form of virtual reality by expanding the images to take in what one would see with one’s peripheral vision to give the whole field of vision and projecting them onto a curved screen. Adapting Vitarama for military purposes, the Vitarama Corporation won a lucrative government contract to produce 75 Waller Flexible Gunnery Training Simulators to train gunnery aircraft personnel. With the coming of peace and television, the timing was perfect for developing a commercial use for Vitarama. (Strohmaier interviews two men who trained on the Waller Trainer; one of them, Frank Foulkes, said that when he and other gunnery airmen saw Cinerama, they realized it was a civilian version of the trainer they used.) Cinerama Adventure (2002)

1952年9月30日、ニューヨークで公開された『これがシネラマだ!』では、それまでの映画のサイズは、スタンダード・サイズ(縦横比1対1.33)だけであったので、さすがのニューヨークっ子もドキモを抜かれ、シネラマは、3台のカメラで同時に撮影した3本に35ミリ・プリントを、視野いっぱいの巨大な深く湾曲したスクリーン(1対2.8)に映写する画期的な新しい映画システムであったので、あまりの現実感にローラーコースターの場面では気分が悪くなる観客が続出したと言われている。

音響装置は、ステレオ・レコードが実用化する6年も前に、磁気7チャンネル超ステレオ・ハイファイを実現していたのも驚異であった。シネラマがきっかけで大型映画時代が到来し、シネマスコープ(1対2.35)、鮮鋭な映像を追求したビスタヴィジョン(1対1.85)、更に奥行きを求めた3D立体映画、70ミリ映画(1対2.28)などのスクリーン・プロセス(特殊撮影法の一)が開発されて来たが、シネラマの140ミリ(35ミリ×4本、内1本は磁気サウンドトラック)の迫力には歯が立たなかった。シネラマで劇映画を作ったらどんなに素晴らしいだろう、とは誰でも考えることだが、「世界最大のスクリーン・シネラマ」と「世界最大のスタジオMGM」とに、幸福な結婚というキャッチフレーズで、シネラマ劇映画『西部開拓史』とグリム兄弟の伝記『不思議な世界の物語』が同時進行で製作された。公開では『不思議な世界の物語』は、アメリカでの公開が1962年8月7日、日本公開は1964年3月6日であり、『西部開拓史』は、アメリカ公開が1963年2月21日、日本公開は1963年11月25日である。

シネラマは、3台のカメラで撮影し、3台の映写機で映写するために、画面には2本の継ぎ目が出て、時には目に付く欠点があった。それに専用の劇場が必要で改造するとなると莫大な費用がかかり、仮に改造すれば、他の映画が上映出来ないというデメリットとなるが、後に70ミリプリントを使う1台カメラによる継ぎ目なしのスーパーシネラマ(新式)が開発されるようになった。MGMは『不思議な世界の物語』と『西部開拓史』を通常の映画館で上映出来るように70ミリとシネマスコープ・プリントを作成した。シネラマの継ぎ目の消去は基本的には不可能だが、最近の"Blu-ray Disc"などでは、最新のデジタル・テクノロジーが駆使され目立たなくなっているのには驚嘆に値する。


左上の画像は、1987年、ヘラルド・ポニーからリリースされた『西部開拓史』のレーザー・ディスク、3面/164分。
アメリカ建国の歴史を描く西部劇大作、待望のLD化と帯に記載されている。

右下の画像は、パイオニアLDCよりリリースされた『西部開拓史』のレーザー・ディスク、3面/163分。
横帯には、西部劇のあらゆる面白さを網羅した超大型シネラマ・ウエスタン!!と記載されている。

Blue-ray Disk
"How The West Was Won Restoration Demo"
2008 Turner Entertainment Co. and Warner Bros. Entertainment Inc. Distibuted by Warner Home Video. Video:1080p High Definition 16×9 2.81:1Audio:Dolby TrueHD:English 5.1,Dolby Digital, 164 Mins.

Exclusive to the Blu-ray edition will be a 「SmileBox」 version of the film. The first of its kind on a high-def release, 「SmileBox」 presents the image with a 「unique curvature that virtually recreates the true Cinerama experience」in the home theater environment.The 「SmileBox」 version will be included on the Blu-ray in addition to the standard theatrical presentation.




 For more information "How the West Was Won" visit the IMDb



『西部開拓史』でも『不思議な世界の物語』同様に、撮影カメラでは、3本のレンズが並行して全部真正面に向いてないので、左右2本のそれぞれのレンズに対して人物は、2人とも斜め横向きになり、この結果、シネラマ・スクリーンに映し出された2人の俳優は、お互いに違う方向を見ていて向かい合っているようには見えないものになる。

そこで、この2人は顔を合わせるのでなく、あえて画面の奥の方向へ向く姿勢をとらなくてはならなく、3本シネラマの撮影では、このような特殊な状況を考慮して、人物の位置や目線の方向を設定することが必要になる。これを理解しやすいようにと、シネラマに造詣の深いオンリー・ザ・ロンリー氏より下記のような画像(イラスト含む)が届いたのでここに掲載したい。




併しながら『西部開拓史』では、3本レンズの「スーパーシネラマ」カメラだけでなく、1本レンズの「ウルトラパナビジョン70」(圧縮70mm方式)のカメラが多くのアクション・シーンのほか、プロセス・ショットとその背景場面の撮影にも使用された。様々な焦点距離のレンズが選択できるこの「ウルトラパナビジョン70」を使った場面では、3本の広角レンズによるシネラマ特有の歪みや誇張された不自然な奥行きなどが無くなり、制約の多い35mm3本の撮影が、やがて1本65mmに変えられる事を暗示していた。またMGMが開発した「レースド・プロセス・リア・プロジェクション・システム」(組み合わせたプロセスの後方映写装置)の最初のシネラマ作品となったのが『西部開拓史』であり、このシステムは、

@背景となる場面を「MGMカメラ65」もしくは「ウルトラパナビジョン70」のカメラで撮影する。
Aこの1本の圧縮65mmネガから分割した3本の非圧縮35mmプリントを作成する。
Bこの3本のフィルムを、映写光が交差しないように並列した3台の映写機で、特殊スクリーンの後方から同期させて映写する。
Cこのようにしてスクリーンに映された別撮りの背景の前で俳優が演技するのを1本のフィルムで撮影するというものである。

特殊効果部長のA・アーノルド・キレスビーと共に開発の中心となった研究開発の責任者のダグラス・シアラーは、これを「シネラマ」からヒントを得たと言っている。このシステムでは、交差光にはなってないが、画像の継ぎ目のオーバーラップ部分が出来るのは「シネラマ」と同じである。おそらく『戦艦バウンティ』(1962)で最初に使用され、1963年度アカデミー賞科学技術賞を受賞した、この新システムは特に大型スクリーン映画のために考案されたもので、これにより従来より優れた配光と明るい映像が得られるようになった。また、以前の映写方式に較べプロセス用スクリーンから映写機まで距離が非常に近くなったために、広いスペースを必要としなくなった利点もある。

『西部開拓史』の65mmネガによるショットは、この他にもあり、「南北戦争」のアクション・シーンはすべて「MGMカメラ65」方式(圧縮)で撮影され『愛情の花咲く樹』(Raintree County)(1958)からの流用して画面分割して3本35mmフィルムを作った。また、トッドAO方式(非圧縮)で撮影された『アラモ』(Alamo)(1960)から、メキシコ軍が行進するショットを、同様の方法で35mm3本に変換して流用している。ロバート・R・ホーグ指導のもと、MGM現像所のオプティカル部によって、このような65mmネガで撮影された1本の素材から35mm3本の「スーパーシネラマ」への変換が行われた。

『西部開拓史』は、1963年11月25日に、東宝とMGMの共同配給によりテアトル東京(東京)とOS劇場(大阪)でロードショウ公開され、大ヒットしたが、この時「シネラマ劇映画第1作」と宣伝された。併し、『不思議な世界の物語』が日本では『西部開拓史』より後(1964.3.6)に公開されたために間違われることがあり『西部開拓史』は2作目となる。



スーパーシネラマ映画
(SUPER CINERAMA MOVIE)

Trailer for Cinerama's "The Best of Cinerama"
Remastered 2014

『ベスト・オブ・シネラマ』

Cinerama's "The Best of Cinerama" Remaster trailer 2014. Reconstructed from John H Mitchell's 1963 print, archived 7-channel soundtrack and with Norman Karlin's original continuity notes of Merian C Cooper's last film. (2014/11/17Youtube)


The Best of Cinerama was Merian C. Cooper’s last film work. We located the 7-channel sound of this title in Australia last year and also found a detailed continuity of the film in the old Cinerama files. Due to all of the past few years Cinerama restorations I have now been able to reconstruct this title exactly as Cooper and the editors had constructed it.

All the original travelogue sound efx. and music score was used but Lowell Thomas was brought in to record new narration for this1963 release.See more details about remastering Cinerama on www.in 70mm.com.



CINERAMA (2012) Part 1 & CINERAMA (2012) Part 2

CINERAMA (2012) Part 1
For the first time in 50 years see a Cinerama camera in action. This short documentary by Michael J. Cahill shows Producer/Director and 3-panel historian Dave Strohmaier shooting footage in Hollywood on Jan. 14, 2012 for the brand new Cinerama film "IN THE PICTURE". Also see the Companion Article with photos on the In70mm web site. There are numerous behind-the-scenes photos posted as well on the Flickr website under the User Name 35mm Guy.(2012/01/15)

CINERAMA (2012) Part 2
Our documentary cameras follow the CINERAMA crew on yet another production day while filming at Angel's Flight in downtown Los Angeles. Led by director Dave Strohmaier, this massive camera continues to roll on the all new theatrical short "In The Picture", CINERAMA's first 3-panel film in five decades. And one cast member is reunited with the CINERAMA process once again a full half century after having appeared in "How the West Was Won".(2012/03/14)



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"Sierra Boggess singing Falling in Love with Love"
from BBC Proms 2012 - Broadway Sound


遥かなる「テアトル東京」と「シネラマ西部開拓史」エピソード!
(The going to the theater experience episode!)

東京に生まれ、横浜在住の会社経営者であるオンリー・ザ・ロンリーさんは、幼少の頃から猛烈な映画フアンで、日本で始めて公開された「シネラマ映画」は、すべてリアルタイムで鑑賞され、その「シネラマ」に賭ける迸(ほとばしる)思いは、尋常とは言いがたい映画ファンだと感じいっています。そのオンリーさんより、下記のようなエピソードが送られてきました。

『これがシネラマだ』(This Is Cinerama)は、1952年にアメリカで製作され、当時、全世界で17館の劇場で公開され、このうち日本では、東京の帝国劇場と大阪のOS劇場でしか公開されませんでした。シネラマの劇映画版『西部開拓史』(How the West Was Won)は、1963年11月25日に、東宝とMGMの共同配給によりテアトル東京とOS劇場でロードショウ公開されました。


これらの当時の鑑賞の想いを、振り返って下記のように述懐されてます。尚、オンリー・ザ・ロンリーさんからは、文章の他に「西部開拓史」のパンフレット、テアトル東京提供の「劇場3枚」の写真を自ら手配されて送って頂いたもです。更に画像として「旧帝国劇場」の写真の他「画像1〜3」迄の写真は、当方で参考画像として掲載しました。

追伸
待ちに待った最終章が業務多忙の中をくぐり抜けようやく届きました。日々のスケジュールが満杯のオンリーさん、執筆作業大変ご苦労さまでした。それにしても誰よりもシネラマを愛し、それに深い造詣に尊敬を申し上げますと共に寄稿に深謝致します。(2012.5.29. ロイド)

(第一章)


「旧帝国劇場」
かれこれ半世紀以上も大昔の忘れもしない1955年の春の頃でした。東京は日比谷の皇居のお濠の前にあった旧帝劇で、まるでオスカーの受賞式のように歩道からレッド・カーペットが敷き詰められ、子供だった僕はオープニングからいきなり"This is CINERAMA !"とまるで雷鳴のごとく轟き渡るアナウンスとサウンドに驚愕しました。それはそれはもう目が回るようにして、ローラー・コースターの大迫力に酔った『これがシネラマだ』に始まり、スターが一人も出ない「3パネル式観光映画」5作品全て観ました。このとき、この大スクリーンと高品質な音響を誇るシネラマ・システムを活用して西部劇を撮らない手はないだろうと想ったものです。その後、かの名劇場「テアトル東京」で、まさに輝くばかりのスター・オン・パレードの『西部開拓史』が公開されると聞いた時には、椅子から転げ落ちるほどに実に嬉しかったです。


「テアトル東京」
(写真提供:東京テアトル)
銀座の入り口にあたる京橋の「テアトル東京」は、上野方面から新橋方面を結ぶ中央通りの左側(東側)に位置し、確か通りから数十歩上った緩やかな斜面の上に鎮座していました。途中、レンガ・ブロックで囲われた花壇では草花が美しく四季を彩り、シュロの大きな木があったり近年の土地の有効活用(容積率目いっぱいに建てる)を考慮した経済行為と比較したら、それはそれはとても余裕があった訳です。まるで大英帝国最高裁判所(行ったことないです。ペコリ)を彷彿させる旧帝劇のマホガニーをふんだんに使用した古典的な格調の高さに比べて「テアトル東京」は、まさにモダン建築そのものの建物でした。

淡いブルーだったか、全席指定席のシートはリクライニングで、それに連動して座面が前に少しだけ動くのです。あの当時、他の高級映画館に、こんなシートはあったかしらね?。いや、現在でもないのでは・・・。ですから場内では「おせんにキャラメル〜」は絶対にあり得ない上品な劇場だったのです(笑)。そうそう今では当たり前ですが、スロープが付いていたから前の人の頭でスクリーンが見にくいなんて皆無でありましたよ。因みに同劇場で観た作品の一つに70ミリ大作『ベン・ハー』があります。この作品の「テアトル東京」での観客動員数は953,334人(上映回数・期間はメモ記載なし)で1位、2位が西部開拓史で622,521人(同)です。凄いですね。この数字は何年か前に《閉館》したテアトル系の劇場に誇らし気に貼ってあったポスターに書かれていました。《閉館》とは、辛い単語です。

テアトル東京劇場の観客席

「当時のテアトル東京劇場の観客席」(写真提供:東京テアトル)

さて『西部開拓史』の話に入ることにしましょう。僕がテアトル東京で観たのは、公開して1ヵ月後の12月(1963)のクリスマス・イウ゛でした。季節と料金(恐らく2,500円?、余り記憶に自信なしです。最近の3D料金は2,400円〜2,600円ですか?。価値を比較してみて下さい)や場所柄か《よそいき》の服装をした観客でいっぱいだった記憶です。まぁ〜《クリスマス》だし《ギンブラ》(銀座周辺の散歩)のついでに見ようか、といったところでしょうか。

添付した劇場パンフ(左下)でお分りになるでしょうが、表紙は、ただの「シネラマ」表示だけで「スーパー・シネラマ」とは記されていませんし、更に「シネラマ劇映画第1作」になっていますね。東宝も東京テアトルもMGMジャパン?も勉強不足!(爆)。

テアトル東京劇場内部

「当時のテアトル東京劇場シネラマ・スクリーン正面」(写真提供:東京テアトル)

はっきり覚えているのが、座った席は前から7番目のど真ん中でした。過去に既に旧帝劇で6作品のシネラマを観ていますからベスト・ポジションは分かっていました。湾曲したビッグ・スクリーンで作品を鑑賞するのには留意点があります。

オーバーに説明すると、例えば左はしに着席してスクリーンを見ると右パネルの映像は、顔は右に向くからほぼ直角に見ますからよく見えます。でも左パネルは顔は正視して見ても、パネルを斜めから見ることになりますからへんてこりんな映像ですね。逆も然りで、右はしに座ったら右パネルの映像は見にくいのです。

この現象は極端に湾曲したスクリーンに起因するものですから当然と言えば当然なんです。しかしシネラマ特有の湾曲スクリーンは《観客を包み込むダイナミズム》(つまり映像のサラウンドですね)にありますので一番前は首が痛くなりますからノー・サンキューとして、5〜10列目の中央がシネラマを存分に堪能出来るベスト・ポジションだと確信します。

そうこうお喋りしてるうちに上映のアナウンスがありましたから静かにしましょうか。上映開始の合図に合わせて場内は徐々に暗くなります。真っ暗ではなく、隣りの人の横顔は十分に分かります。カーテンは開きません。映像は出ません。楽曲が流れ出します。そうです、《序曲》です。劇場で見てなくてDVDでしか見てない方の為に説明すると、ジョン・ウエインの『アラモ』(1960)もそうですが、あの頃の大作には、本編開始前には《序曲》がありました。劇場での《序曲》は楽曲だけで映像は出ません。しかしDVDでは静止画に《OVERTURE》と表示され楽曲が流れますね。ホントは楽曲だけにしたいのでしょうが、映像が出ないと《ひょっとしてプレイヤーが故障したか?》と不安になるから製作側の配慮かも知れません。

余談になりますがビデオ・テープで『アラビアのロレンス』(1962)を見たら「序曲です。映像は出ません」と演奏が終わるまで字幕が表示されていました。親切と思ったら監督デウ゛ッド・リーンの指示だそうです。

シネラマ第1作と記載されたポスター

「西部開拓史」
(パンフレット表紙)

さぁ〜、この4分25秒の「序曲」、ひとことでズバリ、素晴らしいです!。アルフレッド・ニューマンは伊達に長年にわたりFOXの音楽部長をやってません、工夫と力量が感じられます。基本は五つの曲の編成曲で構成され、開拓民の求める新しい土地と生活への期待と夢、未来への希望が、時に勇猛に、時に哀愁を伴い観る者へとひしひしと訴えかけます。ニューマンのオリジナル曲に加え、古くから伝わる民族音楽をケン・ダービーとその合唱団の卓越したハーモニーと相まって、詩情豊かに本編への期待感に繋げて行きます。

この序曲には開拓民の最大のテーマである《Promised Land》と言う大きな夢があるのです。彼らは高らかに歌い上げるではないですか、《I'm Bound For The Promised Land》と!!。一説には当初はディミトリー・ティオムキンが担当する予定だったのが眼の病気で降板し、アルフレッド・ニューマン(そして80余人のMGMオーケストラを忘れてはいけません)に回ってきたようです。個人的にはティオムキンでは《重すぎる》きらいがあるから、アルフレッド・ニューマンで大正解!と思う僕であります。

序曲にとどまらず、シークエンスにフィットした全48曲のサウンド・トラックは、繊細さとダイナミックさをとり混ぜた優れた作品ばかりで、頂点を極めた映画音楽の中ではNo.1と絶賛したいのであります。言うまでもなくサミー・カーンの偉業も忘れません。 アルフレッド・ニューマンは自らがこの《西部劇の時代》に実際に生き、《開拓する側》の視点に立って民衆を書き上げたと言っても過言ではないと断言したいです。
さーさー、序曲が終わるとカーテンが左右に開きますよ〜・・・。

「西部開拓史パンフレット」 (Only The Lonely 氏談)
この劇場パンフレットの表紙は、ただの「シネラマ」表示だけで「スーパー・シネラマ」とは記されていません。更に「シネラマ劇映画第1作」になっています。東宝も東京テアトルもMGMジャパン?も勉強不足!(爆)。

to be continued・・・・
2011/11/09 Only The Lonely


(第二章)

to be continuedなんてカッコウつけて書いてしまったのに、この第2章ではちょいと脱線するかも知れません。

比較的高い山に登ったことがある人なら一度は経験があるのではないでしょうか?。悪戦苦闘して登り切った山頂での満足感と爽快感は格別なものです。山頂では雲海を見渡しながら大《パノラマ》に感動し、あれが富士山、これが八ケ岳と指差してバッグから取り出したカメラのファインダーを覗きながら恐らく右利きなら左から右へ向けて、一回ではワイドな景色を撮り切れないから分割して何回かに分けてシャッターを切る。

その際の注意点は、分割する目印を明確に決めてカメラの高さを一定に維持し、あくまでも平行移動、つまり水平にカメラをパンし軸足をしっかり保持しながら腰を回します。そして数日後、出来上がった何枚かのカラー・プリントを定規とカッターを駆使して、どこか共通するポイント(山とか樹木)の位置や高さを合わせて・・・・、

「参考画像@」(沖縄)

この作業を何回か繰り返してテープでとめれば、かなりワイドなパノラマプリントの完成とあいなります。
えっ、これって「西部開拓史」と関係ないじゃんと言われるかも知れませんね。いいえ、関係ありなんですよ。と言うか「シネラマ」に関係ありと言った方が良いかな。

ここに貴重なデータがあります。
[全米TV保有台数]、1949年が95万台、1952年が1,100万台。
[劇場入場者数]、1948年が週9,000万人、1952年が週5,600万人。

当時のTVの驚異的な台数の伸びと劇場入場者数の激減ぶりは凄いです。見事なくらい反比例しています。こんな情況をハリウッドは、指をくわえてただ横目で黙って見ているわけにはいきません。劇場から去って、家庭でTVに夢中になっている観客を呼び戻すには、家庭では絶対味わえない劇場ならではの差別化を図る以外にない訳です。ハリウッドがそこで考えたのが画面の大型化で、ワイドなスクリーンに映し出す迫力ある映像で、小さなTVの画面に見入っている観客を再び《シェーン、カムバッ〜ク、シェーン》します。

大型化するにはどうしたら良いか?。方法はいとも単純な発想です。《普通の画面を3枚横にくっつけて大きく見せる》なーんだ、シネラマの発想って、何と山頂から撮る撮影方法と考え方は、同じではないですか!。しかしながら発想は単純でも、三つのレンズをビルトインした大人の男性の体重くらいある大型カメラの複雑さ、3台の映写機でスクリーンに高さを合わせて(山頂での撮り方と出来上がったプリントのつなぎ合わせ方と同じ)投映する技術、明るさにバラツキがないか一定に保つ技術、完全にシンクロさせるメカニズムなどは、現在のテクノロジーならともかく、あの時代ではかなり高度な技術だったことはloydさんの記事で充分理解されると思います。

「CINERAMA」は「AMERICAN」のアナグラム(anagram)だと言う記事をどこかで読みました。うーん、僕的には全くノー・サンキューですね。それは結果論に過ぎないと考えます。深読みし過ぎです。では理由は?。再三言います。物事は単純な発想で良いと思います。CINEは《映画》、RAMAはギリシャ語で《光景》ですから二つの合体語だと考えます。現に先程の山頂から眺める《パノラマ》と言う単語は、英語は省略しますけどパノが《全》、ラマが《光景》、以下、ジオラマ(厳密にはディオラマ)のジオは《すごーい》、ラマは《光景》でそれぞれ合体語です。昔、車のマツダとFORDが提携したオートラマなんてもありましたね。《車》を《見》るにはピッタンコなネーミングでした。映画には合体語が見受けられます。Cinema-Scope、VISTA-VISION、PANA-VISION。それぞれ《-》で分けたら単独の英語になりますから合体語ですね。そんな理由で《文字を並びかえたアナグラム》ではない、と思う僕であります。

あら、脱線してたらMGMのレオ君がガオ、ガオとがなり始め本編に入りましたね。

ジョン・スタージェスの『決闘三部作』と勝手に我が国で呼ばれる作品がありますので、では僕なりに『西部劇タイトル曲三部作』と勝手に名付けるとしたら、『西部開拓史』、『荒野の七人』、『大いなる西部』をあげたいです。その三つの中で一番のお気に入りがこの西部開拓史の「メイン・タイトル」です。イケイケ・ドンドンとばかり、まーガンガン攻めまくる殆ど悲愴感は感じられないさすがフル・オーケストラによるスコアは前の《序曲》とはうって変わってダイナミックスさ満載で、いかにもアメリカ大陸的!、思わず観ている者を圧倒します。
で、ちょいとコーヒー・タイム。

そうそう話すのを忘れそうでした。テアトル東京のカーテンは横開きですから、当然上部のカーテン・レールを横に走らす方法のメカニズムだと思います。確か旧帝劇、旧東劇のカーテンは演目が《本来は古典》ですから、カーテンは上に巻き上げるメカだったような記憶です。

テアトル東京のカーテンは、ふわっとした生地で縫製されていましたから、普段でさえ上部のカーテン・レール付近の移動の速さに比べ、生地自体に空気抵抗(生地がふわっとしているから)があるのかしら、下部の方ほど移動速度が遅く感じられたものです。

そこへ来てこのレオ君のガオ・ガオにプラス、ガンガン・スコアですから、スクリーン裏側から大音響で鳴ったんじゃカーテンは更に《風圧?、音圧?》で揺らいでいた、と思い出すのです(笑)。このニュアンスは実際に見ないと理解されませんね、きっと。でも東京テアトルさんから提供された写真をご覧になって下さい。何となくイメージで解って頂ければと思います。

さて画面上のクレジットは次のようになります。参考までに俳優の年齢を公開時(1963)の年齢で併記します。Carroll Baker(32),Lee J Cobb(52),Henry Fond(58),Carolyn Jones(34),Karl Malden(51),Gregory Peck(47),Geoge Peppard(35),Robert Preston(45),Debbie Reynolds(31),James Stewart(55),Eli Wallach(48),John Wayne(56),Richard Widmark(49)です。

実は1963年に初めて観て以来48年間、このクレジットの順番(billing)は、何を基準にしているのか、どーしても解らないのです。アルファベット順?、出番順?、ギャラ順?、ではなさそうです。因みにIMDbではTop Billed Castと題して最初がJames Stewart、次がJohn Wayne、次いでGregory Peckになっていました。どなたか訳をご存知なら是非おききしたいです。今、改めて本作品のDVDを観るとソール・バスが、まだ出現しないこの時代のタイトルは、さほどクリエイティブなグラフィック要素を必要としなかったか、特に西部劇ではパシフィック・タイトル社(以下PT社)が主に手がけていました。ウエイン版「アラモ」は間違いなくPT社だったはずですが『西部開拓史』には表示がありません。毎回と言って良いくらい、特徴は俳優と役名をつなぐのに・・・・・を使いますが影を付けて《・》が立ち上がった(立体的)感じにするのです。『西部開拓史』では、特に立ち上がった文字ではありませんがライバル会社がなさそうだし、直感でPT社のような気がしただけで大した話ではありません。でも大作の影に隠れた小さな会社がデジタル化の発達した現在、どんなふうに生き延びているのかとても気になる僕であります。

to be continued・・・・ 2011/11/12 Only The Lonely


(第三章)

loydさん、パシフィック・タイトル社の詳細情報ありがとうございました。やはり記憶は正しかったことになります。エンド・ロールの隅から隅までくまなく見ていた(物好きな)僕には、ウエスタン・エレクトリック社同様にとても懐かしく、そして2009年に消えていったとは、うー、悲しくなりますよ。このパシフィック・タイトル社、そして後年のソール・バスが手がけた数々のグラフィカルなデザインに興味津々だった少年の好奇心が、やがて彼らの足元に及ばないものの今の自分、そしてビジネスにあるように思えてならないのであります。

さて豪快な「メイン・タイトル」が終わると、まさに『老人と海』(1958)のモノローグを思わせるスペンサー・トレイシーによる静かな語りで始まるロッキーの山々の美しい映像が広がります。まさに『これがシネラマだ』から流用した空撮映像です。

■スペーサー
「参考画像A」(シネラマ映画『西部開拓史』より)

大型機の操縦席から撮られた映像は、いかにもトラベローグ・シネラマお得意の《左右にゆらゆら》しながらの不安定な意図的な撮り方ですから、湾曲したワイド・スクリーンで観ていた当時の僕ら観客は、スクリーンが動くどころか視覚的に劇場自体が動くように感じられハラハラして観たものです。ひとつには次の理由に起因しています。湾曲したスクリーンを比較的前方の席で《見上げるようにして》見ると、スクリーン最上端のR曲線と天井部とで作られる《半月状の空間》があるのに気付きます。その半月状スペースがスクリーンと一体化してぐるぐる回って見えるわけです。これが原因で『これがシネラマだ』では、公開時において一部の観客が気分が悪くなった理由が十分解ります。20余年後の『トップガン』(1986)では操縦席が宙返りするシーンでも驚いたものです。でも《雄大な空撮》そのものは、映画史上『これがシネラマだ』のこのシーンが初めてだったかも知れません(ホントかなー、ホントだよー)。

物語の出発点はエリー運河の待合所から始まります。



■スペーサー
「参考画像B」(シネラマ映画『西部開拓史』より)

ここではMGMの秘蔵っ子、歌って・踊ってのオキャンなデビー・レイノルズがアコーデオンを演奏しながら歌う曲は、原曲が16世紀に生まれたイギリス民謡「グリーン・スリーブズ」で、上手くアレンジした「A Home In The Meadow」です。途中からカール・マルデンらも加わりちょっとラフに賑やかになります。驚いたことに彼女にアコーデオンの弾き方を指導したのはジェームズ・スチュワートなんですね。言われてみれば『夜の道』(1957)のジミーはアコーデンを上手に弾いていましたもんね。

もう一つ驚いたのが、開拓民が乗るエリー運河の船は動力が備わってないのか、ラバがロープで牽いているではないですか!。但し15マイルまでかも知れません。ここではケン・ダービーとその合唱団、そしてキングストン・トリオのメンバーでもあった「The Whiskeyhill Quartet」(ちゃんと名前はクレジットされています!)らが、僅か30秒ちょっとですが「The Erie Canal」をバンジョーの調べに合わせ牧歌的に印象強く歌います。《♪ラバと一緒に行く旅はノンビリと。ラバは遅いけど働き者だよ。昼間は船を牽き、力と声を合わせて、エリー運河を15マイル♪♪》と。これは貴重なシーンですね。時代考証が優れています。蒸気船は金持ちやギャンブラーなどが乗りますから開拓民はこのような安価な料金の船を利用していたのでしょう。

大型蒸気船(もしかしたら『愛情の花咲く樹』からの流用映像かも知れません)の映像でオシマイになる前半は、序曲からintermissionまでが約84分。この間、ブレナン河賊団の出現、リアからのスクリーンプロセスを駆使した激流下り、スタントマン大活躍のシャイアンの襲撃、黄葉の美しい枯れた金鉱での別れと、レイノルズが情感たっぷりに「A Home In The Meadow」を最後まで歌うショー・ボートでの男女の再会・誓い、とまー、エピソードがテンコ盛り!。時折流れる18世紀に生まれたアメリカ民謡が時に軽快に、時に切なく哀愁を奏で、A・ニューマンは盟友ケン・ダービーと共に実力を存分に発揮しフル・スロットルしています。

河賊のパートで気が付いたのが二点。インチキ洞窟バーの看板が川辺に立っています。《LIKKER》と表示されています。近代なら《LIQUOR》が正解ですね。液体が《LIQUID》ですから語源は一緒でしょう。何故だかあの時代は《LIKKER》だったようで、料理(スープ)では「Pot Likker Soup」が今でも好まれているようだし、アメリカ民謡の「Likes Likker Better Than Me」が現代でも歌われているようです。これらの件、どなたか詳しく教えて頂きたいものです。もう一ヶ所はインチキ交易所の壁に「Home Sweet Home」のプレートが掛けられています。何故ですかね〜?。アイルランド民謡ですから単純に彼らが故郷を想ってのことなのでしょうか。上手い小道具です。

前半はちょっとミュージカル要素もありかなり楽しく進みます。D・レイノルズは吹き替えなしで《歌って・踊って》ますから貢献度は大です。決して大きくない体からあんなにも凄いパワーを引き出し、エネルギッシュに動き回れるとは早い時期から彼女の才能を見抜いていたMGM幹部は先見の明があったわけです。この『西部開拓史』は彼女には前哨戦みたいだったのでしょうか、次の作品『不沈のモリー・ブラウン』(The Unsinkable Molly Brown)(1964)では、彼女は第37回アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされるようになるのです。やるな〜!、彼女!。

to be continued・・・・ 2011/11/25 Only The Lonely


(最終章)

昨年の11月25日の第三章から何と半年ぶりのこの最終章。大変遅くなり申し訳ございません。でも51年前の今日は、実に《西部開拓史》が撮影開始に入った記念すべき日でありますのでお許しを(ペコリ)。

《愛情の花咲く樹》(1957)から流用した大型蒸気船の風景で終る前半(84分)のオシマイには「INTERMISSION」の表示が24秒間続きます。シフォン風のふわっとしたカーテンが左右から閉まる為の必要秒数に合わせています。そして15分間の休憩に入ります。この15分は5人程度の映写クルーにとって大忙しの時間だったと想像します。前半のリールを外し後半のリールに掛け替え、スプロケットやランプハウスの清掃点検・映像と音響の再微調整・・。クルーにとってはもう少し時間が欲しいところですね。

4分36秒間流れる「entr'acte」(幕間)では、A・ニューマンのオリジナル曲「How The West Was Won」を初め六つの偉大なアメリカ民謡による組曲がケン・ダービーやサミー・カーンによって開拓者の夢と希望を独創的かつ芸術的に表現されます。そして「When Johnny Comes Marching Home」、「The Battle Hymn Of The Republic」の力強く一気にピークに盛り上ったところで次の後半で始まる南北戦争を暗示させ、化粧室やロビーで寛いでいる観客に急いで着席しなければいけない事を促します。

後半の冒頭はリンカーン大頭領が窓から外を見ています。24秒間です。ここでも先程と同様にカーテンが開く秒数に合わせています。最初のエピソードはジョン・フォードによる「南北戦争」。とりわけ評価が高いようです。
僕が個人的に驚いたのは《ベビイドール》(1956)、《ジャイアンツ》(同)ではまだ子供だったキャロル・ベイカーが母親役を情感豊かに演じていたことです。実際には三つ年上のジョージ・ペパードの母親役で、戦争に行かせたくない気持ちと、反面、息子の自主性を尊重したい二面を静かな口調で上手く演じていました。今でも耳に残っている台詞は「なんだい、急に丁寧な話し方をして」とおねだりする息子G・ペパードに言いますね。よくある母と子の場面です。父親カール・マルデンの墓石の前で「お父さんの孫ですもの、頑固なの」と柵に手をやり泣き崩れるところは前にも書きましたが「西部劇タイトル曲三部作」の一つにしたい「メイン・タイトル」のオープニングの時の勇猛さとはうってかわり、まるで時が止まるかのように哀しいアレンジ曲と相まってとても印象的です。

J・フォードはシネラマの特徴をよく理解していたと思います。まるで絵画から切り取ったかのような光景を美しいカメラワークで表現していました。左右に広がりのある、時としてシンメトリーな構図を上手く自然光を活用して、秀逸です。シネラマにはズームレンズがありません。むやみにズームを多用した作品が見受けられますが単焦点を利用した本作品はfixされた画面構成が功を奏したと思います。

普通は焦点距離が35ミリ以下を広角レンズと呼びますが(35ミリカメラ換算)、シネラマレンズは27ミリですから21ミリ(見た感じがかなり不自然になります)の超広角より手前で、広角とのほぼ中間です。

それでも下記貼付画像@で理解されると思いますが、主となる被写体はカメラに近いほど大きく、後方に行くほど誇張されて小さく写りますからこの画像では母親キャロル・ベイカーと最後方の長男G・ペパードとの立ち位置の距離はかなりあるように見えます。

■スペーサー
(シネラマ映画『西部開拓史』より)参考画像@

もう一つのシネラマレンズの特徴は画角が広いのは言うまでもありませんが、それに加えて被写界深度つまりピントが深い、手前から奥まで行き渡っていることです(下記貼付画像A)。ですからシネラマは広く更に奥まで写り込みむので余計な物が入らないようにスタッフはかなり気を遣ったようです。

■スペーサー
(シネラマ映画『西部開拓史』より)参考画像A

そうそう、画像Aのシーンでは、G・ペパードは父親J・スチュワートが熊退治した時のかなり癖のある喋り方を真似しますね。さすが、役者、上手い。あの独特な飄々とした訛りのある喋り方の真似で場内爆笑。解っている映画ファンがいるので嬉しくなりました。 そしてこのシーンではフォードお気に入りのワンコがさりげなく使われています。恐らくアイルランド犬でしょうか。

セシル・B・デミルの《大平原》(1939)を彷彿させる「鉄道敷設」では、工事現場の移動に合わせた簡易移動式テント小屋があり、中にはステージがあってショーを見る事が出来ます。当初の脚本では踊り子ホープ・ラングをG・ペパードが見とれているところに、まさに「俺が鉄道だ」と言わんばかりの会社忠実厳格人間のR・ウイドマークが現れ「俺のオンナだが好きなら手を出して良いぞ」と。まーウイドマークのキャラを考慮するとソリャナイから採用されず当然でしょうね(笑)。

loydさんならホープ・ラングの眩しい肢体の踊り子姿の写真、お持ちではないですか?。

Hope Lange
■スペーサー
参考画像「ホープ・ラング」(Hope Lange)
(Hope Lange being photographed in a sequence later deleted.
Note obies on camera.)
"From How The West Was Won - in Cinerama site"

「鉄道強盗」のパートで面白い点を発見しました。ペパードが後任保安官リー・J・コッブに協力を要請するところで、コップは「ジェシー・ジェームズは死んだし(心配ない)」と乗り気ではないです。かの悪名高き有名な、かつ西部劇ファンなら誰でも知ってるのに日本語字幕では一切表示されていません!。まさか翻訳者がJJ(ジェシー・ジェームズ)を知らない、なんてないですよね〜!?。why?。

もう一ヶ所はノー・サンキューだったはずのコッブがなんと列車に乗っていましたが額には絆創膏が貼られています。と言う事はペパードに殴られたのでは?。がその殴られたシーンがカットされたのですね。聞いた話だと《サウンド・オブ・ミュージック》(1965)の「Sixteen Going On Seventeen」でチャーミアン・カーは撮影中に足首を捻挫して本番では包帯を巻いて撮影したようです。ビデオ・テープではハッキリ分かるようですが最近のリマスター版DVDでは包帯は巧く消されているようです。ならばコッブも。否、あれはあれで日常的で好感が持てて良いと思います。


後半はちょっとミュージカル的な要素がある前半と異なり映画史上に残るバッファローの暴走シーンがあったり列車強盗があったりでアクション・テンコモリでシネラマには実にうってつけですね。そしてモニュメント・バレーを背にして伯母デビー・レイノルズと甥G・ペパード家族の新しい人生の門出を祝福するかのごとく高なるフル・コーラスによるグランド・フィナーレ、無論「A Home In The Meadow」である事は言うまでもありません。一部では本作品は不評です。白人の視点に立って、開拓される側の困惑・迷惑・被害、つまり先住民の悲劇が描かれていないからのようです。しかしジェームズ・スチュワート、ヘンリー・フォンダ、ジョージ・ペパードらは彼らを軽視せず友好的に描かれていますね。本格的に先住民の立場に立ち同情的な作品は《シャイアン》(1964)、《ソルジャー・ブルー》((1970)、《ダンス・ウィズ・ウルブズ》(1990)を待たねばなりません。

数年前にリリースされたリマスター盤で本作品を観ると、半世紀前の作品とは思えないまばゆいばかりの美しい映像とまさに包み込むようなキレの良いサウンドに驚かされます。更にシネラマ特有の二本のスジは最新のデジタルテクノロジーを駆使して消されています。参考までに貼付画像BとCで比較して下さい。でも子供の頃に観た三台のカメラで撮って、三台の映写機で映すシネラマには当然ながら二本のスジがあります。

二本のスジがあってこそ「これがシネラマだ」と死ぬまで僕は言い続けたいと思います。理由は単純で、第二章で述べたように山頂から大パノラマの美しい景色を写真に撮るには横に何枚かに分けて分割して撮る発想が自然だからです。そして何と言っても小学生の頃に観た本邦初のシネラマ、「これがシネラマだ」でスジがあろうと実に衝撃的であったからです。独断と偏見で「スジがないのはただのワイドスクリーンに過ぎない」と言えます。


■スペーサー
参考画像B


■スペーサー
参考画像C

3台のカメラの隣接部のスジが視認出来る画像B(上部)と
デジタル・テクノロジー処理によりスジが目立たなくなっている画像C(下部)
(シネラマ映画『西部開拓史』より)

あらっ、loydさんの貼付YouTube、CINERAMA 2012のPART1及び2を見てびっくり!。 半世紀前の本物の撮影機が現存しているとは!。僕も仲間に入れてほしいです。それにしても機動性の悪そうな撮影機ですねー。これで撮ったのだから立派です。おしまいの貼付画像Dはシネラマの概念図です。下の方に小さく見えるのが撮影機です(ただし映写システムは旧帝劇です)。

The key map of Cinerama-From This is Cinerama!
■スペーサー
参考画像D(シネラマの概念図)
(From This is Cinerama!)&
The Last Days of Cinerama (2012)
"Full Documentary Short"

最後に。長期にわたり稚拙で駄文の投稿でありますが絶好の機会を与えて頂きましたloydさんに深く御礼を申し上げます。そして様々なサポートを頂き感謝致します。また東京テアトル様には貴重な写真を提供頂き、まことにありがとうございました。併せて御礼を申し上げる次第であります。

ではご一緒に、アウェーイ、アウェーイ、カム・アウェーイ・・・。

2012.5.28 Only the Lonely



Today's Topics !

「真夏の(眠れぬ)夜の夢」とばかり急にひらめきました。どこかで今ごろ気が付いたのと声が聴こえますけど。長年疑問に思っていた「billing」はなんと立派なアルファベット順なんですね。アメリカの電話帳が確かlast name順でしたよね。と言う事は皆さんのfirst nameを消すと下記のようになります。

Baker、Cobb、Fond、Jones、Malden、Peck、Peppard、Preston、Reynolds、Stewart、Wallach、Wayne、Widmarkです。 と、アルファベット順ではないですか!。 これで納得、いつでも眠れる・cineるー。
2012.8.1 Only the Lonely

オンリー・ザ・ロンリー氏は、『西部開拓史』における俳優のクレジット順番が、公開された1963年以来、今日までの48年間、何を基準としていたか、疑問に思っていたそうですが、この度、これは明らかにアルファベット順であったと解明されました。その執念とやらは並々ならぬもので、恐れ入った次第です。(loyd)


「パシフィック・タイトル&アート・スタジオ」について
(Pacific Title & Art Studio)


鍋 潤太郎氏の「ハリウッド映像トピックス」によると、ハリウッドで90年間の歴史を誇った老舗ポスト・プロダクション「パシフィック・タイトル&アート・スタジオ」は、2009年6月に閉鎖されたと伝えている。この会社は、映画関係者やポスト・プロダクション関係者、そして熱烈な映画ファンの方々など、ハリウッド映画のエンドロールを隈なく観ていた方には、お馴染みの会社だと思われる。ハリウッドのポスプロ業界、そしてVFX(visual effects/コンピューター・グラフィックスを利用した映画などの特殊効果)業界では、通称「パック・タイトル」で親しまれた著名ポスト・プロダクションであり、殆どと言って良いほど、多くのメジャー映画のエンド・クレジットを手掛けていた関係で、映画のクレジットの「最後のさいご」のあたりに「必ず」と言って良い程、社名を見掛けたスタジオであった。このパシフィック・タイトル&アート・スタジオは、1919年、ワーナー・ブラザーズのアニメーション・アーティストだったレオン・シュレジンジャー(Leon Schlesinger)(1884〜1949) によって創業され、創業当時は、白黒のサイレント映画に字幕やタイトルを入れるビジネスが主な業務だったと言われている。

後に『ジャズ・シンガー』(The Jazz Singer)(1927)、『風と共に去りぬ』(Gone With the Wind)(1939)や『ベン・ハー』(Ben Hur)(1959)など、超大作のタイトルを手掛け、アカデミー賞11部門を獲得した『ベン・ハー』での特殊効果(Visual Effects)は、特殊効果部長のA.アーノルド・ギレスピー(A. Arnold Gillespie)(1899〜1978年)が担当したが、『西部開拓史』(How the West Was Won)でも同様に同氏が担当している。その後、大スクリーンが人気を呼んだ65mm/70mmに対応出来る「大型映画部門」も持ち、 ハリウッドの幅広いニーズに応えていた。
フォトショップによるデジタルのエンド・クレジットを作成を開始しデジタル化を図り、フィルム・レコーダーを導入しフィルム・レコーディングディングのビジネスもスタートさせ、ハリウッド中のVFXスタジオは「パック・タイトル」へ完成したファイナル画像を送る事が多く、ここで沢山の映画のフィルム・レコーディングが行われていた。特に、映画「Matrix Reloaded」(2009)の制作では、 ESC(サンフランシスコ)、BUF(フランス)、Animal Logic(シドニー/オーストラリア)、 CIS(ハリウッド)、Sony Pictures Imageworks(カルバーシティ)、Giant Killer Robots(サンフランシスコ)という6つのVFXベンダーとの連携が組まれ、すべての完成画像は、ここ「パック・タイトル」へと集結され、レコーディングが行わる程、ハリウッドでは絶大な信頼と実力を誇っていた。

2000年を前後して、社内には小規模ながらMayaベースのVFXチームも作られ、セット・エクステンション(限られたセットだけで撮影しておき、後でデジタルによって余白を継ぎ足すVFX作業)などのシンプルなVFXも手掛けるなど、「デジタル・ポスト・プロダクション」への移行も行われた。コンポジットにはShakeを採用、グリーン・スクリーン合成等にも対応し、また、古いフィルムを修復する「デジタル・レストレーション」も行っていた。

このように、ハリウッド映画界の誕生からデジタル革命に至る成長を、文字通り見守り続けて来た「パック・タイトル」であったが、同スタジオは投資会社の"Celerity Partners"へ2005年に売却された。その際に起こった旧役員の不当解雇訴訟で敗訴する等、近年は経済的に厳しい状況に置かれていた。その上に襲ったのが、SAG(スクリーン・アクターズ・ギルド/全米映画俳優協会)のストライキの影響による、映画界全体のスローダウンだったと言われてる。そして一連の大きな不況が加わり、「大きな渦」から、とうとう抜け出す事が出来なかった。不況の影響で、またハリウッドの歴史が1つ幕を閉じ、「パシフィック・タイトル&アート・スタジオ」は無くなったが、しかし、「パック・タイトル」の愛称は永遠にハリウッドのポスプロ業界で語り継がれると思われる。
(鍋潤太郎氏記事より抜粋)



"The Cinerama Dome Short Documentary"



シネラマ映画(シネラマ社公認の純正シネラマ作品リスト)
"The Cinerama movie"
(Native Cinerama work list of the Cinerama Inc. authorization)

シネラマ(Cinerama)
(35mm×3本、フィルム送り速度26コマ/秒)


『これがシネラマだ』(This Is Cinerama) (1952) アメリカ映画 シネラマ社
(アメリカ公開1952.9.30/日本公開1955.1.5)120分+休憩

『シネラマ・ホリデー』(Cinerama Holiday) (1955) アメリカ映画 シネラマ社
(アメリカ公開1955.2.9/日本公開1955.12.21)120分

『世界の七不思議』(Seven Wonders of the World) (1956) アメリカ映画 スタンリー・ワーナー社
(アメリカ公開1956.4.10/日本公開1957.3.15)128分+序曲・休憩・終曲を含む

『世界の楽園』(Search for Paradise)(1957)アメリカ映画 シネラマ社
(アメリカ公開1957.9.25/日本公開1958.6.1)104分+序曲・休憩・終曲を含む

『大西洋二万哩』(Windjammer)アメリカ映画 ナシヨナル・シアターズ+シネミラクル
(アメリカ公開1958.4.10/日本公開1962.4.29)142分+序曲・休憩・終曲を含む

『南海の冒険』(South Seas Adventure) (1958) アメリカ映画 シネラマ社
(アメリカ公開1958.7.16/日本公開1959.4.25)120分+序曲・休憩・終曲を含む

スーパーシネラマ(Super Cinerama)(旧式)
(35mm×3本、フィルム送り速度24コマ/秒)


『不思議な世界の物語』(The Wonderful World of the Brothers Grimm) (1962)
アメリカ映画 MGM+シネラマ社 (アメリカ公開1962.8.7/日本公開1964.3.6)135分+序曲・休憩・終曲を含む(ビデオソフトLD既発売)

『西部開拓史』(How the West Was Won) (1962)
アメリカ映画 MGM+シネラマ社  (アメリカ公開1963.2.21/日本公開1963.11.25)162分+序曲・休憩・終曲を含む(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『ベスト・オブ・シネラマ』(The Best of Cinerama) (1963)
アメリカ映画 シネラマ社 (アメリカ公開1963.11.21/日本未公開)26コマ 142分+序曲・休憩・終曲を含む(本作はこれまでのシネラマ作品のハイライト集)

スーパーシネラマ(Super Cinerama)(新式)
(70mm×1本、フィルム送り速度24コマ/秒)


『おかしなおかしなおかしな世界』(It's a Mad Mad Mad Mad World) (1963) アメリカ映画 ユナイト社
(アメリカ公開1963.11.7/日本公開1963.12.28)"ウルトラパナビジョン70" 210分+序曲・休憩・終曲を含む
(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『地中海の休日』(Mediterranean Holiday) (1964) アメリカ映画 コンチネンタル社
(アメリカ公開1964.3.5/日本公開1965.5.1)"スーパーパノラマ70" 158分+序曲・休憩・終曲を含む(スーパーパノラマ70は、西ドイツ製のヨーロッパ版"ドットAO"。"MCS-70"、"シネビジョン70"とも言われる。)

『サーカスの世界』(Circus World) (1964) アメリカ映画 ブロンストン社
(アメリカ公開1964.6.25/日本公開1964.12.19)"スーパーシネラマ70方式" 135分+序曲・休憩
(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『偉大な生涯の物語』(The Graetest Story Ever Told) (1965) アメリカ映画 ユナイト社
(アメリカ公開1965.2.15/日本公開1965.9.4)"ウルトラパナビジョン70" 197分+序曲・休憩=221分
(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『ビックトレイル』(The Hallelujah Trail) (1965) アメリカ映画 ユナイト社
(アメリカ公開1965.6.23/日本公開1965.10.23)"ウルトラパナビジョン70" 165分+序曲・休憩
(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『バルジ大作戦』(Battle of the Bulge) (1965) アメリカ映画 ワーナー社
(アメリカ公開1965.12.16/日本公開1966.4.1)"ウルトラパナビジョン70" 162分+序曲・休憩
(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『シネラマ、ロシアの冒険』(Cinerama's Russian Adventure) (1966) アメリカ・ソ連合作映画 ユナイテッド・ロードショーズ社(アメリカ公開1966.3.29/日本未公開)"キノパノラマ" 146分+序曲・休憩(35mm3本を使うロシアのシネラマというべき"キノパノラマ"6作品をアメリカで再編集し、70mm1本に焼付けてスーパーシネラマ(新式)で上映したもの)

『カーツーム』 (Khartoum) (1966) アメリカ映画 ユナイト社
(アメリカ公開1966.6.16/日本公開1966.10.28)"ウルトラパナビジョン70" 134分+休憩
(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『グラン・プリ』 (Grand Prix) (1966) アメリカ映画 MGM社
(アメリカ公開1966.12.21/日本公開1967.2.1)"スーパーパナビジョン70" 179分+序曲・休憩
(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『カスター将軍』 (Custer of the West) (1967) アメリカ映画 セキュリテイ・ピクチャーズ、CRC社(Cinerama Releasing Corp) Distributors MGM/UA Home Entertainment (アメリカ公開1968.1.24/日本公開1968.2.24)"スーパーテクニラマ70" 140分+序曲・休憩(ビデオソフトDVD/US Version既発売)

『2001年宇宙の旅』 (2001:S Space Odyssey) (1968) アメリカ映画 MGM社
(アメリカ公開1968.4.2/日本公開1968.4.11)"スーパーパナビジョン70"(一部トッドAOを併用) 142分+休憩(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『北極の基地・潜航大作戦』 (Ice Station Zebra) (1968) アメリカ映画 MGM社 (アメリカ公開1968.10.23/日本公開1968.12.21)"スーパーパナビジョン70" 142分+序曲・休憩(ビデオソフトLD・DVD既発売)

『マッケンナの黄金』 (Makenna's Gold) (1969) アメリカ映画 コロンビア社
(アメリカ公開1969.5.10/日本公開1969.4.5)"スーパーパナビジョン70" 129分+序曲・休憩・終曲(ビデオソフトLD・DVD既発売) (アメリカでは、"スーパーシネラマ"(新式)で上映を計画していたが70mm上映のみ)

『ジャワの東』(Krakatoa; East of Java) (1969) アメリカ映画 CRC社(Cinerama Releasing Corp)
(アメリカ公開1969.5.14/日本公開1969.1.11)"スーパーパナビジョン70"(一部トッドAOを併用) 143分+序曲・休憩・終曲(ビデオソフトDVD/US Version既発売)

『ソング・オブ・ノルウェー』(Song of Norway) (1970) アメリカ映画 CRC社(Cinerama Releasing Corp)
(アメリカ公開1970.11.14/日本公開1971.6.19)"スーパーパナビジョン70" 142分+休憩(日本では70mm上映のみ)(ビデオソフトVHS/DVD/US Version既発売)

『これがシネラマだ』(This Is Cinerama) (1970) (再映)アメリカ映画 シネラマ社
(アメリカ公開1952-70.?.?/日本公開1972.?.?)シネラマ26コマ 120分+休憩(3本方式"シネラマ"を"トッドAO"に順ずる70mm1本に焼き直したもの)

スーパーシネラマ(新式)作品リスト (題名をクリックすると、映画の説明へジャンプします)
 1 おかしなおかしなおかしな世界  2 サーカスの世界  3 偉大な生涯の物語
 4 ビックトレイル  5 バルジ大作戦  6 カーツーム
 7 グラン・プリ  8 カスター将軍  9 2001年宇宙の旅
 10 北極の基地・潜航大作戦  11 マッケンナの黄金  12 ジャワの東
 13 ソング・オブ・ノルウェー    


 1 おかしなおかしなおかしな世界 (It's a Mad Mad Mad Mad World) (1963) 
(ウルトラパナビジョン70方式)

DVD
ストーリーは、ハイウェイで事故が起き、スミラー・グローガン(ジミー・デュランテ)は瀕死の重傷を負った。そこへ通りかかった5人の男たちは救出に谷底へ下りたが、彼は「ロジタ公園に35万ドルが埋めてある」と言って死んでしまった。それを聞いた4台の車に乗る5人の男達、ラッセル(ミントン・バール)と妻のエメリン(ドロシー・プロバイン)、妻の母マーカス夫人(エセル・マーマン)、歯科医クランプ(シド・シーザー)と妻モニカ(イーディ・アダムス)、ベンジャミン(バディ・ハケット)と相棒のベル(ミッキー・ルーニー)と家具運搬中のパイク(ジョナサン・ウィンタース)たちは、一斉にロジタ公園に向かって我先にと車を走らせる。一方、ロジタ市の警察に勤務している停年間近いカルペッパー警部(スペンサー・トレイシー)は昨夜出獄したグローガンが事故死と聞いてがっかりするのだが、それは警部が缶詰会社から強奪した35万ドルを追っていたからであった・・・。

この作品のソール・バスがデザインしたオープニング・タイトルは、シネラマ初のアニメーションとなるもので、製作を担当したプレイハウス・ピクチャーズ社は、巨大な横長スクリーンに映写される事を前提として、タイトルの文字やキャラクターの大きさ、動きや背景との色彩のバランスに至るまで、事前に緻密な計算が行われたと言う。

アニメーションのコマ撮りは被写体の距離が比較的に近いので、この条件にあった焦点距離と精密なピント合わせが可能な撮影レンズが必要であった。そこでパナビジョン社では、この条件を満たす湾曲スクリーン映写時の収差(歪)を防ぐ、特別に設計された「パナビジョンAPOパナター1.25X」ブロック型アナモフィック・レンズを開発し提供した。このレンズ「トッドAO65mmカメラ(ミッチェル社製)に取り付け、当時発売されたばかりの微粒子の改良型イーストマンカラー・ネガ(タイプ5251)で撮影が行われた。

一般のスクリーンでは通常4秒くらいであるが、巨大なスーパー・シネラマのスクリーン(標準は35×90フィート/約11×28メートル)のカーテンは完全に開く、または上がるには22秒もかかり、これを考慮して"STANLEY KRAMER PRESENTS"という文字は中央に寄せてデザインされた。撮影は、『ベン・ハー』(Ben-Hur: A Tale of the Christ)(1959)で使われた「MGMカメラ65」と同類のウルトラパナビジョン70方式が採用され、これはプリズム式アナモフィックの「ウルトラパナター」レンズで左右方向のみ1.25:1の圧縮をかけて撮影し、映写時に同比率のアナモフィック・レンズで伸張することによって正像を映し出すというものである。

 For more information "It's a Mad Mad Mad Mad World" visit the IMDb

It's a Mad Mad Mad Mad World (1963) 
"Soundtrack Suite" (Ernest Gold)



It's A Mad Mad Mad Mad World (1963) "Documentary Story"



メデイア(The media)

Laserdisc

おかしなおかしなおかしな世界 (It's a Mad Mad Mad Mad World) (1963) レーザーディスク「70mm映画大全シリーズ」


(1997年,パイオニアLDC(株)(MGM Home Entertainment Inc.)カラー/NTSC,日本語字幕/英語,スコープ・サイズ,ドルビー・サラウンド・ステレオ,5面181分.この映画のオリジナル上映サイズ(1×2.6〜2.8)で収録されている。1950年代半ばから60年代末にかけて、通常の35ミリ・フィルムの倍の幅を持つ映画が観客を圧倒したことから、「70mm映画大全シリーズ」は、その70ミリ映画の魅力をレーザーディスクで甦らせるファン待望のシリーズとして製作された。収録作品には、トッドAO,スーパーテクニラマ,MGMカメラ65,スーパーパナビジョン,ウルトラパナビジョンで撮影された作品、また、70ミリ・プリントで撮影された作品、シネラマ作品などがある。

DVD Blu-ray

おかしなおかしなおかしな世界 (It's a Mad Mad Mad Mad World) (1963) DVD (Blu-ray)

(MGMHome Entertainment Inc.NTSC, AC-3,Dolby, Blu-ray, 言語:英語,字幕:英語, フランス語, スペイン語,リージョンA,画面サイズ:2.55:1,160 分)


 2 サーカスの世界 (Circus World) (1964) 
(スーパーシネラマ70方式)

DVD
ストーリーは、サーカスが黄金時代と言われた1910年代、アメリカのマスターズ・サーカス団長のマット(ジョン・ウェイン)は、今も、リリー(リタ・ヘイワース)を思い出していた。一座の花形フライイング・アルフレードが空中ブランコ演技中の墜落した後、その妻リリーは姿を消してしまった。残された娘のトニー(クラウディア・カルディナーレ)をマッドは父親代わりとなって育ててきた。

そして14年が経ち、トニーは美しい娘に成長した。マットは、サーカス運営の片腕であるキャップ(ロイド・ノーラン)の反対を押し切って、リリーがいると言われるヨーロッパでの巡業を計画し、成功を収めるが、船旅を終えたある港で大事故が起こり、船は転覆し、マットは、ほとんどを失ってしまった。だが、マットはヨーロッパでの再起を決意し、ウェスタン・ショウをやることにしたのだが・・・。

シネラマの技術的な成功で、ハリウッドでは白黒3本撮りの方式に代わって「テクニカラー」作品でも、1本の「イーストマンカラー」ネガを撮影に使用し、これから3色分解をするようになってきた。「シネラマ」に続いて『聖衣』(1953)で登場した「シネマスコープ」に代表される圧縮撮影方式や、正像撮影の「スーパースコープ」などが採用したプリンティング時の圧縮によるアナモフィック・プリントでは、映写時に左右方向だけがワイドスクリーン上で2倍伸張されるため、従来のスリー・ストリップ・カメラで撮影すると、レジストレーションの誤差から生じる色ずれも2倍に拡大されることになり、更にその欠点が目立ってしまう。また、屋外のローションなどに於ける機動性から考えても、白黒映画と同様に通常のカメラで撮影が出来る「イーストマンカラー」は非常に有利であった。やがて、MGMや20世紀フォックスのように自社系列の現像所で、「イーストマンカラー」を始めとする化学的発色法によるカラーの上映プリントを「メトロカラー」、「デラックスカラー」という名称を付けて、自ら作成するといったスタジオも現れた。

3色式カラー映画の市場をそれまで独占していた「テクニカラー社」だったが、様々なワイドスクリーン方式が登場し、大型映画の時代が到来すると共にカラー作品が増えたにも関わらず、皮肉なことにプリント受注が減少するという事態となって、そこで他社に無い独自の新方式「テクニラマ」を1956年に開発された。「テクニラマ」の第1作は、1957年公開の『モンテカルロ物語』である。

1963年に登場した1本70mmによる「スーパーシネラマ」方式は最初、「ウルトラパナビジョン70」が採用されたが、後に「スーパーパナビジョン」が主流となり、そして、「スーパーテクニラマ70」も撮影されるようになり、この方式による70mm「スーパーシネラマ」長編劇映画第1作となったのが『サーカスの世界』である。但し、日本では「スーパーシネラマ」ではなく通常の70mmで公開された。左右部分のみ圧縮をかけたシネラマ専用特殊プリントを、強湾曲の大スクリーンに映写する純正の「スーパーシネラマ」方式で上映された「スーパー・テクニラマ70」撮影による作品は以外に少なく、アメリカで公開されなかった2作目となる『黄金の首』(1964)と、日本でも「スーパーシネラマ」劇場で公開された『カスター将軍』(1967)だけである。また、『サーカスの世界』と『黄金の首』では1シークエンスが35mm3本の「スーパーシネラマ」で撮影された記録も残っている。

4000トンの巨艦が転覆するシーンは、廃船となる貨物船をバルセロナのパセオ・コロン港で実際に転覆させたが、70年間、大海を公開し続けた「カボ・フェルタス号」の燃料タンクは一旦全部空にされ、次いで埠頭から遠い方のタンクに300トンの水が注入された。 本番の合図で600人のエキストラが反対側に走ると共に、支えが解かれると、全長77メートルの巨艦は見事に転覆した。海上には海に落ちる人々の救助のため沿岸警備船や漁船、ジョン・ウエイン所有のランチ艦のほかに、7人のダイバーも待機していた。

本作は、1964年6月、『おかしなおかしなおかしな世界』に始まる70mmフィルム1本方式による「スーパーシネラマ」で上映されたが、期待したような成績は上げられなく、プロデューサーのサミュエル・ブロンストンの製作活動は、この作品で休止することになった。

日本では、1964年12月5日、新宿ミラノ座、渋谷パンテオン他で70mmで、ロードショー公開された。配給収入は2億円で、これは65年度第7位で、第1位は、「007/ゴールドフィンガー」で7億円だった。

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Circus World (1964) "Full Movie"



メデイア(The media)

Laserdisc

サーカスの世界 (Circus World) (1963)
 レーザーディスク「70mm映画大全シリーズ」

(パイオニアLDC(株),カラー/NTSC,日本語字幕/英語,スコープ・サイズ,ドルビー・サラウンド・ステレオ,3面142分.この映画のオリジナル上映サイズ(標準1×2.35)で、このディスクもほぼ同様なサイズで収録されている。)

DVD

サーカスの世界 (Circus World) (1963) DVD

(2003年,東北新社,カラー, ドルビー, ワイド・スクリーン,言語:英語,字幕:日本語,リージョン2,画面サイズ: 2.35:1,138分)



 3 偉大な生涯の物語 (The Greatest Story Ever Told ) (1965)
(ウルトラパナビジョン70方式)

DVD
ストーリーは、紀元前のイスラエル、ヘデロ王の圧政で民衆は苦しみに喘ぎ、いつか救世主があらわれることを信じていた。やがて、ベツレヘムの馬小屋で赤ん坊が生まれた。イエス・キリストと名付けられたその子こそ、待ち望んでいた救世主であると預言者のヨハネは宣言する。イエスは、数々の奇跡を起こし、救世主として崇め奉られ、神の言葉を広める為に伝道生活をおくり、人々に熱狂的に迎えられるが、しかし、そんな彼の存在を施政者たちは疎ましく思っていた。やがて、彼とその教えを信じる人々は弾圧を受けるようになるが・・・。

この作品は、新約聖書の福音書に基づいて、イエス・キリストの生涯を、ジョージ・スティーヴンスが、当時のハリウッドの名優、人気俳優をキャスティングして製作・監督した豪華絢爛で壮大なスケールと感動の歴史劇で、マックス・フォン・シドーがキリスト役でハリウッド・デビューし、チャールトン・ヘストンがバプテスマ(洗礼者)のヨハネ役を演じている。ジョージ・スティーヴンスは、2000年前のエルサレムと周辺の地域を再現するために、入念にロケ地を探して、最終的にアメリカ西部に適地を見つけ、巨大なセットを作って忠実に歴史を再現した。本編は70mmシネラマ「ウルトラ・パナビジョン70」システムで撮影され、アメリカでの公開は、1965年2月15日、日本では1965年9月4日に公開された。

本編の初公開時は、260分(4時間20分)という大作であったが、現在日本でDVDリリースされているバージョンは、199分または141分のカットバージョンのみであり、オリジナル版は未だにリリースされていないが、本品は、キリストの生誕から最後の晩餐、復活までを描いた壮大なスケールの一大叙事詩と言える映画である。「ウルトラパナビジョン70方式は、プリズム式アナモフィックの「ウルトラパナター」レンズで左右方向のみ1.25:1の圧縮をかけて撮影し、映写時に同比率のアナモフィック・レンズで伸張することによって正像を映し出すというものである。

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The Graetest Story Ever Told (1965) "Official Trailer"



メデイア(The media)

Laserdisc

偉大な生涯の物語
(The Greatest Story Ever Told)
(1965) レーザーディスク

(1990年、ワーナー・ホーム・ビデオ、NTSC,STEREO,4面199分)

DVD

偉大な生涯の物語 (The Greatest Story Ever Told) (1965) DVD

(2008年,20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン(株),"Limited Edition",カラー, ドルビー, DTS ステレオ, ワイド・スクリーン,リージョン2,画面サイズ: 2.35:1,199分)

リニューアルパッケージ

・UA90周年記念豪華12ページブックレット付き
・UA90周年記念ポストカード付き
・オリジナル劇場公開版の【65mm-6トラックステレオ】をハイビジョン・テレシネ化。



 4 ビッグトレイル (The Hallelujah Trail) (1965)
(ウルトラパナビジョン70方式) 

DVD
ストーリーは、1867年11月、デンヴァーでは酒が不足し、鉱山労働者たちはジュールスブルグから一冬分の酒、6百樽を幌馬車40台で運んでくる来ることを決議した。町一番の実業家のフランク・ウォリンガム(ブライアン・キース)が輸送隊長になったが、酒を狙うスー族から幌馬車隊を守るためにゲアハート大佐(バート・ランカスター)が指揮するラッセル砦の騎兵隊に護衛を依頼する。コーラ(リー・レミック)を婦人連盟は、禁酒を訴えて輸送阻止を図るが・・・。

本作は、ビル・ガリックの歴史小説を題材にしているが、同じ邦題の『ビッグトレイル』(原題The Big Trail)(Fox Film) は、1930年にラウール・ウォルシュが監督し、ジョン・ウエインが無名の新人時代に出演した映画で、内容は、幌馬車隊がミズリーを出発してから1年をかけて5000キロの道なき道を西へ西へと進み、あらゆる困難を克服し、やがて理想の天地にたどり着くというストーリーである。

『ビッグトレイル』(The Hallelujah Trail) (1965) のセットはパラマウント・スタジオ、ロケはニューメキシコ州ギャラップで撮影されたが、スタントマンの1人、ビリー・ウィリアムズが撮影中に事故死した。この作品はアメリカでは35mmスコープ版公開時"The Whisky Trail"という題名で宣伝されたのもあったようである。「ウルトラパナビジョン70」方式は、プリズム式アナモフィックの「ウルトラパナター」レンズで左右方向のみ1.25:1の圧縮をかけて撮影し、映写時に同比率のアナモフィック・レンズで伸張することによって正像を映し出すというものである。

大量の穿孔プラスチック・テープを垂直に張った特殊なシネラマ・スクリーンで当時ロードショーされた「ウルトラパナビジョン70」作品は意外と少なく、『おかしなおかしなおかしな世界』(1963)、『偉大な生涯の物語』 (1965)、『ビッグトレイル』 (1965)、『バルジ大作戦』 (1965) 、『カーツーム』 (1966)だけである。クレジット・タイトルの表記は"Ultra Panavision"という70の数字が入ってない作品が多い。

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The Hallelujah Trail (1965) "Full Movie"



メデイア(The media)


Laserdisc

ビッグトレイル(The Hallelujah Trail) (1965)
 レーザーディスク「70mm映画大全シリーズ」

(1996年,パイオニアLDC(株)(MGM/UA Home Entertainment Inc.)カラー/NTSC,日本語字幕/英語,スコープ・サイズ,ステレオ,デジタル・オーディオ,3面155min.)

DVD

ビッグトレイル (The Hallelujah Trail) (1965) DVD US-Vertion

(2002年,MGM,Import, Color, Widescreen, Subtitled,言語: 英語,字幕: フランス語, イタリア語, スペイン語, ポーランド語, ハンガリー語, ドイツ語, 英語,リージョン1,画面サイズ: 2.35:1, 165 分)


 5 バルジ大作戦 (Battle of the Bulge) (1965)
(ウルトラパナビジョン70方式)

DVD
ストーリーは、1944年12月、ヨーロッパの最前線のベルギーで、一方にクリスマス・パーティに勤しむ戦勝ムードのアメリカ軍が、他方に、「ガソリンは兵士より大切な国の血液」と背水の陣のドイツ軍が、アルデンの森を境に向かい合っていた。戦争終結を信じて疑わないアメリカ軍将兵にあって、ただ一人陸軍中佐のカイリー(ヘンリー・フォンダ)だけが、不気味な静けさの中に危機感を持っていた。偵察機による情報収集、ドイツ兵捕虜の尋問は、元刑事のカイリーにドイツ軍反撃の気配させるのに十分であった。しかし、グレイ少将(ロバート・ライアン)はじめ連合軍の司令官たちは、だれ一人カイリー中佐の意見を聞こうとはしなかった。一方、ドイツ軍の猛反撃を着々と準備が整っていた。

武勲の誉れ高いヘスラー大佐(ロバート・ショウ)率いる気鋭の軍団が、アメリカ戦車の2倍の威力を持つキング・タイガー戦車で、連合軍の防衛基地を寸断、占拠して燃料確保を狙う計画が極秘のうちに進められていたが・・・。

『バルジ大作戦』は、第二次世界大戦の西部戦線におけるドイツ軍の最後の大反撃に対する連合軍からの呼び名で、バルジ(Bulge)とは「出っ張り」を指す英語で、ドイツ軍の進撃により戦線の一部が突出したことからアメリカ軍が名付けた。特に戦車の戦闘シーンを扱ったアメリカ映画としては、最優秀作品と評価されている。だが、ロケは、当時のスペイン陸軍の装備を借りて撮影されているため、登場する戦車等は実際のドイツ軍とは相違している。併しながら戦車の台数は圧倒的に多く、ラストの戦車部隊同士の決戦は見事な出来栄えで、ドイツのティーガーII戦車の役はM47パットン戦車、アメリカのM4中戦車の役はM24軽戦車が務めている。

「ウルトラパナビジョン70方式は、プリズム式アナモフィックの「ウルトラパナター」レンズで左右方向のみ1.25:1の圧縮をかけて撮影し、映写時に同比率のアナモフィック・レンズで伸張することによって正像を映し出すというものである。

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Battle of the Bulge (1965) "Official Trailer HD"



メデイア(The media)

Laserdisc

バルジ大作戦(Battle of the Bulge)
(1965) レーザーディスク

(1989年,ワーナー・ホーム・ビデオ,カラー,モノラル,3面141分)


DVD

バルジ大作戦 (Battle of the Bulge) (1965) DVD

(2008年,ワーナー・ホーム・ビデオ,Color, Dolby, Limited Edition, Widescreen,言語: 英語, 日本語,字幕: 日本語, 英語,リージョン2,画面サイズ: 2.35:1,169 分)


 6 カーツーム (Khartoum) (1966)
(ウルトラパナビジョン70方式) 

DVD
ストーリーは、1883年のスーダン、狂信的な回教徒のリーダー、マーディ(ローレンス・オリビエ)によってイギリスの将軍と1万のエジプト人が殺害された。彼は民族の自由の名のもとに反乱を起こしている男であった。当時、スーダンを支配していたのはエジプトで、そのエジプトを統治していたのはイギリスで、困惑したイギリスの首相グラッドストンは、穏便に解決するため、ゴードン将軍(チャールトン・ヘストン)を派遣することになった。彼は過去6年間スーダンに居住したことがあり、奴隷売買の撤廃に尽力した国民的英雄であり、かつて中国でも内乱鎮圧に敏腕を発揮した実績があった。そして彼の補佐役としてスチュワート大佐(リチャード・ジョンソン)が選ばれ、ゴードン将軍は、任地に到着すると回教徒のリーダー、マーディと会見した。だが、和解の糸口は見つからないばかりか、マーディの殺戮は、ますます激しくなり、ゴードンのやり方に不満を抱く者も出てきたが・・・。

スーダンの首都カーツームで起こった回教徒の反乱軍とイギリス軍の戦いを史実に基づいて描いた戦争巨編で、本作が制作された年代には、他にヴィクトリア朝時代のイギリスの植民地主義を背景にした歴史もので義和団の乱を扱った『北京の55日』(55 Day at PEKING)(1963)やズールー戦争を描いた『ズール戦争』(Zulu)(1964)、それにクリミア戦争を扱った『遥かなる戦場』(The Charge of the Light Brigade)(1968)などががある。

「ウルトラパナビジョン70方式は、プリズム式アナモフィックの「ウルトラパナター」レンズで左右方向のみ1.25:1の圧縮をかけて撮影し、映写時に同比率のアナモフィック・レンズで伸張することによって正像を映し出すというものである。

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Khartoum (1966) "Full Movie"



メデイア(The media)


DVD

カーツーム(Khartoum) (1966) DVD

(2006年,ソニー・ピクチャーズエンタテインメント,Color, Dolby, Limited Edition, Widescreen,言語: 英語,字幕: 日本語, 英語,画面サイズ: 2.35:1,137 分)

DVD

カーツーム(Khartoum) (1966) DVD

(2011年,20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン,言語: 英語,字幕: 日本語, 英語,リージョン2,画面サイズ: 2.35:1,137 分)


Khartoum (1966) Blu-ray


 7 グラン・プリ (Grand Prix) (1966)
  (スーパーパナビジョン70方式)

DVD
『グラン・プリ』は、F1レースに命を賭ける4人のドライバーを主人公に、カー・レースのスピードと興奮をシネラマの大スクリーンに描いた大作で、モナコ、フランス、ベルギー、ドイツ、オランダ、アメリカ、メキシコ、イギリス、イタリアの9カ国で行われるレースの得点合計によって優勝が決まる。それぞれ国籍の異なる4人のレーサーを主人公にF1レースのスピードと興奮、レーサーの妻や恋人、そしてライバルとの人間ドラマを「シネラマ」の大画面に描いている。特筆すべきは、本田宗一郎と思われるモデルに日本の自動車メーカーの社長、矢村に扮する日本を代表する国際スター三船敏郎が出演している。

監督のジョン・フランケンハイマーは、完全なリアリズムを望んで、俳優に自ら運転してもらい、レース場面の背景をスクリーンプロセスやマット合成で行う事は考えてなく、ドキュメンタリー調で、しかもそれぞれのレースを異なる方法で撮影したかったと言っている。監督の注文でパナビジョン社は、超広角の17mmレンズや1000mmの望遠レンズを用意する事となった。そして、427コプラーとフォードGT-40が撮影車として使用され、GT-40の前後部に広角ぎみのショットを撮る為、50mmのレンズを装備した65mmカメラ、中央には主にドライバーのクローズアップを撮る為、360度のパンが可能なベルコ・エレクトロヘッドに固定したラジオコントロールの65mm手持ちカメラ(100mmレンズ装備)が取り付けられた。このラジコン・カメラの傍には小型のテレビ・カメラが付いており、車内に設置されたテレビ・モニターを見ながらオペレーターは操作を行った。このラジコン65mmをレーシング・カーに取り付けることにより、迫力あるレース場面を再現することが可能となった。また、ドライバーのヘルメット両側にカメラを組み込むなど、様々なアングルが追求された。ヘリコプターによる空中撮影では、90mm〜250mmズームレンズを装備したパナフレックス65mmレフレックス小型カメラを振動防止マウントに取り付け、オペレーターは無線で連絡を取りながら撮影した。

モンテカルロでは、ドイツ、フランス、イギリス、トルコ、オランダ、イタリア、スイスそしてアメリカのカメラマンたちが参加した18の撮影班が編成された。この外国人スタッフにMGMの技師フランク・スキャラッテイとゴードン・ミーガーは撮影監督のライオネル・リンドンと共にパナビジョン社の65mm機材の使用法を教えた。というのも、彼らはこの機材を一度も使ったことがなかったからである。使用されたカメラは、大型スタンダード・スーパーパナビジョン65mm2台、手持ち小型パナビジョン65mm4台、パナフレックス65mm1台、そしてミッチェルAC、ミッチェルBFC、アナモフィック35mmアリフレックスが各3台となっている。約5ヶ月、6ヶ国にわたって撮影され85万フィートを越える65mmイーストマンカラー・ネガが使用された。

Cinerama-Panavision70
スーパーパナビジョン70方式は、パナビジョン社が1959年に開発したもので、非圧縮65mmネガで撮影し、原則として密着焼きで正像の70mm非圧縮プリントを作成する方法で、『栄光への脱出』(Exodus) (1960) で初めて使われた。多くの70mm方式と同様、フィルム送り速度は24コマ/秒で1コマは5パーフォレーション(フィルムの両側にある送り穴一片面の数で表記)となっており、最終的に6チャンネル磁気ステレオ・サウンドトラックが付けられる。『南太平洋』(South Pacific)(1958)では「トッドAO」カメラに「パナビジョン」レンズを付けて撮影が行われたが、これは例外であったが、「トッドAO」方式の規格に準ずるもので、新シリーズの軽量レンズと、主に軽量小型の「ニューパナビジョン65mmカメラを使用する点が特徴となっている。この「スーパーパナビジョン70」は、最初「パナビジョン」と呼ばれて、第1作の『栄光への脱出』(1960)と2作目の『ウエスト・サイド物語』 (1961)のクレジット・タイトルでは"Panavision70"という表記になってる。併し、3作目の『アラビアのロレンス』 (1962)以降、"Super Panavision70"もしくは、"Super Panavision"というクレジット・タイトルに統一された。そして混乱を招く結果となった『枢機卿』 (1963)から始まる35mm「パナビジョン」(スコープ)撮影ネガからブローアップ(拡大焼付け)70mmに再び「パナビジョン70」という全く同じ名称がが付けられた。但し、この35mmのものはクレジット・タイトルには"Panavision"としか出てこない。

「スーパーパナビジョン70」は『グラン・プリ』 (1966) で初めて、スーパーシネラマ劇場での公開を前提とした70mm映画の撮影に採用された。 「スーパーパナビジョン70」で撮影した場合は非圧縮ネガからプリント作成時に天地方向を幾分切って、画像の左右部分だけに圧縮をかけることにより、特別な「スーパーシネラマ」専用プリントを作成する。この手法は「ディメンション150方式」(『天地創造』(1966)、『パットン戦車軍団』(1970)の2作品のみ)の純正専用プリント作成過程と同様である。この特殊なプリントをシネラマ社の専用映写レンズで、大量の穿孔プラスチック・テープを垂直に張った146度もしくは120度の強湾曲スクリーンに投影するものであった。巨大な湾曲シネラマ・スクリーンに映写された映像は、厳密にいうとスクリーン中央では正像よりも左右が少し伸張された感じとなる。左右の部分ではプリント作成時に圧縮をかけているにもかかわらず、通常よりも横方向が若干伸張されているように見える。しかし、全体として決して見苦しいほど不自然ではなかった。

70mm「スパーシネラマ」方式で上映される作品が「ウルトラパナビジョン70」から「スーパーパナビジョン70」に移行したのは、「スーパーパナビジョン70」は非アナモフィックなので、アナモフィック方式の「ウルトラパナビジョン70」よりも撮影が楽であったのと、シネラマ劇場以外に通常の70mm(非アナモフィック)映写設備を持った劇場に正像の密着プリントを簡単に作成し、供給が可能であったからである。

<スーパーパナビジョン70方式で製作されたリスト>

『栄光への脱出』(Exodus) (1960) アメリカ映画 ユナイト
『ウエスト・サイド物語』(West Side Story) (1961) アメリカ映画 ユナイト
『アラビアのロレンス』(Lawrence of Arabia) (1962) アメリカ映画 コロンビア
『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady) (1964) アメリカ映画 ワーナー
『シャイアン』(Cheyenne Autumn) (1964) アメリカ映画 ワーナー
『ロード・ジム』(Lord Jim) (1965) アメリカ映画 コロンビア
『チキ・チキ・バン・バン』(Chitty Chitty Bang Bang) (1968) アメリカ映画 ユナイト
『ライアンの娘』(Ryan's Daughter) (1970) アメリカ映画 MGM

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Grand Prix (1966) "Full Movie"



メデイア(The media)


Laserdisc

グラン・プリ(Grand Prix) (1966) 
レーザーディスク「70mm映画大全シリーズ」

(1996年,パイオニアLDC(株)(MGM/UA Home Entertainment Inc.and Tuner Entertainment Co.)カラー/NTSC,日本語字幕/英語,スコープ・サイズ,STEREO,デジタル・オーディオ,3面178分.この映画のオリジナル上映サイズは、スコープ・サイズ(標準1×2.35)で、このディスクもほぼ同様なサイズで収録されている)

DVD Blu-ray

グラン・プリ (Grand Prix) (1966) DVD (Blu-ray)

(2011年,ワーナー・ホーム・ビデオ,カラー,ワイド・スクリーン,言語: 英語, 日本語,字幕: 日本語, 英語,リージョンA,画面サイズ:2.35:1,176 分)


 8 カスター将軍 (Custer of the West) (1967)
(スーパーテクニラマ70方式)

DVD
ストーリーは、南北戦争で北軍の勝利に尽力したジョージ・カスター(ロバート・ショウ)は、終戦時には名誉少将になっていたが、彼のよき理解者であるフィリップ・シェリダン将軍(ローレンス・ティアニー)は、戦後の平和な社会には向かないカスターを西部に派遣し、インディアン討伐の任務を与えたので、カスターは妻のエリザベス(メアリー・ユーア)と共に第7騎兵隊に着任した。

その騎兵隊には実践経験が豊富なベンティーン中尉(ジェフリー・ハンター)と新任のハウェル中尉(チャールズ・スタルネーカー)の2人の副官ほか、優秀な将兵が揃っていたが、ただひとり、呑んだくれのマーカス・リノ少佐(タイ・ハーディン)だけがカスターの気にかかった。ある日、彼はシャイアン族討伐で追撃をかさねて撃滅させたが、酋長"Dull Knife"(なまくらナイフ)(キーロン・ムーア)だけは、とり逃がしてしまった。
その後もシャイアン族は白人に残虐な事件や鉄道の列車転覆などが起こった。その責任を問われカスターは解任されたが、妻のエリザスがカスターが筆致した大統領宛ての手紙を別の手紙にすりかえて送った。やがて、真意を知った大統領は、カスターを再びダコタのリンカーン砦にある第7騎兵隊の司令官に復帰させたのだが・・・。

本作は新式のスーパーシネラマ(Super Cinerama)(70mm×1本、フィルム送り速度24コマ/秒) で製作され、シネラマに相応しい画像構成になっているが、特に森林で伐採された木材を搬送する手段として、大きな木製の樋で急峻な川のように木材が運ばれるシーンや、列車がインディアンに襲われるシーンでは列車との連結が外された客車が猛烈なスピードで逆走し、燃えさかる木製の橋から転落するが、暴走シーンなどは『西部開拓史』の列車暴走シーンを連想させる。

インディアン討伐用のガトリング銃2機を備えた鉄板の厚さが2インチもある装甲車両が登場したりするが戦闘には使用されない。映画ではカスターがリトル・ビッグホーンで戦死するまでを描いているが、カスター将軍を描いた作品には、ワーナーが1942年に製作し、監督がラウール・ウォルシュ、エロール・フリン、オリヴィア・デ・ハヴィランドが出演したのもあり、また1971年に製作された『小さな巨人 』(Little Big Man)(1971)でもカスター隊の全滅が描かれいてる。

この作品でのジャック・クラブ(ダスティン・ホフマン)は、インディアンに両親を殺され、シャイアン族のひとりである「見える影」(ルーベン・モレノ)に見つけられ、部落へ連れて行かれる。やがて、仲間から「小さな巨人」と呼ばれるまでになるが、インディアンと騎兵隊との戦闘で彼は白人に捕らえられ、その後、白人社会で生活するようになる。それは、インディアン撲滅に異常な執念を燃やすカスター将軍を押さえるためでもあった。ある日、ジャックはカスター将軍に再び偵察員に志願するが、カスターは自分を憎んでいる男をあえて雇い、部下の反対を押しきって、彼の意見を聞くのだが、結果的にインディアンの罠にかかり、まんまと両部族の間におびき寄せられ、カスター将軍の率いる第七騎兵隊が全滅してしまう。この有名な史実を題材にしたのが『小さな巨人』でもある。

リトルビッグホーンの戦い(Battle of the Little Bighorn)は、1876年6月25日にアメリカ合衆国のモンタナ州リトル・ビッグホーン川流域で行われたが、これは白人側の呼称であって、インディアン側の呼称は、「グリージーグラス川の戦い」(Battle of the Greasy Grass)と言う。カスター率いる第七騎兵隊は、構成員が東欧などから移民たちで、士気はかなり低下していた。部下のベンティーン大尉が軍事裁判で提出したカスターが最後に書き残したメモには、弾薬の包みを持ってきてくれとあり、後に裁判で吊るし上げになったリノは、第七騎兵隊は一人につき124発しか装備しておらず、輸送馬車には2万4000発以上の弾薬が残してあったと証言している。

インディアン側は、戦場に残された薬莢の数から考えて、カスター隊は45口径の単一のカートリッジを使用していたので、それ以外の弾丸や薬莢は全てインディアン部隊のものと判断され、カスター隊の4倍もの銃を装備し、その種類は極めて多彩であった。上記の調査からも47種類以上の銃が使用されていたと考えられている。カスター隊が単発式のスプリングフィールドM1873を使用していたのに対し、インディアン側は威力や射程距離や命中精度では劣るものの連射速度で遙かに勝るヘンリー連発銃(ウィンチェスターライフルの原型)や弓矢、戦斧を使用しての接近戦を挑み、カスター隊の唯一の長所を帳消しとした。また、先込め式の旧式銃も多く、地面に落ちた弾丸を詰め直して撃つことも出来た。その結果、戦闘は始まると同時に一方的な展開となり、カスター隊は2時間と経たないうちに追い詰められて全滅することとなった。インディアン達は慣れ親しんだバッファロー狩りのテクニックを応用し、騎兵隊を分散・孤立化させ、追いつめたのである。

「スーパー・テクニラマ70」は、35mmスコープ(アナモフィック・圧縮プリント)で最高の画質を誇った「テクニラマ」を基本とし、それを応用して70mm方式に発展させたものである。65mm幅のネガを垂直走行させて撮影を行う他の70mm方式と異なり、「ビスタビジョン」と同じ水平走行による35mm幅のネガを撮影に採用していることが、最大の特徴である。

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Custer of the West (1967) "Full Movie"



メデイア(The media)


DVD US-Vertion

Custer of the West (1966) DVD US-Vertion

(2004,MGM,Multiple Formats, Color, Letterboxed, NTSC, Subtitled, Widescreen,Language: English (Dolby Digital 2.0 Mono),Subtitles: English, Spanish, French,Region 1,Aspect Ratio: 1.85:1,141 minutes)


 9 2001年宇宙の旅 (2001: A Space Odyssey) (1968)  
(スーパーパナビジョン70方式)(一部トッドAOを併用)


DVD
ストーリーは、遠い昔のアフリカ、ヒトザルが他の獣と変わらない生活を送っていた頃、謎の物体がヒトザル達の前に出現し、やがて1匹のヒトザルが謎の物体の影響を受け、動物の骨を武器として使う事を覚えた。獣を倒し多くの食物を手に入れられるようになったヒトザルは、反目する別のヒトザルの群れに対しても武器を使用して殺害し争いに勝利する。時は過ぎ、月に人類が住むようになった現代、アメリカ合衆国宇宙評議会のヘイウッド・フロイド(ウィリアム・シルベスター)博士は、月のティコクレーターで発掘した謎の物体「モノリス」を極秘に調査するため、月面クラビウス基地に向かう。調査中、400万年ぶりに太陽光を浴びたモノリスは強力な信号を木星(小説版では土星)に向けて発したが・・・。

この映画が作られた1968年という年は、人類の宇宙進出上画期的な年で、アポロ8号が始めて地球軌道を脱して、月まで飛び、月の周りを10周して帰還することに成功したのがこの年であった。ソビエトのガガーリンが人類史上はじめて宇宙飛行に成功したのは、1961年のことであった。それからたった7年で、人類は月まで飛んでしまったのである。この頃のアメリカは宇宙計画に惜しみなく資金を注ぎ込み、宇宙科学者たちの夢は留まることなく膨らんで行った。アポロ計画の次には、スペース・ステーションを建設し、月にも基地を建設、惑星間飛行にも乗り出そうとする未来計画が次々と具体的に検討されていた。

『2001年宇宙の旅』 は、その当時の最新の宇宙計画研究の成果を技術的な下敷きにして作られている。テアトル東京(東京)、OS劇場(大阪)など日本公開での大規模映画館ではスーパーパナビジョン70方式シネラマで上映された。また名古屋の中日シネラマ劇場ではオーバーチュアの部分に3色のライトを回しながらスクリーンに写し出すと言うオリジナルには無い演出をした。更に、テアトル東京の劇場前広場には、公開から暫らくして、黒色モノリスのほぼ実物大の模型が宇宙服の人形と共に展示された。

「スーパーパナビジョン70」方式は、パナビジョン社が1959年に開発したもので、非圧縮65mmネガで撮影し、原則として密着焼きで正像の70mm非圧縮プリントを作成する方法で、多くの70mm方式と同様、フィルム送り速度は24コマ/秒で1コマは5パーフォレーションとなっており、最終的に6チャンネル磁気ステレオ・サウンドトラックが付けられる。「トッドAO」方式の規格に準ずるもので、新シリーズの軽量レンズと、主に軽量小型の「ニューパナビジョン65mmカメラを使用する点が特徴となっている。

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2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)(1956)
"Soundtrack"
(Aram Khachaturian, Richard Strauss...)




2001: A Space Odyssey(1956)
"Official Re-Release Trailer" (2014)




メデイア(The media)


Laserdisc

2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)
(1968) レーザーディスク

(1983年,レーザー・ディスク(株)製造,パイオニア(株)販売,(MGM/UA Home Entertainment Group,Inc),カラー,STEREO,日本語字幕,3面139min.)

DVD Blu-ray

2001年宇宙の旅 (2001: A Space Odyssey) (1968) DVD (Blu-ray)

(2015年,ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント(株),初回限定生産,Limited Edition,リージョンフリー,148分,)



 10 北極の基地・潜航大作戦 (Ice Station Zebra) (1968)
(スーパーパナビジョン70方式)

DVD
ストーリーは、ソ連の人口衛星カプセルが北極に落下した後、落下地点付近のイギリス気象観測基地から救助を求める信号が発せられた。生存者救出のため、悪天候で飛行機が近づけない極地に向けてファラデー艦長(ロック・ハドソン)の指揮するアメリカ原子力潜水艦タイガーフィッシュ号はスコットランド港を出港するのだが・・・。

超性能のイギリス製カメラに超感度のアメリカ製16ミリ・フィルムを載せて、ソ連の人工衛星が地球を回っているが、500キロの上空からマッチ箱が写せるという性能を持っているが、この事件の発端は、このカメラやフィルムも、ソ連が盗み出したものであった。 衛星は、日に7回アメリカの上空を飛んで、軌道上から同国のミサイル基地を撮影し続けているが、カメラは必然的にソ連のミサイル基地をも、同様に撮影しており、そこで、このフィルムの回収をめぐり、熾烈な米ソの斗争が起こる。ソ連は衛星操作の手違いから、問題のフィルムを北極の氷原にあるイギリス気象観測基地で回収しなければならなくなった。基地は時ならぬ火災や爆発のため、全滅の危機にさらされ、観測隊員救出の名目で、アメリカの原子力潜水艦が氷原の下をくぐって海から現地に急行する。ソ連は天候の回復を待って、ジェット機の編隊を発進させ、フィルムは渡せないと、双方の執念は、民間の学術的気象観測基地を全面戦争の危険に晒されることになる。

『北極の基地・潜航大作戦』は『2001年宇宙の旅』(1968) に続いて公開されたシネラマ作品で、日本では1968年12月21日からMGMの配給により、スーパーシネラマ・シアターのテアトル東京(東京)とOS劇場(大阪)でロードショー興行が行われた。配給収入は1億8千万を挙げ、60年度配収ベストテン第10位となったが、第1位は『ブリット』の4億4千万であった。

「スーパーパナビジョン70」方式は、パナビジョン社が1959年に開発したもので、非圧縮65mmネガで撮影し、原則として密着焼きで正像の70mm非圧縮プリントを作成する方法で、多くの70mm方式と同様、フィルム送り速度は24コマ/秒で1コマは5パーフォレーションとなっており、最終的に6チャンネル磁気ステレオ・サウンドトラックが付けられる。「トッドAO」方式の規格に準ずるもので、新シリーズの軽量レンズと、主に軽量小型の「ニューパナビジョン65mmカメラを使用する点が特徴となっている。

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Ice Station Zebra (1968) "Music Suite HD"



メデイア(The media)


Laserdisc

北極の基地・潜航大作戦(Ice Station Zebra) (1968)
 レーザーディスク「70mm映画大全シリーズ」

(1997年,パイオニアLDC(株)(MGM Home Entertainment Inc.)カラー/NTSC,日本語字幕/英語,スコープ・サイズ,ドルビー・ステレオ,3面15min.この映画のオリジナル上映サイズは、スコープ・サイズ(標準1×2.35)で、このディスクもほぼ同様なサイズで収録されている)

DVD

北極の基地・潜航大作戦 (Ice Station Zebra) (1968) DVD

(2005年,ワーナー・ホーム・ビデオ(株),カラー, ドルビー, ワイド・スクリーン,リージョン2,画面サイズ: 2.35:1,151分)



 11 マッケンナの黄金 (Makenna's Gold) (1969)
(スーパーパナビジョン70方式)  

DVD
これは、アパッチ族の昔話、馬で砂漠を旅していた男がアリゾナで1羽のハゲタカに出会った。男はハゲタカに聞いた「なぜここにいる?」「バドリー・バーグの上を飛んでいたお前を避けて「回り道したのに」。ハゲタカは言った。「あの町はただ通り過ぎただけで」「あんたがここに来るのを待っていたのさ」南西部には1000年前からアパッチの伝説がある。誰も知らぬ谷に、アパッチ族の神が守る黄金があるという。この谷の秘密を守り黄金に触れなければ、アパッチ族の勢力は保たれる。そういう伝説だった。

スペイン征服者たちが伝説の黄金を求めて、この地にやって来たが、見つけることは出来なかった。300年後にやって来たアメリカ人は、伝説に出てくる谷を、「失われたアダムズ」と呼んだ。谷を見たと言われる男アダムズが由来だが、その谷を見ることが二度となかった。それはアパッチ族に両目を焼かれたからだ。多くの人々はこの言い伝えを信じた黄金の谷「失われたアダムズ」が、1874年の世の中には、新たな名前で呼ばれた。それは「マッケンナの黄金」とテロップが流れる。

映画はコンドルの目を通して見た西部の大景観から始まる。1872年のアメリカの南西部、キャニオンにある小屋には、アパッチの隠された黄金を探し求める無頼漢のコロラド(オマー・シャリフ)、騎兵隊上がりのディブス(テリー・サヴァラス)などの部下の一味、それに、黄金の谷への道を知っていて捕らわれた保安官のマッケンナ(グレゴリー・ペック)などがいた。

コロラドは古くからの因縁でマッケンナへに復讐しようとしているが、殺せば黄金の谷への道が分からなくなり、コロラドは苛立っていたが、もう1人捕らわれていた娘のインガ(カミラ・スパーブ)の父親である判事は、少し前にコロラドに殺害されていた。マッケンナの昔の恋人であるヘシュ・ケ(ジュリー・ニューマー)は、マッケンナの気持ちがインガに傾いているのを悟り、いつかインガに復讐しようとしている。こうした彼らには共通の敵であるアパッチ族の襲来を防がねばならない。そこへ更に黄金にとりつかれた町の住人たちが現れ、黄金を求めて集まった20名ばかりの男女の人間関係は、二重、三重になって、複雑に絡み合っていくが・・・。

本作でのコンドルの目に擬しての空中撮影は、人間の不毛の戦いを見つめると同時に作品にスケール感を与えている。赤茶けた肌(鉄分を多く含む土壌が雨で錆び赤茶けになる)を晒す岩山、乾ききった大峡谷、黄塵が吹き抜ける荒野、撮影はオレゴン、アリゾナ、ユタ、カルフォルニアの四州にわたって行われたが、西部ならではの大景観が、この空中撮影で見事に捉えられている。アメリカ西部劇は、ハードな残酷さを売り物としたイタリア製西部劇のマカロニ・ウエスタン・ブームが終焉も近くなった1968年に、本作は制作された。西部を舞台にした冒険譚の映画に、J・リー・トンプソン監督はアメリカならではの西部を大スクリーンに出現させたかったと思われるが、そのアメリカ映画人としての意地が、映画をより壮大なものにした。1450万ドル(52億2千万)の予算は、撮影半ばにして吹っ飛んでしまいプロデューサーであったカール・フォアマンをふて腐られたというエピソードが残っている。

マッケンナに扮したグレゴリー・ペックが荒野を馬にまたがり一人でやってくるシーンのために、400人のスタッフが動員され、4台のヘリコプターが使われといった記録も残っている。その他に、主人公たちが埃を泳いで流すシーンの瑚は、ダイナマイトで岩を吹き飛ばして水を引き込んだもので、濁水を青々とした水に変えるため洗濯用のブルー洗剤を山のように溶かし込んだ。「楽しくなけりや・・・じゃない」は一時期テレビのキャッチ・フレーズだが、映画もまたしかり、次第に緊張感を高めていく人間ドラマで、大西部の壮大な景色や躍動感がたっぷりのアクション・シーンで興奮させつつ、クライマックスの地震による大々的な屋台くずしと、一瞬たりとも飽きさせず、悪は滅び、善は栄える勧善懲悪の冒険大活劇である。

「スーパーパナビジョン70」方式は、パナビジョン社が1959年に開発したもので、非圧縮65mmネガで撮影し、原則として密着焼きで正像の70mm非圧縮プリントを作成する方法で、多くの70mm方式と同様、フィルム送り速度は24コマ/秒で1コマは5パーフォレーションとなっており、最終的に6チャンネル磁気ステレオ・サウンドトラックが付けられる。「トッドAO」方式の規格に準ずるもので、新シリーズの軽量レンズと、主に軽量小型の「ニューパナビジョン65mmカメラを使用する点が特徴となっている。(アメリカでは、"スーパーシネラマ"(新式)で上映を計画していたが70mm上映のみ)

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Makenna's Gold (1969) "Canyon of Gold"



メデイア(The media)


Laserdisc

マッケンナの黄金(Makenna's Gold)
(1969) レーザーディスク

(RCAコロムビア・ピクチャーズ・ビデオ(株)発売,レーザー・ディスク(株)製造,パイオニア(株)販売,カラー,STEREO,日本語字幕,3面124分)

DVD

マッケンナの黄金 (Makenna's Gold) (1969) DVD

(2015年,Happinet,ワイド・スクリーン,リージョン2,言語:英語,日本語,字幕:日本語,英語,画面サイズ: 2.35:1,128分)



 12 ジャワの東 (Krakatoa; East of Java) (1969)
(スーパーパナビジョン70方式)

DVD
ストーリーは、1883年、シンガポール港のドックには汽船バタビア・クイーン号が停泊し、船長のクリス・ハンソン(マクシミリアン・シェル)が乗船する人々をチェックしていた。乗客は、気球の冒険家レオンカバロ・ボーギス(ロッサノ・ブラッツイ)と息子(サル・ミネオ)、日本人海女のトシ(ジャクイ・チャン)たちに潜水器を考案した科学者リグビー(ジョン・レイトン)のほかに30人の囚人たちと、最後に歌手のチャーリー・アダムス(バーバラ・ウェール)、潜水夫ハリー・コネリー(ブライアン・キース)、そしてローラ(ダイアン・ベーカー)が乗船して来た。

彼らはシンガポールを経て地図にない大海を渡り、地上最大の火山クラカトア島の冒険に行くのであるが、目的はその島で行方不明になったローラの夫の捜索と高価な宝物の入った箱を捜し出すことであった。ハンソン船長は人手不足から囚人の中からダンジク(J・D・キャノン)を特別扱いにし、旅行中は自由にさせた。船は出航したが、船内ではさまざまな人間模様が展開され、ローラが夫の行方不明で精神錯乱し、精神病院に入っていたことも暴露された。そんなことから何人かの乗客は船をシンガポールに戻すことを望んだのだが、ハンソン船長は宝物を必ず発見して、皆に分け前を与えることを約束し、動揺を抑えたであったが・・・。

シネラマの技術的な成功で、ハリウッドでは白黒3本撮りの方式に代わって「テクニカラー」作品でも、1本の「イーストマンカラー」ネガを撮影に使用し、これから3色分解をするようになってきた。「シネラマ」に続いて『聖衣』(1953)で登場した「シネマスコープ」に代表される圧縮撮影方式や、正像撮影の「スーパースコープ」などが採用したプリンティング時の圧縮によるアナモフィック・プリントでは、映写時に左右方向だけがワイドスクリーン上で2倍伸張されるため、従来のスリー・ストリップ・カメラで撮影すると、レジストレーションの誤差から生じる色ずれも2倍に拡大されることになり、更にその欠点が目立ってしまう。また、屋外のローションなどに於ける機動性から考えても、白黒映画と同様に通常のカメラで撮影が出来る「イーストマンカラー」は非常に有利であった。やがて、MGMや20世紀フォックスのように自社系列の現像所で、「イーストマンカラー」を始めとする化学的発色法によるカラーの上映プリントを「メトロカラー」、「デラックスカラー」という名称を付けて、自ら作成するといったスタジオも現れた。

「スーパーパナビジョン70」方式は、パナビジョン社が1959年に開発したもので、非圧縮65mmネガで撮影し、原則として密着焼きで正像の70mm非圧縮プリントを作成する方法で、多くの70mm方式と同様、フィルム送り速度は24コマ/秒で1コマは5パーフォレーションとなっており、最終的に6チャンネル磁気ステレオ・サウンドトラックが付けられる。「トッドAO」方式の規格に準ずるもので、新シリーズの軽量レンズと、主に軽量小型の「ニューパナビジョン65mmカメラを使用する点が特徴となっている。

「パナビジョン70」とは、パナビジョン・アナモフィック・レンズで撮影した35mm圧縮映像ネガ(圧縮比2:1)をオプティカル・プリンティングの際に同比率で拡張した正像に戻すと共にブローアップ(拡大焼付け)して70mm上映プリントを作成する方法で、この6本磁気ステレオ・サウンドトラック付きの70mmプリントの画郭寸法は「「スーパーパナビジョン70」と同様のもので、ネガから画像を焼き付けたサウンドトラックなしのポジ縦横比率は1×2.21、この左右両端部に磁気サウンドトラック用の磁粉と塗布するので、ポジ画像の横方向が幾分狭められ、最終的に縦横比率が1×2.05となる。

本来、画面(アパーチュア)縦横比率が1×2.35の35mmスコープの原版を70mmの1×2.20にするため、フレームの縦方向に画像を合わせ、これを1とすると、横方向ではネガの左右両端がそれぞれ0.075ずつスクリーン上で合計0.15削られる結果となる。この損失部部分は僅かであり、監督や撮影者に構図を決定する際、特に考慮する必要はなく、このことは、35mmでそのまま公開するか70mmにブローアップ(拡大)して公開するかは、撮影前には決定することも無く、単に35mmのパナビジョンで撮影して映画を完成させた後、70mm公開となればその時点で現像所に70mmプリントを発注出来た。このようは臨機応変な処置が可能となると製作者たちにとっては非常に有利であった。

この時代に全世界で70mmの設備を持った劇場が急激に増えたのは、ブローアップ70mmが普及し、この方式で数多くの作品が作られたことによるもので、アメリカ以外の多くの国では映画の入場料の上限」が決められていたが、70mm興行は35mmと較べ高額となっていた。

メキシコでは70mmは35mmの2倍の料金が許可され、この事はアメリカの製作者たちにとっては、外国での70mmの上映にすれば大きな収益を得る可能性があることを意味し、これは結果として、ブローアップ70mmが広まった一因ともなったと思われる。日本では「パナビジョン」邦画第1作『御用金』(1969)で、ブローアップ70mmプリントによる公開されることが検討されたが、結局35mmスコープ版のみで上映となり、『激動の昭和史・軍閥』が「パナビジョン35」で撮影された本邦初のブローアップ70mm映画となった。

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Krakatoa; East of Java (1969) "Full Movie"



メデイア(The media)


DVD US-Vertion

Krakatoa; East of Java (1969) DVD US-Vertion

(2005,Cinerama Releasing Corporation,Closed-captioned, Color, Letterboxed, NTSC, Subtitled, Widescreen,Language: English,Subtitles: English, French, Spanish,Region 1,Aspect Ratio: 2.35:1,131 minutes)



 13 ソング・オブ・ノルウェー (Song of Norway) (1970)  

(スーパーパナビジョン70方式)(日本では70mm上映のみ) 

DVD
ストーリーは、1860年、ノルウェーの若き作曲家エドワード・グリーグ(トラルフ・モースタット)は政府の援助で更にローマで勉強を続けたいと希望していたが、彼はある音楽祭へ行く途中にテレーズ(クリスチーナ・ショリン)という娘と出合った。彼女は父が主催する次回の音楽会に、父に黙ってグリーグを出演させようとしたが、其れを知った父は、妨害しようとした。テレーズは、父がグリーグのために独演会を開いてくれるなら、自分に勧めている男との交際を承知すると条件に出し、開かれた演奏会は大成功裡に終了した。テレーズはグリーグとの交際を止められた。やがて、グリーグはコペンハーゲンへと旅たったが・・・。

シネラマの技術的な成功で、ハリウッドでは白黒3本撮りの方式に代わって「テクニカラー」作品でも、1本の「イーストマンカラー」ネガを撮影に使用し、これから3色分解をするようになってきた。「シネラマ」に続いて『聖衣』(1953)で登場した「シネマスコープ」に代表される圧縮撮影方式や、正像撮影の「スーパースコープ」などが採用したプリンティング時の圧縮によるアナモフィック・プリントでは、映写時に左右方向だけがワイドスクリーン上で2倍伸張される。 そのため、従来のスリー・ストリップ・カメラで撮影すると、レジストレーションの誤差から生じる色ずれも2倍に拡大されることになり、更にその欠点が目立ってしまう。また、屋外のローションなどに於ける機動性から考えても、白黒映画と同様に通常のカメラで撮影が出来る「イーストマンカラー」は非常に有利であった。やがて、MGMや20世紀フォックスのように自社系列の現像所で、「イーストマンカラー」を始めとする化学的発色法によるカラーの上映プリントを「メトロカラー」、「デラックスカラー」という名称を付けて、自ら作成するといったスタジオも現れた。

この作品は、ノルウェーの作曲家エドワード・グリーグの半生を、美しい背景と楽しい音楽で描いたミュージカル映画。エドワード・グリーグ(Edvard Grieg)は、1843年、ノルウェーのベルゲンで生れた。ライプツィヒ音楽院を卒業後、コペンハーゲンでソプラノ歌手ニーナと結婚。クリスチャニアのフィルハーモニー協会の指揮者を務めヴァイオリン・ソナタや、ピアノ曲「抒情小曲集」を作曲し、代表作となるピアノ協奏曲が作曲、更に1870年にはイタリアでリストに激励を受け、詩人イプセンの依頼により、グリーグの代表作劇音楽「ペール・ギュント」を作曲している。その実績から、グリーグは後に「北欧のショパン」とまで呼ばれるようになった。

「スーパーパナビジョン70」方式は、パナビジョン社が1959年に開発したもので、非圧縮65mmネガで撮影し、原則として密着焼きで正像の70mm非圧縮プリントを作成する方法で、多くの70mm方式と同様、フィルム送り速度は24コマ/秒で1コマは5パーフォレーションとなっており、最終的に6チャンネル磁気ステレオ・サウンドトラックが付けられる。「トッドAO」方式の規格に準ずるもので、新シリーズの軽量レンズと、主に軽量小型の「ニューパナビジョン65mmカメラを使用する点が特徴となっている。

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Song of Norway (1970) "Trailer"



メデイア(The media)


DVD Import-Vertion

Song of Norway (1970) DVD Import

(2002,Fremantle,Language: English,Subtitles: English, French, Spanish,Region 1,Aspect Ratio: 2.35:1,138 minutes)