戻ります
■スペーサー






青少年に推薦したい映画100作品

優れた音楽は国境を超え、年齢や性別を問わず、あらゆる人々の心を深く感銘させ、強く心を動かし、そして潤いをもたらすものだと思う。それが感性の豊かな青少年の心に届き、響いたとき、人間本来の優しい心の花が開くのではないだろうか? 心を躍らせる映像作品にも同じことが言えよう。アメリカ映画には、脚本に優れ、洗練された演出やスターたちの輝く魅力によって、楽しいだけでなく、夢や希望、それに人生の指針となるような作品が数多くある。総じて、息苦しさがなく、ゆったりして豊か、そして活力が漲り、明るさがあるのだ。まさにハリウッドは、夢や願望に溢れた作品の夢工場と云われるのも頷ける。 一方、ヨーロッパ、とりわけイギリス映画は、昔からドキュメンタリー・タッチの伝統があり、たとえフィクションで製作されても、そこには自分たちの生きている社会の実相を反映させた作品など数多くある。ドイツのナチ以前の映画には、ため息が出るほどの素晴らしさがあり、フランスやイタリア映画には、驚嘆するほどまでに芸術的に昇華させ、そして甘美でシリアスな作品などが数限りなくある。

現実を逃れ映画に夢を求めるという時代から、時代の変遷とともに、新しいジェネレーションの活動が台頭し、現代の感覚で、現代の社会情勢に即した作品が競って送り出されるようになったが、ここ数年、ハリウッド映画も新しい感覚で魅力ある作品も制作されている。中国や韓国、勿論、日本にも感動を呼ぶ優れた作品が沢山あり、国を問わず製作される映画には、夢や希望が込められている作品も少なくない。その希望からは、いつしか新しい世代が誕生すると思われる。映画が作られて100年以上が経過した今日、綺羅星のごとくある映画の中から、若い人たちに推薦したい100作品を選んでみた。これらの作品で心を揺さぶり、琴線を震わせたいと願うものである。名作映画に触れることで、きっと、人間性豊かに、優しく思いやりのある心の花が開くものと信じるからである。映画鑑賞は、なるべく大きなスクリーンで、多くの人たちと鑑賞することで、より一層の感動が得られるが、 ここに推薦する作品はすべて「G」区分の作品である。


<ご参考>
日本には、映倫管理委員会(略称:映倫)(Film Classification and Rating Committee)という組織があり、映画作品内容を審査し、レイティング設定等を行う自主規制の組織である。この組織に加入している映画館は、映倫通過の映画のみ上映する事になっているが、それは、映画の内容の道徳的低下を防ぐためで、映画界が自主的に設定している基準要綱で昭和24年(1949)に発足した。

映画鑑賞における年齢制限について
「G」は、年齢にかかわらず誰でも鑑賞できる。
「PG12」は、12歳未満の年少者の鑑賞には、親または保護者の助言、指導が必要。
「R15+」は、15歳未満は鑑賞禁止。
「18+」は、18歳未満は鑑賞禁止。
以上のように区分されてます。

映画のレイティング・システム(Rating System)とは、映画鑑賞の際、その映画を見ることが出来る年齢制限の枠、 及びその規定です。

日本のPG-12指定(12歳未満の年少者の鑑賞には、親または保護者の助言、指導が必要)とは、倫理規定に大きな開きがあり、米国(MPAA)の方が、かなり基準が厳しくなっている。



PG-12指定の映画一覧
R-15指定の映画一覧
NC-17指定の映画一覧

NC-17指定の映画とは、17歳以下鑑賞禁止の映画で、これはアメリカの映画審査機関であるMPAAの基準による区分で、「No one 17 and under admitted.」の略である。1990年まで「X指定(X-rated)」という名称だった区分で、日本の映倫管理委員会でいうR-18指定(成人映画)に相当する。R指定(17歳未満は成人保護者の同伴必須)よりも制限が厳しい区分で、17歳以下の劇場鑑賞やDVDビデオの購入・レンタルは全面的に禁止されている。

R-18指定の映画一覧



The Movie 100 Work List to Give the Young People

The excellent music moves the heart of all the people deeply regardless of the age and the gender beyond the border.When it reaches the heart of the rich young people of the feelings and affects, will a flower in the original kind heart of the human being not bloom? It thinks that it is possible to say the same thing to the image work to make feelings flicker, too.It is excellent about the script and according to polished shining attractiveness of the enactment and the actors, in addition to delightfully, there are a dream and hope, many works as it becomes a guideline in the life to that in the American movie, too.The American movie doesn't have choking, and it feels easy and the richness, and then, the vitality is full and generally, there is light.Indeed, Hollywood is indeed the dream factory of the work which was overflowed in the dream and the urge.On the other hand, are European, above all, there is a tradition of the documentary touch in the British movie from the old days.Even if it is manufactured by the fiction, there are a lot of works which incorporated the real fact of the living society of us and so on, too, there.The movie before Nazi in Germany has to do the wonderful that the sigh comes out.It sublimates artistically by of the Italian movie of France marveling and then there are a delicious and serious work and so on, being countless.

The activity of the new generation appeared with the change of the times from the times to look for the dream in the escape movie, and the work of being a feeling in today according to the social situation in today peddled a reality and became sent.These several years, a Hollywood movie and the work which is attractive with the new feeling are created, but China and Korea, of course, there are a lot of excellent works which arouse to be moved in Japan, too.The work to charge the movie which is manufactured regardless of the manufacturing country with the dream and the hope, too, is often one with new all too soon born generation from the hope.A movie was already made and equal to or more than 100 years passed but this wants to make appreciate by all means from a lot of movies.It thinks of wanting to make be moved with the 100 works.It is because it believes that it grows to the human being by whom to appreciate a masterpiece movie has kindness kindly. As for the watching movies, that the more moving is done will be won in appreciating with a lot of people with the screen which is big as much as possible.






(画像をクリックしますと映画の説明にジャンプします)


音楽家伝記映画(Musician Biography)

1.わが心に歌えば
(With a Song in My Heart)(1952年)(アメリカ)

第二次世界大戦中に欧州戦線の兵士たちに献身的な慰問を行ない、また、飛行機 事故に遭遇しながらも奇跡のカムバックを果たした歌手ジェイン・フローマンの半生を描いた感動の物語。


2.アンデルセン物語
(Hans Christian Andersen)(1952年)(アメリカ)

ハンス=クリスチャン・アンデルセンの色彩感豊かな「おとぎ話」の物語。

3.グレン・ミラー物語
(The Glenn Miller Story)(1954年)(アメリカ)

アメリカのジャズの歴史に新しいスタイルを確立したバンド・リーダー&トロンボーン奏者、グレン・ミラーの物語。

4.ベニイ・グッドマン物語
(The Benny Goodman Story)(1955年)(アメリカ)

アメリカのビッグバンド・リーダー&クラリネット奏者でスウィング・ジャズの代表的存在として知られるベニイ・グッドマンの物語。

5 愛情物語
(Eddy Duchin Story)(1956年)(アメリカ)

1930年代に甘美な演奏で全米を風靡した不世出と言われた名ピアニスト&バンド・リーダー、エディ・デューチンの物語。

6.5つの銅貨
(The Five Pennies)(1959年)(アメリカ)

アメリカのコルネット奏者レッド・ニコルズの奇跡のカムバック&家族愛を描いた感動の物語。


7.サウンド・オブ・ミュージック
(The Sound of Music)
(1965年)(アメリカ)

オーストリアを舞台にマリアとトラップ家の7人の子供達の実話に基づく感動の物語。




8.アマデウス
(Amadeus)(1984年)(アメリカ)

宮廷楽師サリエリと若き天才音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとの確執と苦悩を描いた物語。

9.シャイン
(Shine)(1995年)(オーストラリア)

ピアノの天才少年と言われ、精神を病みながらハンディキャップを越えて復帰したオーストラリアのピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴッドの半生を描いた感動の物語。

10.敬愛なるベートーヴェン
(Copying Beethoven)(2006年)(イギリス・ハンガリー)

交響曲第9番の誕生を背景にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンと写譜師の女性アンナの交流を描いた物語。



  ミュージカル映画(Musical)


11.オズの魔法使
(Wizard of Oz)(1939年)(アメリカ)

カンザスの農場に住む少女ドロシーが、虹の彼方のどこかにより、よい場所があると夢見ている。ある日、トルネードに襲われて気を失った後、愛犬のトトや自分の家とともに魔法の国オズへ運ばれ・・・、だが、「家よりいいものはない」というアメリカの作家ライマン・フランク・ボームが著した児童文学のファンタジー・ミュージカル映画。


12.雨に唄えば
(Singin' in the Rain)
(1952年) (アメリカ)

サイレント映画からトーキー映画に移行する時代を描いたコメディあふれるバックステージ作品で、名曲がちりばめられたハリウッドの舞台裏映画ともいえる楽しいミュージカル映画。

13.足ながおじさん
(Daddy Longlegs)(1955年)(アメリカ)

フランスの孤児院で育った少女が、ある資産家の目にとまり、毎月手紙を書くことでアメリカの大学進学の奨学金を受けるというアメリカの作家ジーン・ウェブスターの小説を題材にしたミュージカル映画。

14.ウエスト・サイド物語(West Side Story)(1961年)(アメリカ)

ニューヨークの社会的背景をバックにイタリア系アメリカ人とプエルトリコ系アメリカ人の少年ギャング団の抗争の犠牲となる若い男女の2日間の恋と死を描いたシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」から着想されたミュージカル映画。

15.アニー
(Annie)(1982年)(アメリカ)

失業者が溢れる大不況のアメリカ、両親を知らない孤児院の少女は、大富豪の養女になるというアメリカのハロルド・グレイの新聞連載漫画を原作をもとに作られた楽しいミュージカル映画。

16.チキ・チキ・バン・バン
(Chitty Chitty Bang Bang) (1968年)(アメリカ)

夢想家の発明家が、ポンコツ自動車、チキ・チキ・バン・バンに手を加え、走らせることに成功させ、二人の子供を乗せて冒険に出かけるというイギリスの作家イアン・フレミングが著した童話に基づく幻想的なファミリー・ミュージカル映画。


音楽映画(Music)


17.オーケストラの少女
(100 Men and a Girl)
(1937年)(アメリカ)

失業している楽団員を父に持つ美声の少女が、100人からの失業楽士楽団を結成して、ストコフスキーを指揮者にカーネギー・ホールでの公演を成功させ、明るさを失わない少女の前向きな姿勢と大不況の後遺症からアメリカをも励ますように描いたディアナ・ダービンの美しい歌声と名曲に彩られた音楽&人情コメデイ物語。指揮者の岩城宏之は、高校2年の時、この作品を観て感動し、音楽家を志すようになったという。

18.かれらに音楽を
(They Shall Have Music)
(1939年)(アメリカ)

不良少年がハイフェツの独奏会を聞いて感銘を受け音楽家を目指すというもので、名ヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェツが出演している名曲が楽しめる音楽映画。
(この作品は現在発売されおりませんので、ご希望のお方には無償でお貸し致しますので、ご連絡下さい。)

19.ファンタジア
(Fantasia)
(1940年)(アメリカ)

ステレオ効果を生み出した最初の映画で、サラウンドの原型ともいえるステレオ再生方式が世界で初めて一般的に実用化された重要な歴史的な映画で、J.S.バッハ の「トッカータとフーガ ニ短調」、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」 など計8曲がストコフスキーが指揮しているウォルト・ディズニーのクラシック音楽が楽しめるアニメーション映画。

20.カーネギー・ホール
(Carnegie Hall)
(1947年)(アメリカ)

カーネギ・ホールに勤める母親は、息子が登龍門たるミューズの殿堂、カーネギー・ホールの舞台たつことを切望しているが、親子の確執や、ニューヨークで活躍する音楽家とカーネギー・ホールとの関係の深い演奏家なども紹介する記録的なクラシック音楽が楽しめる映画。

21.赤い靴
(The Red Shoes)(1948年)(イギリス)

バレエ団がロンドン公演時、バレリーナと作曲家志望の青年が一座に加わり、主役に抜擢されバレリーナは、一度履いたら死ぬまで踊り続けなければならないという魔力を秘めた赤い靴というハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話をもとに作られたバレー音楽映画。

22.メリー・ポピンズ
(Mary Poppins)(1964年)(アメリカ)

ロンドン住む厳格で気難しい銀行家、妻は女性参政権運動に夢中、子供はベビーシッターの募集の紙片を暖炉に放りこんでしまう。翌朝、子供の書いた紙片を持ったメリー・ポピンズが地上に舞い降りてくるというオーストラリアの作家パメラ・トラバースの児童文学の音楽ファンタジー・ミュージカル映画。

23.オリバー!
(Oliver!)(1968年)(イギリス)

19世紀初頭のロンドンの貧民窟を舞台にしたイギリスの作家チャールズ・ディケンズの原作小説『オリバー・トゥイスト』をもとに作られたミュージカル映画。

24.ブラス!
(Brassed Off)(1996年)(イギリス)

イギリスの町での炭坑閉鎖騒動を舞台にブラスバンドを通じて、音楽と生きることの素晴らしさ、人間模様と社会風刺を描いた音楽作品。

25.すべてをあなたに
(That Thing You Do!)(1996年)(アメリカ)

1960年代にビートルズのようなスターを夢見たロックバンドの若者たちの成功と挫折を描いた青春音楽映画で、楽曲は全てオリジナルが使われ、ビートルズなど当時のヒット曲のニュアンスが再現され、ファッションや風俗などがリアルに描かれている。

26.ミュージック・オブ・ハート
(Music of the Heart)(1999年)(アメリカ)

荒廃した小学校の臨時教師が、音楽による子供たちとの交流により、お互いに成長していく姿を描いたドキュメンタリーをもとに映画化された音楽を学ぶ喜びが伝わってくる音楽映画。

27.リトル・ダンサー
(Billy Elliot)(2000年) (イギリス)

イギリス北東部の炭鉱の町、11歳の少年が、当時女性のためのものと思われていたバレエに夢中になり、プロのバレエ・ダンサーへの夢を育む青春映画。

28.コーラス
(Les Choristes)(2004年)(フランス)

戦後間もないフランス、孤児や問題児を集めた寄宿舎での音楽教師と合唱が好きで、奇跡のような「天使の歌声」を持った子供達との絆を描いた感動の音楽映画。

29 4分間のピアニスト
(Vier Minuten)( 2006年)(ドイツ)

刑務所で受刑者たちにピアノを教える音楽教師が、稀に見る才能の持ち主に出会う。だが、今では刑務所内随一の問題児であったが、才能に葬り去ったはずの自らの夢を託し、コンテスト出場を目指して厳しいレッスンを続けるという獄中の天才ピアニストと教師の魂の交流を描いた感動の音楽映画。

30.ドリームガールズ
(Dreamgirls)(2006年)(アメリカ)

1960年代のアメリカ一の車の町デトロイトを舞台にブロードウェイ・ミュージカルを黒人女性ヴォーカル・グループ、モータウンのダイアナ・ロスとスプリームスをモデルに描かれた音楽映画。

31.奇跡のシンフォニー
(August Rush)(2007年)(アメリカ)

孤児院で暮らす少年は、両親が必ず迎えに来ると信じているが、11歳になるまでその願いが叶う事は無い。ある日、不思議な音に導かれるように孤児院を抜け出し、マンハッタンで様々な出会いを経て音楽の才能を開花させるという見知らぬ両親との再会を信じ、音楽の才能を開花させる少年が起こした奇跡を描いた感動の音楽映画。



伝記映画(Biography)


32.ゾラの生涯
(The Life of Emile Zola)
(1937年)(アメリカ)

パリの屋根裏部屋で画家セザンヌと同居していたゾラが、小説「ナナ」で評判となり、貧乏暮らしを抜け出して、やがて、大作家の道を進んでいくというフランスの文豪ゾラの生涯とドレフュス事件を大きく扱った伝記映画。

33.若き日のリンカン
(Young Mr. Lincoln)
(1939年)(アメリカ)

イリノイ州で雑貨屋を営んでいたリンカンが、やがて法律家となり、その当時扱った裁判を描いた第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの若き日を描いた伝記映画。

34.打撃王
(The Pride of the Yankees)(1942年)(アメリカ)

ニューヨークの貧民街に生まれ、ニューヨーク・ヤンキースで連続2130回の試合に出場して「鉄人」といわれたルー・ゲーリッグの半生を描いた伝記映画。

35.甦る熱球
(The Stratton Story)(1949年)(アメリカ)

テキサスの片田舎に住むモンティ・ストラットンが、野球の才能を見込まれホワイト・ソックスの選手となるが、過失で右足を失う。だが、妻の献身により、再びマウンドに立つというアメリカの名投手の伝記映画。
36.革命児サパタ
(Viva Zapata!)(1951年) (アメリカ)

メキシコ農民のエミリアーノ・サパタが亡命政治家と呼応して武装蜂起し、大統領を追放して革命の英雄となるメキシコ革命に活躍したエミリアノ・サパタの伝記映画。
37.二都物語
(A Tale of Two Cities)(1957年)(イギリス)

フランス革命を背景に2人の青年と、無罪の牢人の娘との悲劇的な恋を描くイギリスの作家チャールズ・ディケンズの小説「二都物語」を題材にした映画。

38.六番目の幸福
(The Inn of the Sixth Happiness)
(1958年)(アメリカ)

1930年代に中国で活動した「人間は互いに対して責任がある」という誠実で愛に満ち信念を持ったイギリス人女性宣教師グラディス・エイルワードの半生を描いたアラン・バージェスの小説の映画化作品。

39.アンネの日記
(The Diary of Anne Frank)
(1959年)(アメリカ)

第二次世界大戦の最中のナチス・ドイツ占領下のオランダ・アムステルダム、ナチスのユダヤ人狩りを避けるために隠れ家に潜んだ8人のユダヤ人達の生活が綴られたアンネ・フランク「アンネの日記」の映画化作品。

40.アラビアのロレンス
(Lawrence of Arabia)(1962年)(イギリス)

イギリス陸軍エジプト基地勤務の情報部に所属し、アラビア語やアラブ文化に精通していることから、特殊工作任務を受けることになるイギリス陸軍将校、トマス・エドワード・ロレンスが率いたアラブ反乱を描いた歴史映画。

41.リトル・モー
(Little Mo)
(TV)(1978年)(アメリカ)

1953年に女子最初のグランドスラム達成者となるが、落馬事故により現役を引退、若くしてガンで亡くなった天才少女テニス・プレーヤー、モーリーン・コノリーの成長や葛藤を描いた映画。

42.ガンジー
(Gandhi)
(1982年)(イギリス・インド合作)

南アフリカで弁護士をしながら公民権運動に参加、インドに帰国後はイギリスからの独立運動を指揮し、暴動ではなく、非暴力、不服従を提唱したインド独立運動の指導者「偉大なる魂」マハトマ・ガンジーの波瀾に満ちた生涯の伝記映画。

43.シンドラーのリスト
(Schindler's List)(1993年)(アメリカ)

第二次世界大戦下、1200人のユダヤ人をナチスの虐殺(ホロコースト)から救ったドイツ人実業家オスカー・シンドラーを描いた伝記映画でホロコースト映画の代表的作品。
44.テルミン (Theremin)(1993年)(アメリカ

1919年にシンセサイザーの原型となる画期的な電子楽器を発明したロシア人科学者レオン・テルミンの伝記映画。
45.遠い空の向こうに
(October Sky)
(1999年)(イギリス・インド合作)

小さな炭坑の町の高校生4人がロケット作りを通して、時には衝突したり励まされながら成長していく姿を描いたもので、日本でいう中学三年生、高校一年生の英語の教科書にも載せられているNASAのエンジニアとなったホーマー・ヒッカム・ジュニアの感動の映画。

46.ホテル・ルワンダ
(Hotel Rwanda)(2004年)(カナダ・イギリス・イタリア・南アフリカ合作)

1994年、ルワンダ紛争によりフツ族過激派が同族の穏健派やツチ族を120万人からの虐殺が行われる中、1200名以上の難民を自分が働いていたホテルに匿ったホテル・マン、ポール・ルセサバギナの姿を描く実録人間ドラマ。
47.フリーダム・ライターズ
(Freedom Writers)(2007年) (アメリカ)

1994年、カリフォルニア・ロサンゼルス郊外の公立高校に赴任した新人の国語教師エリン・グルーウェルと荒廃した生徒たちの成長を描いた実話が基のノンフィクション作品。



アドベンチャー映画(Adventure)


48.80日間世界一周
(Around the World in 80 Days)
(1956年)(アメリカ)

イギリス人資産家が執事を従え、後期ビクトリア朝時代の世界を80日で一周しようと試みる波瀾万丈の冒険物語であり古典的冒険である19世紀末に発表されたフランスの作家ジュール・ヴェルヌの同名小説の映画化作品。



49.白鯨
(Moby Dick)(1956年)(アメリカ)

悲運の捕鯨船の乗組員として白いマッコウクジラ「モービー・ディック」を巡る数奇な体験を描いたアメリカの作家ハーマン・メルヴィルの名作「白鯨」の映画化作品。
50.ベン・ハー
(Ben-Hur)
(1959年)(アメリカ)

ベン・ハーは、ローマ軍の司令官となった旧友メッサラと再会するが、思想の違いから対立、ベン・ハーは、奴隷としてローマ軍のガレー船に送り込まれる。だが、囚われた母親と妹を助けるためにエルサレムに戻り、宿敵に戦車競争で挑むというキリストが誕生した頃のエルサレムを舞台にベン・ハーの波乱に満ちた人生をスケール豊かに描いた世界的ベストセラーとなった南北戦争の英雄で政治家及び著作家ルー・ウォレス将軍の同名小説の映画化。)


51.ドリトル先生不思議な旅
(Doctor Dolittle)(1967年)(アメリカ)

動物と会話ができるドリトル先生の冒険を描いたアイルランド系アメリカ人の児童文学作家ヒュー・ロフティングの童話「ドリトル先生・航海記」のファンタジックな冒険を描いたミュージカル映画。
52.勇気ある追跡
(True Grit)
(1969年)(アメリカ)

1880年代のアーカンソン州、父親を殺された少女が、凄腕の名保安官を雇って、犯人の追跡を始めるというアメリカのチャールズ・ポーティスの同名小説を原作とした映画化作品。

53.ビアンカの大冒険
(The Rescuers)(1977年/アニメ)(アメリカ)

ネズミの国際救助救援協会ニューヨーク本部に、少女ペニーから瓶に入った助けを求める手紙が届き、ビアンカとバーナードは、アホウドリ航空のオービルの背中に乗ってペニーを探す旅に出るという2匹のねずみを中心に展開するファンタスティックな冒険アニメーション。
54.E.T.
(The Extra Terrestrial)(1982年)(アメリカ)

10歳の少年エリオットが、地球に取り残されてしまった異星人と出会い心を通わせ、「E.T.」(架空の地球外生命体(Extra=外の、Terrestrial=地球の)と名づけたその異星人を兄妹は大人たちの目から隠し庇い、彼を故郷の星へ帰してあげようとする1982年公開のアメリカのSF映画。
55.スタンド・バイ・ミー
(Stand by Me)(1986年)(アメリカ)

1950年代末のオレゴン州の小さな町キャッスルロックに住む、それぞれ心に傷を持った4人の少年たちが好奇心から、線路づたいに「死体探し」の旅に出るという、ひと夏の冒険を描いたホラー小説のスティーブン・キングの短編小説「死体」を基に少年期の懐かしくも切ない思いを描いた作品。
56.ダンス・ウィズ・ウルブズ
(Dances with Wolves)
(1990年)(アメリカ)

南北戦争時代のフロンティアを舞台にスー族の女性を愛し、インディアンと共に生きた元北軍中尉の数奇な運命を描いたもので、先住民族であるインディアンを虐殺しバッファローを絶滅寸前に追いやった白人中心主義のアメリカ社会に対して警鐘を鳴らすと同時にフロンティアへの敬意や郷愁を表したエコロジー西部劇。

57 運動靴と赤い金魚
(Bacheha-Ye Asen)
(1997年)(イラン)

イランの貧しい家で暮らす少年は妹の靴を修理してもらうが、その靴を失くし、親に知れるのを恐れ、兄妹は妹の運動靴を2人で使用しなければならなくなるという小学生兄妹の健気で一生懸命な姿をあたたかく見つめたドラマ。




ドラマ映画(Drama)


58.名犬ラッシー家路
(Lassie Come Home)(1943年)(アメリカ)

イギリスのヨークシャーに住む少年が、美しさと気高さを持ったコリーを所有しているが、一家の経済的な困窮にラッシーを金持ちの貴族に売ってしまう。ラッシーは、何百マイルもの彼方のスコットランドへと連れて行かれるが、ラッシーは、家路を辿る苦難の旅をして少年のいる故郷へと帰ってくるというイギリスの作家エリック・ナイトの名作児童文学の映画化で少年とコリー犬の友情を描いた感動の作品。
59 我が道を往く
(Going My Way)(1946年)(アメリカ映画)

ニューヨーク下町にある古びた教会、セント・ドミニク教会の老神父と後任の神父とのヒューマニズムに溢れる物語。
60.素晴らしき哉、人生
(It's a Wonderful Life)
(1946年)(アメリカ)

自分の夢を追いながらも父の急死で家業を継いだジョージ・ベイリーは、まじめに働き、家庭にも恵まれていたが、クリスマスの晩に自殺を図ろうとする。翼をまだ持っていない二級天使が翼を得るために彼を助ける使命を受け、天使は「生まれて来なければよかった」と言う彼のため、彼が生まれて来なかった世の中を見せ、そして彼がいかに素晴らしい人生を送ってきたかを理解させようとする。アメリカ映画協会が選ぶ「感動の映画ベスト100」では1位にランクされているヒューマニスティック・コメディの感動作品。
61 若草物語
(Little Woman)(1949年)(アメリカ)

19世紀後半のアメリカを舞台にピューリタンであるマーチ家の4人姉妹を描いたルイーザ・メイ・オルコットの自伝的小説で試練に立ち向かいながら力強く生きていく4人姉妹の成長を描いた感動作品。
62.われら自身のもの
(Our Very Own)(1950年)(アメリカ)

ハイスクールに通うマコーレイ家の長女ゲイルは、18歳の誕生日に出生の秘密を知る。だが、卒業式には育ての親が列席し、気をとり直したゲイルも卒業演説で家庭の平和を述べるというロサンジェルスの典型的な中流家庭の生活をリアルに描いた青春映画。
63.人生模様
(O. Henry's Full House)
(1953年)(アメリカ)

短編小説の大家O・ヘンリーの代表的な5つのストーリーを監督5人が競演する作品で、第1話「警官と讚美歌」、第2話「クラリオン・コール新聞」、第3話「最後の一葉」、第4話「赤酋長の身代金」、第5話「賢者の贈り物」のオムニバス映画化作品。

64.ジャイアンツ
(Giant)
(1956年)(アメリカ)

テキサスに広大な土地を持つ牧場主ジョーダン・ベネディクト2世が、東部の名門の娘レズリーを妻に迎え、彼女は東部とはあまりにも異なる人間の気質と生活習慣に戸惑い、一時は夫婦の間の絆にも危機が訪れる。だが、レズリーは持ち前の粘り強い性格でそれを乗り越えていく。一方、レズリーに心を寄せる若い牧童のジェット・リンクは、石油を掘り続けついに油田を掘り当るというアメリカの女流作家エドナ・ファーバーのベストセラー小説を映画化した作品。

65.野ばら
(Der Schonste Tag meines Lebens)(1957年)(ドイツ)

動乱のハンガリーからオーストリアに逃れてきたトニー少年は、収容所行のバスにも乗り遅れて途方にくれているところを、昔ドナウ河の汽船の船長だったという老人に救けられた。ある日曜日、教会のミサでウィーン少年合唱団の歌うミサ曲の調べを聞いたトニーは、たちまち美しい声に魅せられ、合唱団入りを夢見るようになるという孤児の少年がウィーン少年合唱団員となるまでを描いた映画。
66.アラバマ物語
(To Kill a Mockingbird)(1962年)(アメリカ)

1932年、人種的偏見が根強く残るアメリカ南部で、白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の事件を担当する弁護士の物語でピューリッツア賞を獲得したハーバー・リーの小説『ものまね鳥を殺すには』の映画化作品。
67.ロミオとジュリエット
(Romeo and Juliet)(1968年)(イタリア)

14世紀のイタリアの都市ヴェローナ、モンタギュー家とキャピュレット家が血で血を洗う抗争を繰り返していたが、モンタギュー家のロミオは、キャピュレット家のパーティに忍び込み、一人娘のジュリエットに出会い二人は恋に落ちる。だが、二人は死んでしまい真相を知った両家は悲嘆に暮れるが、ついに和解するというイングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲の映画化作品。
68.ロッキー
(Rocky)(1976年)(アメリカ)

フィラデルフィア、サウスサイドのスラム街、賞金稼ぎボクサー、ロッキーのボクシングに生きるの孤独や不安、それに愛を描いたアメリカン・ドリームを体現しようとする感動のスポーツ・ドラマで、第49回アカデミー作品賞、監督賞、編集賞受賞作品。
69 レ・ミゼラブル
(Les Miserables)(1997年)(アメリカ)

ミリエル司教にジャン・ヴァルジャンが訪れ、彼は貧困に耐え切れず、たった1個のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年も服役していた。司教は暖かく迎え入れるが、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれ、翌朝、彼を捕らえた官憲に司教は「食器は私が与えたもの」だと言って、彼を放免させ、それに二本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれるというヴィクトル・ユーゴーのロマン主義フランス文学の大河小説の映画作品。
70.大統領の理髪師
(The President's Barber)
(2004年)(韓国)

1960年代から1970年代の韓国、大統領官邸が位置する町、孝子洞の平凡な理髪師が、ある事件をきっかけに大統領の理髪師になり、必然的に大統領の身近にいる彼も、否応無しに政府の権力抗争に巻き込まれていくという激動の時代を背景に歴史的政治事件を庶民の目線から描いたヒューマン・ドラマ。

71.Dearフランキー
(Dear Frankie) (2004年)(イギリス)

夫の暴力から逃れ、息子と祖母を連れて海辺の町に引っ越してきた女性が、まだ見ぬ父親のことを思う息子のために、船乗りの父親を装って息子に手紙を書き続け、ある日、父親が乗船していることになっている船が町に寄港することになる。息子を悲しませたくない母は、1日だけ父親役を引き受けてくれる男を探すという父親の家庭内暴力で傷ついた母親と息子の絆を描いたヒューマン・ドラマ。

72.ミルコのひかり
(Rosso come il cielo)
(2005年)(イタリア)

1971年、イタリア、トスカーナで、10歳になるミルコは、自宅にあった銃を誤って暴発させ、両目の視力を失ってしまう。当時のイタリアでは、視覚障害者は特殊学校へ入ることが強制され、ミルコも全寮制の盲学校へ送られる。ミルコは、ある時古いテープレコーダーを偶然見つけると、それでいろいろな音を録音して音だけで物語を作ることに楽しみを見出し、やがてイタリア映画界の第一線で活躍するサウンドデザイナーへと成長するミルコ・メンカッチを描く感動作品。
73.シャーロットのおくりもの
(Charlotte's Web)(2006年)(アメリカ)

田舎の農家で11匹の子ブタが生まれ、母ブタの乳は10個しかなく、一番小さな1匹の命が危ない。それを見かねた少女は、その子ブタにウィルバーと名付け自ら母親代わりとなる。やがてウィルバーは、ほかの動物たちとも友だちになり、とりわけ優しいクモのシャーロットと仲良くなる。シャーロットは、クリスマスのハムになってしまうことを恐れるウィルバーに、言葉の贈り物をするというアメリカの作家E・B・ホワイトの児童文学作品で、納屋に住む蜘蛛のシャーロットと子豚のウィルバーの友情を描いた感動の作品。
74.みえない雲
(Die Wolke)
(2006年)(ドイツ映画)

西ドイツで午前中の授業中、ABC警報(A=核兵器、B=細菌兵器、C=化学兵器の警報)のサイレンが鳴り響き、原子力発電所で放射能漏れ事故が発生、学校は生徒を下校させるというドイツの作家グードルン・パウゼヴァングの小説の映画化で放射能漏れ事故とその後の被曝者の体験が語られる作品。

75.ドリーム・カム・トゥルー (Akeelah and the Bee)(2006年)(アメリカ)

難しい英単語の綴りを覚えることに才能を持つ少女が、スペリング大会での優勝を目指すことで、新たに自身を見つめ直し成長していく姿をハートウォーミングに描いたアフリカ系アメリカ人社会における11 歳の少女を描いた感動の作品。
76 君のためなら千回でも
(The Kite Runner)
(2007年)(アメリカ)

1970年代のアフガニスタンで裕福な家の一人息子は、召使いの息子と凧遊びをしたり、仲よく暮らしていたのだが、絆は思いがけない出来事によって砕け、やがてソ連がアフガニスタンに侵攻し、2人の関係は修復されることなく時は流れるのだが・・・。アフガニスタンを舞台にしたカーレド・ホッセイニのベストラー小説の映画化で、普遍的なテーマを描いた感動の作品。


戦争映画(War Film)


77.勇者の赤いバッジ
(The Red Badge of Courage)(1951年)(アメリカ)

1863年、南下する北軍の新兵は次第に近づく戦場の恐怖に怯えている。戦友達には強がって見せていたが、道端に転がる戦死者を見ても足が竦んでしまう。森を抜けるとそこは戦場で、轟く大砲の炸裂音、硝煙などで、味方の先陣の兵士が逃げ帰り、将校が「臆病者め!戦列に戻れ!」と声を張り上げるが、兵士たちは逃走する。作家スティーヴン・クレインのアメリカ南北戦争の戦場における若い兵士の恐怖と苦悶を描いたアメリカ古典文学の映画化作品。
78.禁じられた遊び
(Jeux interdits)(1952年)(フランス)

1940年のフランス郊外で、ドイツ軍の爆撃から避難するパリ市民の行列で少女は、逃げた愛犬を追いかけ、それを追った両親は戦闘機の機銃掃射で命を落とし、同時に死んだ愛犬を抱き、避難の列から外れてさまよい、小川のほとりで、少年と出会う。戦争孤児になった少女と農家の少年の純心な心情を描くフランソワ・ボワイエの原作小説の映画化作品。
79.戦争と平和
(War and Peace)(1956年)(アメリカ)

19世紀前半のナポレオンによるロシア遠征とその失敗、アウステルリッツの戦いやボロディノの戦いなどの歴史的背景を精緻に描写しながら、1805年から1813年にかけてあるロシア貴族の興亡をピエール・ベズーホフとナターシャの恋と新しい時代への目覚めを点描しながら綴ったロシアの文豪トルストイの不朽の名作「戦争と平和」の映画化。



ドキュメンタリー映画(Documentary)


80.未来を写した子どもたち
(Born Into Brothels: Calcutta's Red Light Kids)(2004年) (アメリカ映画)

インドのカルカッタ、売春窟で生まれた子どもたちの将来は、親の仕事を継ぐ以外になかった。写真家のザナ・ブリスキは売春窟での撮影を続けるうちに、子どもたちにカメラを与えて写真教室を開くが、初めて自分たちの可能性を知った子どもたちは、写真を通して将来に夢と希望を抱くようになる。インドの大都会ながら貧困が厳しいカルカッタで、ある女性写真家が子どもたちを救おうとする姿を追ったドキュメンタリー作品。第77回アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞をはじめ、世界中で数多くの賞を受賞している。
81.アース(Earth) (2007年)(ドイツ・イギリス合作)

50万年前、地球に巨大な隕石が衝突し、その影響で地球の地軸は23.5度も傾き、地球には四季や寒暖の差、そして生命が生み出されることになった。そんな傾きと太陽の光が作り上げた地球の姿を、北極から南極へと旅をしながら見ていこうとする世界200ヶ所以上で撮影された自然ドキュメンタリー作品で、世界に数台しかない防振装置に1秒間に2000フレームの撮影ができる超ハイスピードカメラなどの最新機材を投入して制作に5年、撮影日数は延べ2000日を費やしている。



邦画(Japanese Movie)


82.姿三四郎&續姿三四郎(1943,45年)

会津から柔術家を目指し上京してきた姿三四郎の柔道に賭ける姿を描いた富田常雄の原作の映画化作品。
83.山椒大夫(1954年)

平安時代の末期、人買いに騙され、母と離ればなれになってしまった安寿と厨子王姉弟を描いた森鴎外の原作を元に映画化された作品。
84. 不滅の熱球(1955年)

巨人軍の名投手沢村栄治の半生と日本プロ野球の誕生時代を描いた感動作品。

85.こんにちわ20才 (1964年)

夫の亡き後、5人の娘たちを育てた母は、下宿屋で生計を立ててきたが、三女と四女を残して皆下宿した学生に嫁いでいた。三女は20歳になり、自分は下宿人の男と一緒になるのは嫌だと言って独身を貫こうとしている。彼女の親友にも、結婚話は持ち込まれてくるのだが・・・。石坂洋次郎の原作「若い娘」の映画化の青春映画。
86.あゝひめゆりの塔(1968年)

1945年、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍し壮絶な玉砕を遂げた女子生徒を描いた戦争映画。
87.幸福の黄色いハンカチ(1977年)

ある青年が、北海道旅行へ出かけ、そこで一人旅の女を車に乗せる。やがて、ふたりは中年男と知り会うが、その中年男は網走の刑務所を出所したばかりで、妻の住む夕張へ帰ろうとしているのだが・・。ニューヨーク・ポスト紙に掲載されたピート・ハミルのコラムをベースに、北海道を舞台にした日本のロードムービーの代表作品。
88.海峡(1982年)

本州と北海道の間にトンネルを掘ろうとする男達と彼らを見つめる女たちの姿を描いた岩川隆の同名の原作の映画化作品。
89.南極物語(1983年)

南極観測隊員の南極生活での様々な経験と、帰国時に南極観測隊がやむなく置き去りにしてきた15匹のカラフト犬の生への闘いの姿を描いた感動の作品。
90.瀬戸内少年野球団 (1984年)

淡路島を舞台に野球を通して民主主義を学ばせようとする女教師とスポーツに目覚めていく子供たちとの絆を描く感動の作品。
91.となりのトトロ(My Neighbor, Totoro)(1988年)

田舎に引っ越してきた子供たちとそこに住むオバケたちの心の触れ合い描くアニメ映画。
92.魔女の宅急便(1989年)

角野栄子による児童文学の映画化で、都会へ旅立った魔女の女の子の自立を描くアニメ映画。
93.波の数だけ抱きしめて(1991年)

1982年の神奈川県、湘南を舞台にミニFM局の運営にかける若者たちの姿を描いた青春映画。

94 青春デンデケデケデケ(1992年)

四国の田舎町を舞台にベンチャーズに憧れロックバンドに情熱を燃やす高校生たちを軽快に描く青春映画。

95.遠き落日(1992年)

野口英世の一生を母シカとを通して感動的に描いた伝記ドラマ。


96.平成狸合戦ぽんぽこ(1994年)

宅地開発に取り組む人間に対抗する狸たちの姿を描いた長編アニメ映画。
97.戦火の家族たち(Little Birds)(2005年)

アメリカのイラク侵攻以来、綿井健陽が取材期間中に記録した123時間余の映像作品。
98.バルトの楽園 (2006年)

第一次世界大戦中、日本の板東俘虜収容所でのドイツ人捕虜と日本人との交流を描く人間ドラマ。
99.火垂るの墓(2008年)

戦争の最中を生き抜こうとした幼い兄妹の姿を描いた実写映画としてスクリーンに映し出された作品。
100.ブタがいた教室(2008年)

ドキュメンタリーとしてテレビ放映された大阪の新任教師の実践教育を基に映画化された作品。

30作品解説リスト (題名をクリックしますと、映画の説明へジャンプします)
7 サウンド・オブ・ミュージック 12 雨に唄えば 17 オーケストラの少女
18 かれらに音楽を 19 ファンタジ 20 カーネギー・ホール
32 ゾラの生涯 33 若き日のリンカン 38 六番目の幸福
39 アンネの日記 41 リトル・モー 42 ガンジー
45 遠い空の向こうに 48 80日間世界一周 50 ベン・ハー
52 勇気ある追跡 56 ダンス・ウィズ・ウルブズ 57 運動靴と赤い金魚
60 素晴らしき哉、人生 63 人生模様 64 ジャイアンツ
70 大統領の理髪師 72 ミルコのひかり 74 みえない雲
76 君のためなら千回でも 84 不滅の熱球 93 波の数だけ抱きしめて
94 青春デンデケデケデケ 100 ブタがいた教室

Google

 7 サウンド・オブ・ミュージック (The Sound of Music)(1965) 

DVD
ストーリーは、ザルツブルクに住むオーストリア元海軍大佐のトラップ男爵(クリストファー・プラマー)は、7人の子供たちを男手だけで育てることも出来ず、ノンベルク修道院の院長(ペギー・ウッド)に家庭教師を頼んでいた。やがて、院長はマリア(ジュリー・アンドリュース)にトラップ家の家庭教師を薦めるのである。ある日、マリアが家庭教師として訪れたトラップ家は、厳格な父親と、それに反発している悪戯好きな子供たちで、マリアは子どもたちと仲良くしようと努力するのだが生まれ育った環境の違う彼女にとってすべてが初めての経験であった。ある激しい嵐の夜、怖がる子供たちに歌を歌って共に過ごし彼女は新しい家族として迎えられるようになる。気立てが良く音楽好きのマリアは、子供たちを母親のように話をし、子供たちもすっかりなつくようになったが・・・。

この映画の『サウンド・オブ・ミュージック』は、ブロードウェイ舞台のミュージカルであるが、ブロードウェイの舞台が基になっているのは、ドイツ映画の『菩提樹』で、実話に基づいている。1926年、オーストリアのザルツブルクで、7人の子供のいるフォン・トラップ海軍大佐のところへ家庭教師として修道院から派遣されたマリア・アウグスタ・クチェラは、翌年、大佐と結婚し、一家は合唱団として活躍を始めるが・・・。
詳細は下記をご覧下さい。



「サウンド・オブ・ミュージック」詳細解説ページ
(The Sound of Music Description Site)


(アメリカ映画/20世紀フォクス カラー 176分)



「cast」
ジュリー・アンドリュース
クリストファー・プラマー
エレノア・パーカー
リチャード・ヘイドン
ペギー・ウッド
シャーミアン・カー
  ■スペーサー
「staff」
製作・監督:ロバート・ワイズ
アソシエト・プロデュサー:ソール・チャップリン
原作:ハワード・リンセイ、ラッセル・クロース
脚本:アーネスト・リーマン
作曲:リチャード・ロジャース
作詞:オスカー・ハマースタイン2世
編曲:アーウィン・コスタル
撮影:テッド・マッコード



 12 雨に唄えば(Singin' in the Rain)(1952) 

DVD
"Trailer"
ストーリーは、ハリウッドのチャニーズ・シアターで、モニュメンタル映画の大作『宮廷の反逆者』(The Royal Rascal)のプレミアが行われようとしているが、熱心な映画ファンが劇場正面を取り囲んでいる。今夜は1927年のスターが勢揃いする大イベントで、誰もがリナ・ラモント(ジーン・ヘイゲン)とドン・ロックウッド(ジーン・ケリー)の到着を待っていた。銀幕のかわいいフラッパー、セルダ・サンダースとスペンドール3世、エキゾチックなオルガ・マーラなどが到着後、コスモ・ブラウン(ドナルド・オコナー)が現れたが、彼は、ロマンチックなピアノで映画を盛り上げているドンの親友である。やがて、映画で恋人役を演じるリナとドンの2人が到着した。

キャスターのドラ・ベリーは、あなたの成功談は若者に勇気を与えるので是非話をして欲しいと云うが、それに応えて、彼は、まず最初に僕の役者人生は、コスモ・ブラウン抜きでは語れなく、いつも一緒で、「威厳をもて」常に「威厳をもて」がモットーにだったと語り始め、1920年代、2人のコンビは、ヴォードヴィルの人気者で、ダンス・コンサート・ツアーを始め、各地をツアー公演で回ったが、どこでも大人気だったが、ついにカルフォルニアにやって来た。そして、ハリウッドのモニュメンタル撮影所で仕事に就いて、西部劇の撮影で2人はバックの音楽を担当していた。だが、殴り合いのシーンで相手の役者が気絶してしまい、すかさず自分が代わりのスタント・マンを引き受け、やがて、数々のスタントをこなし、撮影所長のシンプソン(ミラード・ミッチェル)に認められ主役を演じるようなったと回想する。


上映されたサイレント映画『宮廷の反逆者』が終り、ドンとリナは、カーテン・コールで挨拶するが、容姿と声が違いすぎるリナは、少しもしゃべらせてもらえない。やがて、撮影所長のシンプソンの自宅で打ち上げのパーテイーが開催されたが、彼はトーキング・ピクチャーのデモ試写を行うが、参加者の反応はなく、間もなくココナッツ・ローブから派遣されたダンサーたちのショウが始まった。ところが、そのダンサーの中に、ドンが、ここに来る前に出会ったキャシー・セルデン(デビー・レイノルズ)が居たのである。ショーが終わり、ドンと彼女が話しているところへ、ドンの恋人だと決めてかかっているリナが嫉妬し、キャシーが勤めている事務所に連絡してクビにさせてしまう。その頃、最初のトーキー映画である『ジャズ・シンガー』が公開されるや話題騒然となり、映画は大ヒットする。モニュメンタル撮影所長のシンプソンも『決闘の騎士』をトーキーで作ることに決定した。その撮影中に、キャシーが同じ撮影所内で製作中のミュージカル映画のダンス・シーンに出演しているのを知ったドンは、キャシーと仲直りし、やがて愛が芽生える。その後、モニュメンタル映画のトーキー版『決闘の騎士』のプレミアが開催されるが、録音に失敗し観客の失笑を買う。

『決闘の騎士』の一般公開まで6週間と迫ってきたある日、ドン、コスモそれにキャシーの3人は、この映画をミュージカル化にしようと考え、タイトルは、『踊る騎士』と決まったが、問題は、リナの声にあった。そこで、コスモのアイデアでリナの歌はキャシーが歌って声の吹き替えをすることになった。完成した映画は素晴らしい出来栄えで大好評を博したが、リナは名声を維持しようと、所長のシンプソンにキャシーを自分の影の声として今後も使用するように強要する。やがて、映画が終わり、リナは舞台で挨拶するが、映画の声とは違うと言う観客は、今度は歌ってくれ!と、動揺するリナにドンやコスモは、リナのカーテンの後ろでキャシーに歌わせる。リナは、口だけを動かすだけであったが、この時、ドンとコスモにシンプソンの3人は、一斉にカーテンの綱を引いて、おもわず観客の爆笑を買うことになる。キャシーは、出口に走るが、ドンは彼女こそ、この映画のスターだと言い、2人はめでたく結ばれる。



「雨に唄えば」詳細解説ページ
(Singin' in the Rain Description Site)


Click Here!
<1952 Oscar Winners>




この作品は、1920年代の無声映画からトーキー映画への転換期のハリウッドを舞台にしたMGMが製作したミュージカル映画の大傑作で、ハリウッドがトーキーのためサイレント映画を切り捨てた痛ましい日々をパロディ風に描き出すストーリーが提案されている。映画には数多くの際立ったミュージカル・シーンがあり、ジーン・ケリーが水を跳ね上げながら踊る「雨に唄えば」は、彼のトレード・マークになり、また、ドナルド・オコナーの「メイク・エム・ラーフ」は、滑稽で楽しく、ケリー、オコーナー 、レイノルズの3人がロックウッドの家で「グッド・モーニング」を踊り歌うシーンも素晴らしく、ハリウッドを代表する名作のひとつであり、今なお、色褪せることなく輝きを放っている映画である。

(アメリカ映画/MGM カラー 103分)





「cast」
ジーン・ケリー
ドナルド・オコーナー
デビー・レイノルズ
ジーン・ヘイゲン
ミラード・ミッチェル
リタ・モレノ
ダグラス・フォーリー
マッジ・ブレイク
シド・チャリシー

  ■スペーサー
「staff」
製作:アーサー・フリード
監督・振付:スタンリー・ドーネン&ジーン・ケリー
脚本:ベティ・コムデン&アドルフ・グリーン
作曲:ナシオ・ハーブ・ブラウン
作詞:ベテイ・コムデン&アドルフ・グリーン
撮影:ハロルド・ロッスン

 For more information "Singin' in the Rain" visit the IMDb


 17 オーケストラの少女 (One Hundred Men and a Girl)(1937) 

DVD
"Trailer"
ストーリーは、コンサート・ホールでレオポルド・ストコフスキーが指揮してチャイコフスキー交響曲第5番第4楽章の演奏が行われているが、楽屋口では失業楽士のジョン・カードウェル(アドルフ・マンジュー)は、今日こそは、ストコフスキーに直談判してオーケストラのメンバーに加えてもらおうと待っていたが、マネージャーに追い払われる。

アパートの住人たちは、彼がストコフスキーの許で働くことになったものと思ってお祝いの会を開いたが、父親のカードウェルは、声楽家を志している一人娘のパッツィ(ディアナ・ダービン)が喜ぶ様子を見ると、どうしても本当のことが言えなかった。併し、隣室にいる失業楽士マイケル(ミッシャ・オウア)にだけには真実を話すのであったが、翌日、父親は、練習に行くふりで家を出た。パッツィは、父の初練習を聴こうとコンサート・ホールへ出かけて、父が嘘をついたのを知る。父親は泣きだした娘に本当のことを打ち明けるのだが・・・。



Click Here!
<1937 Oscar Winners>




ディアナ・ダービン



この作品は、失業中のトロンボーン奏者(アドルフ・マンジュー)の娘が、資産家フロスト夫人(アリス・プラディ)と出会い、オーケストラのスポンサーになるという確約を取り付け、父親や失業中の楽団員たちを100人集めてオーケストラを結成するが、金にならない話には乗らない事業家のフロスト(ユージン・ポーレット)は、妻の気まぐれを許すはずはなく、実現には至らないのである。だが、パッツィは、最後の望みを著名なストコフスキーに指揮してもらうことで実現することになる。コンサートでパッツィは、突然歌うように言われ、ストコフスキーが「何を選ぶかね」と尋ねると、彼女は待ってましたとばかりに「椿姫」と答えて、当時16歳のディアナ・ダービンは、クラシックで鍛えた素晴らしい美声を披露してくれる。本作は随所に名曲がちりばめられ、アメリカの不況時代を背景に描かれた心温まる必見の映画である。

Leopold Stokowski
"See Large Image"
指揮者のレオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski)は、ルネサンス音楽から20世紀音楽に到る極めて幅広いレパートリーをどんな曲でも常に新鮮で刺激のある演奏を、指揮棒を使わずに指揮を行っているが、これは、1本の棒より、10本の指の方が遥かに優れた音色を引き出せるとの理由からであると言われている。

ストコフスキーは、1882年、ロンドンに生まれ、1909年、パリで指揮者としてデビュー、その後にはロンドンでもデビューし、シンシナティ交響楽団の常任指揮者を経て、1912年から40年までフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者に就任し、同管弦楽団を世界一流のアンサンブルに育てたが、メディアへの関心が深く、早い時期からレコーディングに積極的であった。まだアコースティック録音の時代であった1917年以来、膨大な数の録音を行い、最初の録音はブラームスのハンガリー舞曲第5番と第6番を1925年に初めてオーケストラの電気録音を行い、1932年には当時の米ベル研究所により、これも世界初となるステレオ録音を行っている。

(アメリカ映画/ユニヴァーサル モノクロ 84分)





「cast」
ディアナ・ダービン
レオポルド・ストコフスキー
アドルフ・マンジュー
アリス・プラディ
ユージン・ポーレット
ミッシャ・オウア
ビリー・ギルバート
アルマ・クルーガー
ジャック・スマート
ジェッド・プラウティー
  ■スペーサー
「staff」
製作:チャールズ・ロジャース&ジョー・パスタナーク
監督:ヘンリー・コスター
原作:ハンス・クレーリー
脚本:ブルース・マンイング、チャールズ・ケニヨン、ジェームス・ミュルハウザー
音楽監督:チャールズ・プレヴィン
美術:ジョン・ハークライダー
撮影:ジョゼフ・ヴァレンタイン



 For more information "One Hundred Men and a Girl" visit the IMDb


 18 かれらに音楽を (They Shall Have Music)(1939) 

DVD
"Highlights"
ストーリーは、養父に育てられた不良少年のフランキー(ジーン・レイノルズ)は、ある日、拾ったチケットでヤッシャ・ハイフェツ の独奏会で深い感銘を受け、亡き実父のヴァイオリンを弾いていたところ、養父の怒りを買い家を追い出された。フランキーの住むブルックリンには、ローソン(ウォルター・ブレナン)教授が子供の為の音楽学校を開いていたが、彼はフランキーの音楽の才能を認め入学させた。併し、学校は経営難で教授の娘のアン(アンドリア・リーズ)は常に金策に奔走しているが、彼女の恋人であるピーター(ジョエル・マクリー)の働くフラワー(ポーター・ホール)楽器店にも多額の負債があった。
フランキーは、子供達の先頭に立って街頭演奏で募金活動をしていたが、丁度そこを通ったハイフェツに学校での演奏を懇願した。だが、彼は同情するが、多忙の為、代りに彼の演奏映画を貸してくれた。その映画会の最中に借金の催促にフラワーが現れ、解雇されて学校の経営を手伝っていたピーターは、ハイフェツが学校で演奏会を開くと偽ってその場を逃れたのだが・・・。



Click Here!
<1939 Oscar Winners>




ジーン・レイノルズ



ヤッシャ・ハイフェッツ
"See Large Image"
この作品は、名ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツ(Jascha Heifetz) が、経営難の音楽学校に手を差し伸べるという音楽映画であるが、ハイフェッツ本人が演奏するシーンも数多くあり、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をフリッツ・ライナーの指揮で披露している場面などは聴きところと言える。ヤッシャ・ハイフェッツ は、1901年、ロシア帝国領ビルナ (現在のリトアニアの首都) にユダヤ人として生まれた。

3歳でヴァイオリンを始め、神童と呼ばれ、5歳でレオポルト・アウアーの元弟子に師事、7歳でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏し、デビューした。1910年には、レオポルト・アウアーに師事するため、サンクトペテルブルク音楽院に入学、12歳でアルトゥール・ニキシュに招かれベルリンでデビューすると、同年ニキシュの指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と演奏している。

1917年には、カーネギー・ホールでアメリカ・デビューを果たし、同年のロシア革命を避けるため、そのままアメリカに在住、1925年にアメリカ市民権を得た。そんな時代を経て、世界中を演奏旅行しながら多数の録音も行う演奏活動を長く続け、20世紀を代表するヴァイオリニストであり、「ヴァイオリニストの王」と称されたが、1987年にロサンゼルスにて86歳で他界。

(アメリカ映画/サミュエル・ゴールドウィン/ユナイテッド・アーチスツ配給 モノクロ 105分)





「cast」
ヤッシャ・ハイフェツ
アンドリア・リーズ
ジョエル・マクリー
ジーン・レイノルズ
ウォルター・ブレナン
マージョリー・メイン
ポーター・ホール
テリー・キルバーン
  ■スペーサー
「staff」
製作:サミュエル・ゴールドウィン
監督:アーチー・L・メイヨ
アソシエイト・プロデューサー ロバート・リスキン
脚色:ジョン・ハワード・ロウソン
原作:イルムガード・フォン・クーベ
撮影:グレッグ・トーランド
音楽監督:アルフレッド・ニューマン


 For more information "They Shall Have Music" visit the IMDb


 19 ファンタジア (Fantasia)(1940) 

DVD
"The Making
of Fantasia"

この作品は、第1部が8曲、第2部が6曲で、7つのパートに分かれ、8つの古典名曲の調べに合わせて展開される。最初に、バッハの「トッカータとフーガ・ニ短調」で始まり、次に、チャイコフスキーの「組曲のくるみ割り人形」は、ホフマンのお伽噺「くるみ割りとネズミの王様」をバレエ化したもので、そのバレエ音楽が映画では6曲が使われている。「魔法使いの弟子」ではミッキー・マウスが登場し、「春の祭典」では、2部に分かれた舞踊曲となっている。

インターミッション後にベートーヴェンの「田園交響曲」で、これは虹の女神アイリス、黄金の車を駆るアポロに月の女神ダイアナや夢の神モルフェウスの幻想となって、ポンキエリの「時の踊り」、ムソルグスキーとシューベルトの「禿山の一夜とアヴェ・マリア」と続く。ウォルト・ディズニーの長編映画の第3作目は、デュカスの「魔法使いの弟子」をもとにした短編漫画でミッキー・マウスが主役で出演、ストコフスキーとスタジオ・オーケストラが伴奏をつけたが、ストコフスキーの助言でディズニーは更にクラシック曲を8曲加えて長編作品にしたのがこの映画である。 音楽学者のデームズ・テイラーが語り手になって、ストコフスキーはフィラデルフィア管弦楽団を指揮している。

Click Here!
<1940 Oscar Winners>







この映画は、初めてステレオ・サウンド方式で作られ、サラウンドの原型ともいえる再生方式を世界で初めて実用化されことでも、技術的にも重要な歴史的映画といえるが、当初は、前方3チャンネル(左、中央、右)のミキシングによるステレオ録音であった。再生するには複数のスピーカーを劇場内に設置し、各チャンネルのスピーカーごとに音声を出力して立体感を出し、フィルムの光学サウンドトラックは、当時主流のSPレコードよりも、ノイズが低く周波数特性も優れ、長時間の録音が可能であった。しかし、それぞれの音声チャンネル再生専用の映写機とアンプを準備して音声を同期させるには非常に大掛かりなシステムとなり、すべての劇場では、このステレオ・サウンドの音響効果を再現するのは不可能であったという。

オリジナル版が9チャンネルのマルチ・ステレオ収録であったので、1950年代にシネマスコープ版のサラウンド・ステレオにてリバイバル上映されたが、その後、オリジナル・サウンド・トラックの老朽化の為、1982年にアーウィン・コスタル指揮によるドルビー・サウンド版の『ファンタジア』が再公開されている。

ストコフスキーは、オーケストラの少女』や、本作のディズニーの画期的な音楽アニメーション『ファンタジア』など、映画にも出演し、クラシック音楽の大衆への普及に努めた。『ファンタジア』により1941年の第14回アカデミー賞の特別賞をウォルト・ディズニーとともに授賞している。

(アメリカ映画/ウォルト・ディズニー カラー 120分)

『ウォルト・ディズニー映画作品』詳細解説ページ
(Musical Movies Collection of Walt Disney Site)







「cast」
ディームズ・テイラー
レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団
  ■スペーサー
「staff」
製作:ウォルト・デズニー
監督:サミュエル・アームストロング、ジェームス・アルガー、ビル・ロバーツ他

 For more information "Fantasia" visit the IMDb


 20 カーネギー・ホール(Carnegie Hall)(1947) 

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、ノラ・ライアン(マーシャ・ハント)はカーネギ・ホールの掃除婦であったが、彼女は、この音楽家の登龍門であるミューズの殿堂、カーネギー・ホールには、1891年の開場以来深い愛情を持っていた。彼女には若いピアニストのトニー(ハンス・ヤーライ)という恋人があったが、彼は芸術家気質のムラ気な男で、ノラと結婚して一子を授かるが、指揮者と喧嘩、泥酔して階段から落ちて死んでしまう。

ノラは守衛のドン・ドノヴァン(フランク・マクヒュー)に励まされ、トニーが成長して立派な音楽家になることだけを楽しみにして来た。やがて、彼女は事務係に昇進し、ピアノを習うようになったトニー(ウィリアム・プリンス)を連れてカーネギー・ホールの演奏会にかかさず出かけるのである。ある日、トニーはホールでルス(マーシャ・オドリスコル)という歌手志願の娘に会い、彼女からヴォーン・モンローに紹介されモダン音楽に惹かれていくのである。クラシック一辺倒のノラにとってこれは大変な驚きであったが、トニーは母の元を去ってまで自己の道に生きようとするのであったが、息子を失ったノラは、急に老け込んできた。だが、ある夜、守衛のドノヴァンが彼女とルスを案内したカーネギー・ホールの舞台に、ストコフスキーに紹介されて颯爽と登場した若い作曲家、トニーの晴れの姿を目にするのであった。

Click Here!
<1947 Oscar Winners>




カーネギー・ホール
カーネギー・ホール



この作品は、音楽会場として世界的に著名なニューヨークのカーネギー・ホールと関係の深い演奏家とを紹介する記録的な映画で、カーネギー・ホールが主役であり、そこへの出演を夢見る少年と、その母が本来の主役であるが、出演する名演奏家の顔ぶれが豪華である。ストコフスキーは劇中でチャイコフスキーの交響曲第5番第2楽章を指揮し、他にブルーノ・ワルター、フリッツ・ライナー&ヤッシャ・ハイフェッツなどが出演している。

アンドリュー・カーネギー
"See Large Image"
カーネギー・ホールは、(Carnegie Hall)は、ニューヨークのマンハッタンのミッドタウンにあるコンサートホールで、かつてはニューヨーク・フィルの本拠地であった。鉄鋼王と呼ばれる実業家、慈善家のアンドリュー・カーネギー (Andrew Carnegie) により建てられ、1891年5月5日、指揮者ウォルター・ダムロッシュと作曲家チャイコフスキーのコンサートによりこけら落としされた。1925年にアンドリュー・カーネギーの未亡人により不動産開発業者に売却され、一時存在も危ぶまれたが、アイザック・スターン等の運動によりニューヨーク市が買い取り、現在は非営利のカーネギー・ホール・コーポレーションが運営している。

ピアニストのルービンシュタインがある時、この近所で「カーネギーホールへはどうやって行くんですか?」"Pardon me sir, but how do I get to Carnegie Hall ?"と尋ねられた際に、こう答えたという。「練習して練習して、さらに練習してください。」"Practice, practice,& practice." 現在のカーネギーホールの案内ページには、この冗談を思い出させるような文章が書かれている。

(アメリカ映画/フェデラル フィルム/ユナイテッド・アーティスツ配給 モノクロ 130 分)





「cast」
マーシャ・ハント
ウィリアム・プリンス
フランク・マクヒュー
マーシャ・オドリスコル
ハンス・ヤーライ

  ■スペーサー
「staff」
製作:ウィリアム・ルバロン、ボリス・モロス
監督:エドガー・G・ウルマー
脚色:カール・カム
原作:シーナ・オウエン
撮影:ウィリアム・ミラー
美術:ックス・リー
音楽:ジグモンド・クラムゴールド
指揮:チャールズ・プレヴィン
音楽演奏:ロバート・ラッセル・ベネット
編集:フレッド・R・フェイシャンズ・ジュニア
衣装(デザイン):マックス・リー

 For more information "Carnegie Hall" visit the IMDb


 32 ゾラの生涯 (The Life of Emile Zola)(1937) 

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、若き日のエミール・ゾラ(ポール・ムニ)は、パリの屋根裏でポール・セザンヌと同居し 、真実追求の情熱を著作に打ち込んだが、真実を書いたゆえに出版社での職も失った。ある日、警官に追われていた巷の女ナナを救い、彼女の身の上話を小説にして大好評を得、続いて書いたルーゴン・マッカールの書籍でゾラは一流作家となって、やがて富と地位を得て文豪の名声を博するのである。そのころ全世界を騒がせていたドレフュス事件が起こり、軍の機密を某国にもらしている参謀部将校が、何者であるか突き止め得なかった軍首脳部は、ユダヤ人であるが故にドレフュス大尉を犯人と断じ、反逆罪で悪魔島へ終身刑の囚人として送った。

夫の無罪を信じるドレフュス夫人は、ゾラを訪れて世論に訴えて夫を救ってくれと頼み、ゾラは有名な「余は訴う」と題し、ドレフュス事件の再審を天下に訴えた。軍の首脳部は、真犯人がエステルハジー少佐であることを知っていたが、有罪と決してドレフュスの処刑をくつがえすのは、首脳部の責任を問われる恐れがあり、真相をもみ消すことにした。そして、軍は裁判所に干渉し、ゾラを中傷罪として逆に訴え、新聞にもゾラは国賊と書かせて大衆を扇動したのである。その結果、ゾラの友人である弁護士ラボリの熱弁の甲斐もなく、ゾラは有罪となり2年の禁固が申し渡されるが、友人たちは、ゾラをイギリスに亡命させるが、翌年帰国し、その後も友人たちは正義のための論陣を張り続けた。やがて政変でフランス政府は一変し、軍首脳部は、ことごとく退職させられ、真犯人エステルハージ少佐は自決、ゾラは愛国者として迎えられ、ドレフュスも悪魔島から召還され、軍籍に戻り中佐に昇進する。


ポール・ムニ



エミール・ゾラ
"See Large Image"
この作品は、フランスの文豪ゾラ(Emile Zola)の生涯とドレフュス事件を大きく扱った伝記映画であるが、ドレフュス事件(Affaire Dreyfus)とは、1894年にフランスで起きた、当時フランス陸軍参謀本部勤務の大尉であったユダヤ人のアルフレッド・ドレフュスに対する冤罪事件である。

普仏戦争(1870〜71年、ドイツ統一をめざすプロイセンと、これを阻もうとするフランスとの間で行われた戦争)に敗れた結果、鉄鉱石と石炭の豊富なアルザス・ロレーヌ地方を失い、莫大な賠償金を課せられたフランスは大きな困難に直面し、国内経済の不振で資金は有利な海外投資に向けられ、ロスチャイルド系などのユダヤ系の金融資本が国民の貯蓄を投資に引き入れ、東ヨーロッパなどへの投資を行った。しかし1882年には金融恐慌が発生し、多くの投資銀行が破産に追いやられた結果、貯蓄をなくした人々は金融界を牛耳るユダヤ人への憎悪を昂らせたのが背景にあった。

エミール・ゾラ(Emile Zola)1840年生まれ、フランスの小説家で、自然主義文学の定義者で、代表的存在であった。代表作品は、全20作の「ルーゴン・マッカール叢書」で、「居酒屋」、「ナナ」などがある。本作は、第10回アカデミー賞最優秀作品賞、助演男優賞(ジョーセフ・シルドクラフ)、脚色賞を受賞している。

(アメリカ映画/ワーナー・ブラザース モノクロ 116分)





「cast」
ポール・ムニ
ジョゼフ・シルドクラウト
ゲイル・ソンダーガード
グローリア・ホールデン
ドナルド・クリスプ
エリン・オブライエン・ムーア
  ■スペーサー
「staff」
監督:ウィリアム・ディターレ
脚本 :ノーマン・ライリー・レイン、ハインツ・ヘラルド、ゲザ・ヘルツェグ
原案 :ハインツ・ヘラルド、ゲザ・ヘルツェグ
台詞: アーヴィング・ラパー
撮影: トニー・ゴーディオ
音楽 :マックス・スタイナー


 For more information "The Life of Emile Zola" visit the IMDb


 33 若き日のリンカン (Young Mr. Lincoln)(1939) 

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、イリノイ州で雑貨屋を営んでいたエイブラハム・リンカーン (ヘンリー・フォンダ)は、人々にすすめられて州議会選挙に立候補したが、法律家として立つ決心をかため、スプリング・フーィルドで、友人のジョン・スチュアート(エドウィン・マックスウエル)と法律事務所を開いたが、やがて、弁護士として次第に人の注目を引くようになった。独立記念日の夜、警官スクラブ・ホワイト殺害事件が発生、犯人としてアバゲイル・クレイ(アリス・ブラディ)の息子、マットとアダムが逮捕された。

激昂した群衆は兄弟をリンチにかけようとしたが、リンカンの沈着冷静な説得によって、その場の騒ぎはしずまった。やがて、事件の公判が始まり、目撃者キャスの証言で兄弟の有罪は決定的になったが、最後に立ち上がったリンカンは、反証すると共に推理でキャスこそ真犯人であることを指摘し、クレイ一家を救ったのだった。



ヘンリー・フォンダ



この作品は、第16代アメリカ大統領リンカンの青春時代を描いたもので大統領なる以前に正義感溢れる弁護士として活躍していた時代の法廷ドラマである。

エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)はケンタッキー州ハーディン郡の農場で、1809年2月12日にトーマス・リンカーンおよびナンシー・ハンクス夫妻の息子として生まれ、インディアンに殺害された祖父のエイブラハム・リンカーンにちなんで命名された。1860年の大統領選挙での共和党大統領候補に指名され、大統領候補に名乗りをあげた共和党政治家の中では対南部強硬派のウィリアム・スワードが本命であったが、多数派工作の末、内戦を恐れた穏健派の推したリンカーンが、無難な妥協候補として共和党大統領候補に選ばれた。

エイブラハム・リンカーン
"See Large Image"
大統領選挙戦の最中に11歳の少女グレース・ベデルに「ひげを生やしたほうが良い」とアドバイスされ、それに従ってひげを生やしたと言われる。リンカーンは奴隷制の拡張に反対し、アメリカ合衆国を二分、南北戦争となったが、多くの権力を手中に、議会の認可無く支出を行い、戦争を指揮し、北部連邦を南部連合に対する勝利へと導いた。

リンカン大統領は、1865年4月14日フォード劇場で北軍のメリーランド州出身の俳優ジョン・ウィルクス・ブースに1.2mの至近距離から拳銃で後頭部を撃たれ亡くなった。多くの都市がリンカーンにちなんで命名され、最も有名なのはネブラスカ州の州都である。

ワシントンD.C.にはリンカーン記念館があり、5ドル紙幣および1セントコインに彼の肖像が採用されている。また、サウスダコタ州のラシュモア山国立記念公園に顔を彫られている。テネシー州ハロゲートにはリンカーンを記念してリンカーン・メモリアル大学が設立され、大学内にはグラント将軍、リー将軍に因んだグラントリーという建物があり、玄関にはリンカーン南北戦争博物館がある。

(アメリカ映画/20世紀フォックス モノクロ 100分)





「cast」
ヘンリー・フォンダ
アリス・ブラディ
マージョリー・ウィーヴァー
ポーリン・ムーア
リチャード・クロムウェル
ドナルド・ミーク
  ■スペーサー
「staff」
監督:ジョン・フォード
アソシエイト・プロデューサー:ケネス・マクゴワン
脚本:ラマー・トロッティ
撮影:バート・グレノン
音楽:アルフレッド・ニューマン

 For more information "Young Mr. Lincoln" visit the IMDb


 38 六番目の幸福(The Inn of the Sixth Happiness)(1958) 

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、イギリス女性のグラディス・エイルワード(イングリッド・バークマン)は、第二次世界大戦が始まる前、ロンドンにあるキリスト教の中国伝道本部のロビンソン博士(モルトリー・ケルサル)を訪ね、中国伝道に採用して欲しいと申し入れる。だが、博士は、今の中国では伝道は難しく、特別な教育や資格が無くては無理だと断られる。併し、彼女の熱意と信念は変わらず、ある家庭に掃除婦として、休みなく働き続け旅費を積み立て中国を目指すのである。やがて、彼女はオランダ、ドイツ、ポーランド、ロシアを経由するシベリヤ鉄道で大陸を横断してハルピンからテンシンに入り、さらに奥地のワンチェン村に到着する。そこで、女性の伝道師ローソン(アシーン・セイラー)に歓迎され、二人は「六番目の幸福」(六福桟)という宿屋を始め、ここを行き交うロバに乗った行商人たちへの伝道を始めるが、間もなくロウソンは不慮の死をとげてしまう。

ある日、中国軍の混血将校であるリナン(クルト・ユルゲンス)は、村の省長(ロバート・ドーナット)に纒足禁令を伝えに訪れたが、グラディスには帰国を勧めるのである。だが、彼女の熱意は変わらず、困難と思われた纒足禁止調査員の役目も見事に果たし、囚人の暴動もしずめ、3年間にわたる村への献身によって村人たちの信望を集めるのである。リナンは、日本軍進攻を知らせにワンチェン村を再び訪れたが、原住民の協力を説いて廻るリナンと纒足調査員として共に旅するグラディスは次第に心惹かれるようになる。


リナンは、彼女の孤児養育に心を動かされるが、省長は感謝のしるしに自らクリスチャンに改宗し、彼女を感激させる。日本軍の爆撃機による空爆が始まり日本軍の接近につれて、彼女のもとに集る孤児の数は増え続け、ついに100人に達した。折しも伝道本部から3週間以内に孤児を西安に連れて来ればバスで安全な所に避難させるとの知らせがあった。出発にあたり、リナンは彼女に安全な道を教え、ヒスイの指輪を与え彼女への愛を誓う。西安への道は、険しい山を越え、川を渡るなど困難をきわめ、また激しい雨や風と、それに日本軍の危険に遭遇しながら苦しい旅であったが、子供たちは、飢えと疲れに弱りながらも、無事に目的地の西安にたどり着き、人々の歓迎を受けるのである。大任を果したグラディスはリナンとの再会と、戦火に荒れはてた村を建てなおすために再びワンチェン村へ帰って行くのである。



「六番目の幸福」詳細解説ページ
(The Inn of the Sixth Happiness Description Site)


Click Here!
<1958 Oscar Winners>




この作品は、「人間は互いに対して責任があるという、誠実で愛に満ちた信念をグラディス・エイルワードは全うした。この映画は彼女の生涯を基に製作された。」と、オープニングに紹介される。日本軍による中国侵略が開始された1930年代初頭、中国の人民に献身的に尽くし、100人の孤児を日本軍の魔手から救ったイギリス女性の実話を基に描いたスケールの大きい豊かなヒューマン・メロドラマの大作である。

映画のタイトルになっている『六番目の幸福』というのは、宿の名でもあり中国の幸福についての考え方で、1、富 2、長寿 3、健康 4、徳 5、安らかな死 そして、「六番目の幸福」は、それぞれが「自分で探すもの」ということを表しているのだそうである。フィナーレで、グラディスが、子供達を西安まで引率し、西南間近で子どもたちが大合唱する"This Old Man"の歌声が段々と大きく響きわってくるところは特に感動するところである。

"THE CHILDREN'S MARCHING SONG (This Old Man)"
Traditional (Arranged by Malcolm Arnold)
Sung by Ingrid Bergman and a children's chorus


"This Old Man"は、マザーグースの一つとして知られる数え歌で、数字の1から10までうまくライム(韻)が踏まれている。

This old man, he played one
He played knick-knack on my thumb
With a knick-knack paddywhack,
Give your dog a bone
This old man came rolling home

おじいさん 数字の1
親指にコツンとやった
コンコンピシャリ 犬に骨
ふらふら家に帰った

(アメリカ映画/20世紀フォクス カラー 157分)





「cast」
イングリッド・バークマン
クルト・ユルゲンス
ロバート・ドーナット
マイケル・デイヴィッド
アシーン・セイラー、
ロナルド・スクワイヤー
モルトリー・ケルサル
リチャード・ワッティス
ツァイ・チン

  ■スペーサー
「staff」
製作:バディー・アドラー
監督:マーク・ロブソン
原作:アラン・バージェス
脚本:イゾベル・レナート
撮影:F・A・ヤング
音楽:マルコム・アーノルド
美術:ジョン・ボックス
編集:アーネスト・ウォルター

 For more information "The Inn of the Sixth Happiness" visit the IMDb


 39 アンネの日記 (The Diary of Anne Frank)(1959) 

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、1945年、ナチ占領下から解放されたアムステルダム、強制収容所を出たオットー(ジョゼフ・シルドクラウト)は、想い出の屋根裏部屋に戻って来た。そこで娘のアンネ(ミリー・パーキンス)が書いた日記を見付けるが、日記は1942年7月9日から始まっていた。アンネの父オットーはユダヤ人で、母はオランダ人、姉のマーゴット(ダイアン・ベーカー)とアンネはドイツで生まれ、ヒットラーが政権をとるとユダヤ人排斥が始まり、アンネ一家は親友のバン夫妻と息子ピーター(リチャード・ベイマー)と共に、オランダへ亡命し、隠れ家は香味料工場の屋根裏部屋であった。

両親は耐乏生活に苦労したが、やがて、戦争は連合軍側に有利になってきた。その頃、家主のミープ(ドディ・ヒース)がオットーに1人同居人を入れてくれと頼みにきた。彼はデュッセル(エド・ウィン)というユダヤ人の歯医者で、彼は一家の人々に、ナチのユダヤ人殺害の話をし、アンネはその話を聞き、ある晩夢を見て悲鳴をあげた。

毎年12月に行われるユダヤ人のハヌカ祭が、屋根裏でささやかに開かれ、アンネは父に手編みのマフラーの贈物をしたが、その時、階下で物音がした。泥棒が入ったらしい。おびえたアンネはピーターに抱きついたが、デュッセルはピーターが音を立てたと責めたが、泥棒が捕まった時、その物音から自分たちの所在がばれるのを恐れたからであったが・・・。

Click Here!
<1959 Oscar Winners>




出演者



この作品は、冒頭にアムステルダム市の協力により、アンネの隠れ家で撮影され、日本でも翻訳出版されたアンネ・フランクの『アンネの日記』の映画化である。第二次世界大戦最中のナチス・ドイツ占領下でのオランダ・アムステルダムを舞台に、ナチスのユダヤ人狩りを避けるため、日中は物音ひとつ立てられない緊迫した隠れ家に潜んだ8人のユダヤ人達の生活が描かれている。日記は密告によりドイツ秘密警察に捕まるまで、およそ2年間に及び、彼女の死後、父オットー・フランクによって出版され、世界的ベストセラーになった。密告者は、泥棒だと映画では云われるが、詳細は未だに不明との説もある。

アンネ・フランク
"See Large Image"
1944年8月4日、午前10時から10時半頃、隠れ家に潜んでいた8人のユダヤ人は、何者からかの密告を受けてアムステルダム駐留の保安警察(SD)によって逮捕される。この時オットーは、「2年間恐怖の生活を送ってきたが、これからは希望を持って生きよう」と、皆に云うのである。彼らを匿っていたヴィクトール・クーフレルとヨハンネス・クレイマンの2人も連行されたが、女性だったミープ・ヒースとベップ・フォスキュイルは逮捕を免れる。

逮捕されたユダヤ人8人の中で戦後を迎えることが出来たのは、オットー・フランクのみで、アンネを始めとした他のユダヤ人7名はそれぞれの移送先の強制収容所で死亡した。保安警察が去ると、ミープ・ヒースとベップ・フォスキュイルは床の上に散乱した文書をすぐに回収し、それらのテキストは、戦後アムステルダムに戻ったオットーに渡された。彼はこの文書を編集してまとめ、アンネやフランク一家をよく知る人のために私家版として配ったが、やがてこの文書の存在は広く社会に知られるようになり、周囲の声に推され、本格的な出版に踏み切ることになる。最初の版1947年にオランダのコンタクト社から発売された。

ハヌカ祭とは、キリスト教のクリスマスとほぼ同じ時期に祝われるが、この二つの祭日は起源も性格も異なり、近年はクリスマス・プレゼントのようにハヌカーの期間中に「ハヌカー・プレゼント」を与える家庭や、クリスマス・ツリーに似た「ハヌカー・ブッシュ」と呼ばれる常緑樹を飾る家庭もあるが、映画では、アンネが手作りのプレゼントをそれぞれ思いを込めて贈るシーンがあり、実に微笑ましい。ユダヤ社会では「ハヌカ祭」はたいへん楽しい祭りとして受け入れられている。

(アメリカ映画/20世紀フォックス モノクロ 180分)





「cast」
ミリー・パーキンス
ジョゼフ・シルドクラウト
シェリー・ウィンタース
リチャード・ベイマー
グスティ・フーバー
ルー・ジャコビ
ダイアン・ベーカー
ダグラス・スペンサー
ドディ・ヒース エド・ウィン
  ■スペーサー
「staff」
製作・監督:ジョージ・スティーヴンス
脚本:フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット
原作:アンネ・フランク
撮影:ウィリアム・C・メラー
美術:ライル・R・ウィラー、ジョージ・W・デイヴィス
音楽:アルフレッド・ニューマン
編集:デイヴィッド・ブレザートン、ロバート・スミス、ウィリアム・メース

 For more information "The Diary of Anne Frank" visit the IMDb


 41 リトル・モー (Little Mo)(TV)(1978)  

Video Soft
"Full Movie"
ストーリーは、バルボア公園、けたたましくサイレンを鳴らした救急車でリトル・モーが搬送され、彼女はウィンブルドンで皆さんが声援してくれたあの感激は忘れられないと呟いている・・・、映画はフラッシュ・バックされて、カルフォルニアのサンデイゴの海軍基地。

モーリン・コナリー(グリニス・オコナー)は、4歳で父親と別れ、2年後にはテキサスで父は他界し、今は、母ジェス(アン・バクスター)と叔母のガート(アン・ドーラン)の3人でサンデイゴに暮らしているが、生活は楽ではなかった。ある日、彼女はテニス・ショップを経営しているウィルバー・フォルサム(マーティン・ミルナー)のテニス・コートにやって来て、ボール拾いの手伝いからコーチを受けるようになる。フォルサムは、自分を鍛えるにはテニスは最高のスポーツで精神と体を作る。だが、プロになるには、すべてをかけなくてはならないと言うが、この時から左利きの彼女は右利きでの猛烈な練習がはじまる。一方、家では母がガス(クロード・エイキンズ)との再婚話が持ち上がっているが、彼は娘のプロのテニス・プレーヤーを目指すことには、ここごとく反対をしている。

モーリン・コノリー
"See Large Image"
ある日、母親のジェスは娘に云われてフォルサムに面会し、彼は教えるが、その先は本人次第だと言う。だが、好意的にレッスン料は半額にしてくれる。それを喜びコナリーは、熱心に練習をするのである。やがて、サンディエゴ・テニス大会出場に母親は渋々承諾するが、彼女はコーチの指導で、最初の大会は13歳以下の女子シングルで決勝に残り、歳も腕も上の相手と対戦した。バルボア・テニス・クラブでは、サンデイゴ最大のハーバー・ジュニア大会に参加、6ヶ月、600時間の練習の結果、コノリーは優勝する。

コーチがスポーツ記者のネルソン・フィッシャー(レスリー・ニールセン)を紹介するが、彼はコナリーに今後は、将来を考えなくてはならないとアドバイスをし、戦艦ミズリーは「モー」、それより攻撃力のあるサンデイゴの「リトル・モー」だと言う。コーチは、高い目標と、一流になるためには、名コーチの指導が必要だと言って、多くの名選手を育てたビバリー・ヒルズ・テニス・クラブのエレノア"ティーチ"テナント(マイケル・ラーンド)コーチを紹介する。そこでリトル・モーは、実技を試され、1946年、ロスアンゼルス・テニス・クラブでのジュニア戦で優勝して、"ティーチ"の元に毎週末通うことになった。それから、シアトル、バンクーバー、ソルトレーク、デンバー等々成果を試すツアーの行く先々で彼女は優勝し、14歳で西海岸の伝説となり、ウエスト・サイド・テニス・クラブでは、16歳で全米チャンピオンになった。(1923年にヘレン・ウィルズが17歳で優勝している)

グリニス・オコナー

愈々、ウィンブルドンを目指すのであるが、ウィンブルドンは、ロンドン郊外の自治都市で、1877年に最初に全英オープンが開催された世界最大のテニス大会である。7年目、13人の相手を破り、モード・ワトソンが最初の女子チャンピオンになり、アメリカ初のチャンピオンは、18歳のメイ・サットンで、1904年のことであった。1920年代後半は、ヘレン・ウィルズ、1939年は、アリス・マーブル。1952年、17歳のリトル・モーは、勝利のリストに自分の名をと願うのである。そこには、「勝利も敗北もペテンとみなすべし」"If you can meet with triumph and disaster and treat those two imposters just the same..."のプレートが飾ってある。

ある日、彼女は練習中に肩を痛め診断の結果、コーチは出場を止めるが、無理を通して出場したため、出場を許さなかった"ティーチ"は、彼女の許を去って行くが、イギリスのスーザン・パートリッジとは、相手のミスに助けられ、第1セットで6-3で取ったが、第2セットでは、肩の痛みをぶり返したものの勝利を手にするのである。シャリー・フライとの準決勝でも勝ち、5回目出場のルイーズ・ボローとも2セットで優勝、試合は終了した。ここにリトル・モーは、ウィンブルドンの女子シングルス・チャンピオンとなった。帰国したサンデイゴでは、歓迎会が開催され、市民から「コロネル・ボーイ」(駿馬)が贈られ、彼女はもう一つの夢を叶えた。だが、ある日、乗馬中にミキサー車と接触事故により足を大怪我、2度と試合に出場出来なくなる。やがて、以前に乗馬で知り合った海軍乗馬チームの水兵ノーマン・ブリンカー(マーク・ハーモン)と結婚、2人の娘に恵まれ、幸せな日々を送っているが・・・。

Click Here!
<1978 Oscar Winners(v 2.0)>




この作品は、リトル・モーと呼ばれる少女、モーリン・コノリー(1934〜1969年)(Maureen Catherine Connolly)の天才少女テニス・プレーヤーとして注目を浴び、テニスに夢を託し成長していく彼女の姿や葛藤を描いた実話の映画化である。彼女は、1953年に豪仏英米のグランドスラム目指したが、同年制覇したのは、ドン・バッチのみ、全仏オープンでは、ドリス・ハートを破り優勝。ウィンブルドン決勝でもハートを3つも制覇し、残るは全米オープンへ勝ち進んだ。翌年もウィンブルドンで優勝、3連覇(1852〜54)を飾った。だが、事故に遭遇し、現役を引退、34歳の若さでガンで亡くなる。アメリカでは、NBCでテレビ放映され、日本では1979年に劇場公開された。TVムービーであるが、「これは生き急いだ少女の物語」とテロップが出る。

テニスにおけるグランドスラムとは、世界4大大会である全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンを1年のうちにすべて制覇することをいい、一般的には「年間グランドスラム」と呼ばれる。また、4大大会の全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンがそれぞれ「グランドスラム」である。テニスにおいて年間グランドスラムを最初に達成した選手は、1938年のドン・バッジ(アメリカ、1915 〜2000)である。これはゴルフにおいてボビー・ジョーンズ(1902〜 1971)が1930年に達成した自らの偉業を「グランドスラム」と命名してから8年後のことで、女子で最初の年間グランドスラムを達成した選手は、1953年のモーリン・コノリーである。

(アメリカ映画/マーク VII/NBC (TV映画)カラー 150分)





「cast」
グリニス・オコナー
マイケル・ラーンド
アン・バクスター
クロード・エイキンズ
マーティン・ミルナー
アン・フランシス
マーク・ハーモン
レスリー・ニールセン
  ■スペーサー
「staff」
監督:ダニエル・ホーラー
製作総指揮:ジャック・ウェッブ
製作:ジョージ・シャーマン
脚本:ジョン・マクグリーヴィ
撮影:ハリー・ウルフ
美術:カール・アンダーソン
音楽:ビリー・メイ

 For more information "Little Mo" visit the IMDb


 42 ガンジー (Gandhi)(1982)  

Video Soft
"Full Movie"
この映画をM・コタリ氏とマウントバッテン卿そして、J・ネール氏に捧げる。彼等の激励と強い支持でこの映画は作られた。人の一生は一言では語れない、人生を彩る出来事や出会いのすべてをくまなく記することも出来ない。ただ、記録を追って、その人を映し出すよう努めるのみであるとテロップで表示される。

1948年1月30日、インドのニューデリー、ガンジーは側近とともに夕べの祈りをしようとしていた時、ヒンズー教極右派の凶弾に倒れた。国葬の日を迎え、沿道には250万を越える人々が集まっている。通信社のアナウンサーは、この盛大な葬儀の主役は、一人の私人として生き、そして死んだ。冨も財産も肩書きも持たずに、マハトマ・ガンジーは、軍の司令官や支配者でもなく、科学や芸術の天才でもない。それでも、今日は世界中から要人が集まり、この小柄な老人に敬意を払っている。彼は祖国に自由をもたらした。アメリカ国務長官のマーシャル元帥は、こう述べています。「謙虚な心と真実が帝国の力に勝ることを示した。」、アインシュタイン博士は「後世の人はまず信じないだろう、このような人物がこの世に存在したことを・・・。」

ストーリーは、1893年、南アフリカ、ガンジー(ベン・キングズレー)は、仕事の依頼でプレトリアへ行く列車の一等車に乗っていた。彼はロンドンで学んだ後、インド人商社の顧問弁護士として南アフリカに赴任して来たのである。ある白人が車掌に一等車に有色人種だ乗っていると告げると、車掌はガンジーに一等車から三等車に移らなければ放り出すと言う、だが、彼は自分の名刺(弁護士モハンダス・ガンジー)を見せ、いつも一等車に乗っていると云うのだが、結局、放り出されてしまった。弁護士と云えども有色人種は一等車には乗れないというのである。

ガンジーは、この人種差別に激しい怒りを覚え、インド人移民に呼びかけて、身分証明カードを焼き拾てることを提唱した。イギリス人牧師アンドリューズ(イアン・チャールソン)とニューヨーク・タイムズの記者ウォーカー(マーティン・シーン)等もそれを支援するのであった。ガンジーは暴力を一切使わず闘うことを信条とし、生涯禁欲の誓いを立て、アシュラム(共同農園)を建設した。差別反対闘争にインド人労働者たちも次第に結束し始め、1915年にボンベイに戻ったガンジーは、インド国民から英雄として迎えられた。当時、インドの指導的立場にある人々は、イギリスからの独立を切望しており、彼らの中には、後に首相となるネール(ロシャン・セス)もいた。ガンジーはイギリス支配下にある祖国をつぶさに見て歩き、チャンパランという寒村では、小作人の権利を守るため地主と闘い逮捕されたこともあった。


イギリスは言論、思想、集会の自由を抑圧した法律を第一次大戦後のインドに適用したため、ガンジーは、1919年4月6日を全国民の祈りと断食の日とし、ストライキを呼びかけたために逮捕された。だが、今やマハトマ(偉大なる魂)と呼ばれ、全国民の精神的支柱となり彼を裁判にかけることは不可能であった。併し、この騒動の際中に、イギリスのダイヤー将軍(エドワード・フォックス)率いる軍隊が、アムリツァールの公園で集会中の群衆に発砲し1516人の死傷者を出すという大事件が起こった。2年後、ガンジーは、イギリス製の衣類を焼くように呼びかけるなどイギリスに抵抗するが、国民のイギリスに対する不満は、流血の暴動となって、これを嘆いたガンジーは断食で無言の説得を行ない鎮静させる。その直後ガンジーはイギリスに対する非協力で逮捕され、6年の刑で投獄された。だが、判事のブルームフィールド(トレヴァー・ハワード)は、ガンジーに同情的であった。

数年後、ガンジーは、イギリス人が独占していた製塩事業に対抗するため、民衆と共にダンディーの海岸へ向けて「塩の大行進」を決行した。インド人による製塩所を設立し、軌道に乗った頃にイギリス軍に取り上げられ、無抵抗の民衆は容赦なく殴打され、ガンジーは逮捕された。1931年、釈放されたガンジーはアーウィン卿(ジョン・ギールグッド)と交渉の結果、ロンドンの円卓会議に出席したが、独立は勝ち取れなく、やがて第二次大戦が勃発した。戦争に反対するガンジーは、アガーカーン宮殿に収容されたが、その彼を、「ライフ」の女性記者マーガレット・バーク・ホワイト(キャンディス・バーゲン)がカメラを撮り続けた。独立を目前にしたインドだったが、回教徒はヒンズー教徒と袂を分かち、1947年8月、アリ・ジンナー(アリクエ・パダムゼ )を指導者としてパキスタンを建国し、そのため、国境を中心として両教徒の間で衝突が激化、内戦状態になった。これを悲しんだガンジーは、カルカッタで断食を行ない、民衆に武器を捨てさせることに成功するのである。

Click Here!
<1982 Oscar Winners(v 2.0)>




この作品の製作、監督したリチャード・アッテンボローは、ガンジーの伝記映画を思い立ったのは1962年のことと云われており、それから完成するまで20年以上の年月が経過している。映画化にあたって最大の問題は、誰がこの歴史上の偉大な人物を演ずるかということだったそうで、候補に挙がったのは、アレック・ギネス、アルバート・フィニー、ピーター・フィンチ、ダーク・ボガートなどが検討されたが、最終的にシェークスピア劇団に出演していたベン・キングスレーに決定されたが、アッテンボローは、彼の瞳の深い輝きに打たれたからだと云っている。

映画『ガンジー』は、宗教家であり、インド独立の父として知られるマハトマ・ガンジーの青年時代から暗殺までを描いた伝記映画であるが、初めて映画に出演したインド人の血を引くイギリス人俳優のベン・キングズレーが、極限までガンジーの外見と仕草を模倣しながら熱演し、動員されたエキストラは30万人を超え、エキストラの最多記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。ロケ地では、ベン・キングスレーの風貌があまりにもガンジーに酷似していたため、周囲の住民はガンジーが生き返ったと思い込み、彼の元に参拝するものが後を絶たなかったとのエピソードもある。本作は、歴史の教科書には必ず載っているマハトマ・ガンジーの生涯を描いた魂の名作である。

モハンダス・カラムチャンド・ガンジー
"See Large Image"
ガンジー(モハンダス・カラムチャンド・ガンジー/Mohandas Karamchand Gandhi)は、イギリス領インド帝国(1877年にイギリスが インドに成立させた 属国のインド帝国/Indian Empire) 、英領インド、 英印 とも呼ばれ、1947年にインドと パキスタン(1971年に更に バングラデシュが分離)が独立、翌1948年には、ビルマとセイロンも分離独立。現在のグジャラート州の港町ポールバンダルで、当時のポールバンダル藩王国の宰相カラムチャンド・ガンジーとその夫人プタリーバーイーの子として、1869年10月2日に生まれた。
ポールバンダルの小学校に入学後、12歳でアルフレッド・ハイスクールに入学し、13歳の若さで生涯の妻となるカストゥルバと結婚して18歳でロンドンに渡り、法廷弁護士となるためにインナー・テンプル法曹院に学んだ。卒業後、1893年にイギリス領南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国)で弁護士として開業したが、白人優位の人種差別政策下で、鉄道の一等車への乗車を拒否される差別など、人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになり、1880年代以降、ガンジーはインドの宗教的叙事詩バガヴァッド・ギーターとロシアの小説家トルストイの影響のもとに非暴力運動思想が形成され、この時の経験が1915年にインドに帰国してからの民族運動にも生かされている。

1917年に第一次世界大戦が勃発すると、イギリスは将来の自治を約束して、植民地統治下のインド人に協力を求めた。ガンジーはこの約束を信じ、インド人へイギリス植民地軍への志願を呼びかける運動を行った。併し、戦争がイギリスの勝利に終わっても、自治の拡大は、インド人が期待したほど進行せず、またドイツからの援助を受けていたテロリスト・グループの蛮行を抑えるため、インド帝国政府は強圧的な「ローラット法」(破壊活動の容疑者に対し令状なしの逮捕、裁判なしの投獄、陪審員によらない裁判を認めた法律)を制定するに至った。このことはガンジーにイギリスへの協力が独立へとつながらないという信念を抱かせるようになり、第一次世界大戦後は、独立運動をするインド国民会議に加わり、不服従運動で世界的に知られるようになった。またイギリス製品の綿製品を着用せず、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを呼びかけるなど、不買運動を行った。こうした一連の運動のために、ガンジーはたびたび投獄された。たとえば1922年3月18日には、2年間の不服従運動のために、6年間の懲役刑の判決を受けている。第一次の不服従運動は、1922年にインド民衆が警察署を襲撃して20人ほどの警官を焼死させる事件が発生し中止されたが、1930年より不服従運動は再開された。とりわけ、「塩の行進」と称されるイギリスの塩税に抗議した運動は有名である。

インドの初代首相となったジャワハルラール・ネルーとガンジーは、1939年9月に勃発した第二次世界大戦において、インド国民会議のスバス・チャンドラ・ボースやラース・ビハーリー・ボースは、アジアにおいてイギリスと対立した日本と緊密な関係を築き、イギリスに揺さぶりをかけようとした。併し、ガンジーはアドルフ・ヒトラー率いるドイツと同盟関係にある日本と組むことはしなかった。1945年8月に第二次世界大戦が終結、イギリスは戦勝国となったが、国力は衰退し、もはやインドを植民地としての運営は困難となった。1947年8月15日、デリーの赤い城にて、ジャワハルラール・ネルーがヒンドゥー教徒多数派地域の独立を宣言、イギリス国王を元首に戴く英連邦王国であるインド連邦が成立し、その後、1950年に共和制に移行、イギリス連邦内の共和国となった。だが、ガンジーの思い通りにはいかず、イスラム教国家のパキスタン(独立当時は西パキスタンと東パキスタン、東パキスタンは後のバングラデシュ)との分離独立となった。

ガンジーは、ヒンドゥー教徒だけでなくイスラム教徒にも影響を与え、1947年8月のインドとパキスタンの分離独立の前後、宗教暴動の嵐が全土に吹き荒れた。ガンジーは、何度も断食し、身を挺してこれを防ごうとしたが、ヒンドゥー原理主義者からは、ムスリムに対して譲歩しすぎるとして敵対視された。1948年1月30日、ガンジーはニューデリーのビルラー邸で狂信的なヒンドゥー原理主義集団民族義勇団の一人ナートゥーラーム・ゴードセーらによって暗殺された。78歳であった。3発のピストルの弾丸を撃ち込まれたとき、ガンジーは自らの額に手を当て、これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作であり、そして、ガンジーは「おお、神よ」(ヘー ラーム)とつぶやいて事切れたという。国葬が行われ、遺灰は、ヤムナー川とガンジス川と南アフリカの海に撒かれた。ガンジーは、1937年から1948年にかけて、計5回ノーベル平和賞の候補になったが、本人が固辞し、受賞には至っていない。毎年10月2日は、ガンジーの誕生日にちなみ、インドで「ガンジー・ジャヤンティー」(ガンジー記念日)という国民の休日となっている。マハートマーとは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたガンジーの尊称で、また、インドでは親しみをこめて「バープー」(父親の意味)とも呼ばれている。

第55回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、撮影賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、編集賞 の8部門を受賞及び第40回ゴールデングローブ賞で、外国映画賞、監督賞、ドラマ部門男優賞、脚本賞、新人賞を受賞している。

(イギリス・インド合作映画/コロムビア モノクロ&カラー 191分)





「cast」
ベン・キングズレー
キャンディス・バーゲン
エドワード・フォックス
ジョン・ギールグッド
トレヴァー・ハワード
ジョン・ミルズ
マーティン・シーン
イアン・チャールソン
エゾウル・フュガード
ギュンター・マリア・ハルマー
サイード・ジャフリー
ジェラルディン・ジェイムズ
アリクエ・パダムゼ
アムリッシュ・プリ
ロシャン・セス
ロヒニ・ハタンガディ
  ■スペーサー
「staff」
製作・監督:リチャード・アッテンボロー
製作総指揮:マイケル・スタンレー・エヴァンス
脚本:ジョン・ブライレー
撮影:ジョン・ビリーレイ、ビリー・ウィリアムズ、ロニー・テイラー
SFX:デヴィット・ハサウェ
音楽:ラヴィ・シャンカール
編曲:ジョージ・フェントン
美術:スチュアート・クレイグ、ラム・イデッカー、ノーマン・ドーム
編集:ジョン・ブルーム
衣装(デザイン):ジョン・モロ、バヌ・アサイヤ
録音:サイモン・ケイ
スクリプター:ボブ・ライング、トム・スミス、ポーラ・ギルスピア、プロフェッサー R. プリ
スタント・コーディネーター:ゲリー・クランプトン

 For more information "Gandhi" visit the IMDb


 45 遠い空の向こうに(October Sky)(1999)  

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、1957年10月5日、この夜は、アメリカ国民に大きなショックを与えた。ウェスト・ヴァージニア州、炭鉱の町コールウッドで、ソ連の人工衛星スプートニクを見た高校生のホーマー・ヒッカム(ジェイク・ギレンホール)は、自分でロケットを打ち上げようという夢を抱くのである。彼は友人のロイ・リー(ウィリアム・スコット・リー)、オデール(チャド・リンドバーグ)、そして級友で数学の奇才であるクエンティン(クリス・オーウェン)を仲間に引き入れてロケット・ボーイズを結成し、ロケットの発射実験を行うが、何度改良を加えても失敗が続くのであった。

父のジョン(クリス・クーパー)は、昔ながらの炭鉱夫で信頼も厚い責任者であるが、息子のホーマーの行動が理解できず、父子は激しく対立する。だが、味方は高校の物理教師のミス・ライリー(ローラ・ダーン)だけで、彼らにロケット打ち上げを成功させ、全米科学コンテストに出品して優勝すれば、ヴァージニア州立大学への奨学金が出ると励ますのであった。やがて、町の人々もロケットに興味を持つようになり、協力する人も出てきた。だが、不運にも、落下したロケットが山火事を引き起こしたという嫌疑で警察に逮捕される。その直後、ジョンが炭鉱で重傷を負い、ホーマーは、家計を助けるために高校を辞めて炭鉱で働き始め、父の生きざまが解り懸命に働き、炭鉱夫の一員として認められるが、そんな折り、彼はミス・ライリーが不治の病に倒れたと聞き、彼女を見舞いに訪れ、再びロケットへの夢が再燃する。彼は独力でロケットの落下地点を計算し、山火事の原因が自分たちが打ち上げたロケットでないことを証明し、こうして「ロケット・ボーイズ」は復活し、ついにロケット打ち上げにも成功して夢を叶えるのである。

Click Here!
<1999 Oscar Winners(v 2.0)>




ジェイク・ギレンホール



この作品は、炭坑町の少年が、夜空のソ連の人工衛星を見上げて、ロケット作りに魅せられ、周囲の無理解と様々な困難を仲間たちの友情で乗り越え、遂にロケット作りに成功するのだが、後にNASAのエンジニアとなった男、ホーマー・ヒッカム・ジュニアの自伝小説「ロケット・ボーイズ」の映画化で、人間、あきらめなければ夢は叶うこともあるという、男心に訴える映画である。

ラストでのテロップで、ロケット・ボーイズは全員大学卒業、クエンティンは、現在石油会社のエンジニア、ロイ・リーは、銀行を辞め自動車デーラーに、オデールは、牧場主で保険代理店のオーナー、エルシー・ヒッカムは、1979年マートル・ビーチに隠居、フリーダ・ライリーは、ホジキン病で死去享年31、ジョン・ヒッカムは、1976年、炭塵肺で死去、1965年コールウッドは、売却され、炭鉱は永久に閉鎖、ホーマー・ヒッカムは、NASAのエンジニアとなり宇宙飛行士を養成と記載される。

(アメリカ映画/ユニヴァーサル カラー 108分)





「cast」
ジェイク・ギレンホール
クリス・クーパー
ウィリアム・リー・スコット
クリス・オーウェン
チャド・リンドバーグ
ナタリー・キャナディ
  ■スペーサー
「staff」
監督・脚本:マジッド・マジディ
撮影:パービス・マレクサデー
美術:アスガル・ネジャド・イマニ
録音:ヤドラー・ナジャフィ
編集:ハッサン・ハッサンドスト

 For more information "October Sky" visit the IMDb


 48 80日間世界一周 (Around the World in 80 Days)(1956)  

Video soft
ストーリーは、1872年、ロンドンのイングランド銀行に強盗が入り5万5千ポンドが盗 まれた。実に鮮やかな手口でリフォーム・クラブのメンバーたちは、カードをしなが ら銀行強盗の話題が騒然となって、これだけの犯人だ、もうとっくに世界のどこかに逃げたさ。今じゃ3ヶ月で世界一周できるからな、とメンバー(トレバー・ハワード、ロバート・モーリー)たちが言っていると、フィリアス・フォッグ(デビッド・ニーブン)は 、私なら80日間で世界一周する、と言う。メンバーたちは、それは無理だ、出来ない ほうに5000ポンド賭けてもいいと、次々と賭けるのであった。フォッグは、それでは 受けて立とうと、今夜出発し、9月21日土曜日の午後8時45分までに戻ると、平然と言 い放ったが・・・。

この作品はジュール・ヴェルヌ(1828〜1905)原作の映画化で、マイケル・トッドが開発したトッドAOシステムで製作された。ロケーションは世界12カ国で行われ、日本では、1955年12月から翌年1月まで行われ、撮影のセットは、6つのハリウッドの大スタジオはじめ、イギリス、香港、日本などのセットを含めると146に及び、撮影で雇われた助監督は総勢33名、エキストラは、6万8894人にのぼり、監督のマイケル・アンダーソンやスタッフは、飛んだ航行距離は400万マイル、チャーターした航空会社は22で総数60機が使われたという空前絶後の大傑作となった作品。



「80日間世界一周」詳細解説ページ
(Around the World in 80 Days Description Site)


(アメリカ映画/ユナイテッド・アーティスツ カラー 175分)



「cast」
デイヴィッド・ニーヴン
カンティンフラス
ロバート・ニュートン
シャーリー・マクレーン
シャルル・ボワイエ

  ■スペーサー
「staff」
製作:マイケル・トッド
監督:マイケル・アンダーソン
原作:ジュール・ヴェルヌ
脚本:ジェームズ・ポー 、ジョン・ファーロウ、S・J・ペレルマン
撮影:ライオネル・リンドン、ウィリアム・N・ウイリアムズ、スタンリー・ホースレイ、リス・W・カーター
音楽:ヴィクター・ヤング



 50 ベン・ハー (Ben-Hur)(1959) 

Video soft
ストーリーは、西暦1世紀の初め、エルサレムの夜空にひときわ明るく輝く星があった。東方から遙々やって来た三人の賢人たちもその星を見上げていたが、やがて、その星の下に示された厩で一人の男児が誕生、イエス・キリストの誕生であった。三人の賢人も貢物を奉げひれ伏した。紀元26年、ナザレの村をローマ軍が行軍しエルサレムに向かっていた。大工のヨセフは仕事に専念していたが、青年に成長したヨセフの息子キリストの姿もあったが・・・。

この作品は、巨匠ウイリアム・ワイラーが監督した不滅の大スペクタクル映画で、ワイラーの驚くべき演出力は、多彩でヒューマンな人間描写に裏づけされた生涯忘れえぬ最高の感動を呼び、戦車競争をはじめスペクタクル・シーンの迫力は、映画がもつ機能のすべてを発揮した超大作である。



「ベン・ハー」詳細解説ページ
(Ben-Hur Description Site)


(アメリカ映画/MGM カラー 222分)



「cast」
チャールトン・ヘストン
ジャック・ホーキンス
スティーブン・ボイド
ハヤ・ハラリート
ヒュー・グリフィス

  ■スペーサー
「staff」
製作:サム・ジンバリスト
監督:ウィリアム・ワイラー
原作:ルー・ウォレス将軍
脚本:カール・タンバーグ
撮影:ロバート・サーティース
音楽:ミクロス・ローザ



 52 勇気ある追跡 (True Grit) (1969) 

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、1880年代のアーカンソン州、マティ・ロス(キム・ダービー)は気が強いが、可愛い少女で、そんな彼女の父親が、雇人のトム(ジェフ・コーリー)に殺された。マティは、ためらわず復讐を決意したが、1人では、とても無理なので、そこで雇ったのが、凄腕の名保安官である大酒飲みで片目のルースター・コグバーン(ジョン・ウェイン)と、若くてハンサムなテキサス・レンジャーのラ・ボーフ(グレン・キャンベル)であった。やがて、3人は出発したが、個性の強い3人ゆえ、特に男2人は反揆し、ののしり合うが、互いに相手が気骨ある男だということを知るのであるが、インディアン地区で、マティがトムに捕まえられた。

助け出したのはラ・ボーフであったが、そこへ現れたコグバーンは、馬に乗り、手綱をくわえ、拳銃を乱射しながら一味の中へ突進した。だが、ラ・ボーフがトムに撃たれ、瀕死の重傷を負った。その情景を見たマティが、トムに1発、2発と狙うが、慣れない銃の扱いと反動で、ガラガラ蛇のいる穴に落ちてしまった。コグバーンはトムを殺し、瀕死のラ・ボーフの手を借りてマティを助け出したが、その直後、ラ・ボーフは息絶えた。コグバーンは、毒蛇にかまれたマティをかつぎ、医師のもとへ何頭もの馬を乗りつぶし荒野をひた走った。やがて、マティは回復する。

Click Here!
<1969 Oscar Winners(v 2.0)>




キム・ダービー



この作品は、馬上そびえる193センチの巨体、ドキモ抜くウインチェスター銃を片手射ち、ジョン・ウェインが隻眼の保安官に扮した西部劇の快作で、「そいつは醜くて、強くて、そして威厳があった」と、ジョン・ウェインが愛した言葉通りの雄々しく、マティのために、真実の勇気をみせてくれた二人に感動させられる。西部劇撮影の第一人者のルシアン・バラードによるコロラド大自然の景観は素晴らしく、エルマー・バーンスタインのフィルム・スコアも抜群! と極めつけな作品である。ジョン・ウェインは、これで念願のアカデミー主演男優賞に輝いた。同じ主人公による続編『オレゴン魂』も製作されている。

西部劇の大御所ジョン・ウェインは胃癌のため1979年にカリフォルニアの医療センターに入院し治療を続けていたが同年に死去、72歳であった。日本では、『ミスター・アメリカ死す』と大きな見出しで書かれていた。入院期間中、当時のアメリカ大統領ジミー・カーターが見舞いに訪れたが、現職の大統領が映画俳優を見舞うのは異例のことであった。葬儀の際、アメリカ大統領であったロナルド・レーガンは、実生活でも卓越した巨人で、体躯、態度、信念に不屈の強さを感じ、思いやりのある誠実な人柄は、利己的なハリウッドではめったにお目にかかれぬ存在だと語った。

ジョン・ウェインの死因は癌が原因と考えられ、『征服者』の撮影が考えられているようである。この映画の屋外シーンの撮影は、ユタ州、セント=ジョージの近くで行われ、アメリカ合衆国政府のネバダ核実験場から137マイル風下にあり、そこは1950年代核兵器の地下核実験が行われたところで、キャストやスタッフは、多くの課題を抱えながらこの地域で過ごしたと言われる。監督のディック・パウエルは、映画の完成後、1963年1月2日(58歳)に癌で死亡、スーザン・ヘイワードは、1975年3月14日(58歳)、ジョン・ウェインは、1979年6月11日(72歳)、それにアグネス・ムーアヘッドは、1974年4月30日(73歳)に他界し、ペドロ・アルメンダリスは、1960年に肝臓癌の診断をされて1963年6月18日(51歳)で自殺している。ジョン・ホイトは、1991年9月15日(85歳)に肺癌で亡くなった。ウエインとムーアヘッドは、ヘービー・スモーカーであったが、放射線被曝に起因するガンは長い潜伏期間はないと言われている。

ネバダ核実験場(Nevada Test Site)は、アメリカ合衆国エネルギー省が管理している核実験場で、ネバダ州にあり、ラスベガスの北西約105kmの地点にある。かつては大気圏内核実験、地下核実験が行われていたが、現在は臨界前核実験が行われている。1953年に行われたアップショット・ノットホール作戦でのW9核砲弾を使用したグレイブル実験では、M65 280mmカノン砲で発射され、核出力は広島に投下されたのと同じ15ktと言われる。

1951年に、核実験の実験場として開設され、面積は約3,500平方キロメートル、ほとんどは砂漠と山岳地帯で、当地における初めての実験は1951年1月27日、1ktの核爆弾が投下されている。ネバダ核実験場は地下核実験により生じた陥没が多数見られ、核廃絶を断固として取り組まなければ、明日の希望ある人類世界は亡くなることを肝に銘じたい。

(アメリカ映画/パラマウント カラー 128分)





「cast」
ジョン・ウェイン
グレン・キャンベル
キム・ダービー
ジェレミー・スレート
ロバート・デュヴァル
アルフレッド・ライダー
ストロザー・マーティン
ジェフ・コーリー
ロン・ソブル
ジェームス・ウェストフィールド
  ■スペーサー
「staff」
製作:ハル・B ・ウォリス
監督:ヘンリー・ハサウェイ
原作:チャールズ・ポーティス
脚本:マーガリット・ロバーツ
撮影:ルシアン・バラード
作詞:ドン・ブラック
音楽:エルマー・バーンスタイン
美術:ウォルター・タイラー

 For more information "True Grit" visit the IMDb


 56 ダンス・ウィズ・ウルブズ (Dances with Wolves) (1990)  

"Full Movie"
ストーリーは、1863年秋、南北戦争のテネシー州セント・デービッドの激戦地では足に重傷を負い、片足を切断されると思い込んだ北軍中尉のジョン・ダンバー(ケヴィン・コスナー)は、北軍と南軍両陣営の眺み合いが続く中、決死の覚悟で単身馬を駆って敵陣に飛び込んだ。南軍が虚を突かれた隙に、北軍は一勢に攻め込み、勝利を収め、戦闘が終わって一躍英雄となったダンバーは、殊勲者として勤務地を選ぶ権利を与えられた。

彼はフロンティアと呼ばれていた当時の最西部、サウス・ダコタを選びセッジウィック砦に赴任するが、そこは見渡す限りの荒野で砦とは名ばかりの廃屋であった。ダンバーは愛馬のシスコ、そしてトゥー・ソックスと名付けた野性の狼とともに、1人きりの生活を送り始めた。1カ月が経過し、ダンバーはシスコを盗みに来たインディアンを慌てて追いはらうが、ダンバーが辺境に来て以来、初めて出会った人間こそ、インディアンのスー族の聖人「蹴る鳥」(グラハム・グリーン)で、長老とともに150人の部族を仕切っていたのである。

集落に帰った「蹴る鳥」は、白人の話をし、将来のために彼と接触すべきだと長老たちに力説し、一方、ダンバーも、インディアンとコンタクトを取りたいと望んでいた。翌日、軍服を来て星条旗を掲げて出掛けたダンバーは、途中で1人の目の青いインディアン女性が倒れているのを助け、集落まで送り届けた。この事件がきっかけとなり、数日後、「蹴る鳥」と勇者「風になびく髪」(ロドニー・A・グラント)がダンバーの許に返礼にやってきた。ダンバーは精一杯にもてなし、やがて、彼らは頻繁に行き来するようになる。意志の疎通をはかるための通訳は、以前ダンバーが助けた「女拳を握って立つ女」(メアリー・マクドネル)で、彼女は幼い頃に拾われてスー族に育てられた白人女性であった。 ある夜、バッファローの大軍が砦の傍らを走り抜けてゆくのを目撃したダンバーは、シスコを駆って「蹴る鳥」たちにいちはやく知らせた。翌日、ダンバーも参加してバッファロー狩りが行われる。それは、毛皮目当ての白人の狩猟とは違い、神聖で心躍る儀式であり、ダンバーは、これまで味わったことのなかった調和と安らぎを覚える。


いつしか「拳を握って立つ女」を愛し始めていた彼は、祝福されて彼女と結婚、集落に自分のテントを持つようになる。ダンバーは、「狼と踊る男」というインディアン名前をもらい、彼は完全にスー族の一員になったかに思えた。冬が近づき、スー族とともに冬ごもりの土地へ移動する決意をしたダンバーは、合衆国の軍隊に足どりを知られないために、かつて克明に綴っていた日記を取りに久しぶりに砦に戻った。しかし、そこにはすでに騎兵隊の部隊が大挙しており、ダンバーはインディアンとして捕われてしまう。反逆罪に問われ、処刑を目前にした時、スー族の勇者たちがダンバーを護送する馬車を急襲し、彼は救われた。しかし、インディアンを彼らの土地から駆逐する合衆国の軍勢はすぐそこまで迫っていた。「狼と踊る男」は、「拳を握って立つ女」とともに一族を離れ、雪山にわけ入っていくのである・・・。それから、13年後、家を失いバッファローも消滅して最後のスー族は、ネブラスカ州の軍基地へ投降、大草原の馬族文化は消え去り、アメリカの開拓時代は、過去のものとなる時を迎えようとしていた。とエンド・クレジットにテロップが出る。

Click Here!
<1990 Oscar Winners(v 2.0)>




この作品は、かつてフロンティアと呼ばれた大地で、数えきれないほどのバッファローが土煙を上げ、蹄の音を響かせていた頃の話で、それはまた大自然と調和して生きていた、ひとにぎりの自由を愛する人々、大平原の領主と呼ばれたスー族の物語である。そして、若く誠実なひとりの兵士、ジョン・J・ダンバー中尉の勇気と愛と友情の物語でもある。1864年、すべてのものが永遠に変わろうとし、そして多くのものが永遠に失われようとしていた。実際、この映画の舞台である南北戦争時代のアメリカは、白人やインディアンにとっても、大きな転換期であった。この時代に生き生きと光り輝いていたものは、もうアメリカにはなく、フロンティアは100年前に消滅し、バッファローは白人の乱獲によって絶滅寸前で、インディアンたちも、また、保留地政策や、それに1874年の有刺鉄線の発明によって自由に大地を駆け回ることが出来なくなった。ダンパーが愛してやまなかったものは、すべて時代の大きな流れの中で失われてしまったのである。そうした失われたものたちを、愛情と慈しみを込めた目で描いた映画で、全編を通して流れる例えようも無い哀しさながあるのである。

ケビン・コスナーは、友人マイケル・ブレークの原作を読んですぐに、自ら監督を申し出たそうである。彼はもともとアメリカの成り立ちに興味があり、この小説に本当のドラマを感じたからだと云っている。そしてインディアンの立場に立った初めての映画であることや3分の1がスー族の部族物語で、ラコダ語が使われている。3時間に及ぶ大作であることで製作者が難色を示すと、私財をなげうってTIGプロダクションを設立し、それは、あくまで自分の思い描く理想の映画を作るために、主演、監督、製作の3役に挑んだのである。

こうして、ケビン・コスナーの意を受けて、まずロケ地がサウス・ダコタ州ピーアに決定、3500頭のバッファローを所有する前州知事ロイ・ホックが、バッファローのロケ地を提供し、あの迫力あるバッファロー狩のシーンが実現した。また、グラハム・グリーン、ロドニー・A・グラントなど、インディアンの血を引く俳優が名演を披露するほか、サウス・ダコタのスー族保留地から150人のエキストラが参加している。中でもラコダ語のインストラクター、ドリス・リーダー・チャージは酋長(10頭の熊)の妻役で出演している。また、音楽の ジョン・バリーや美術 のジェフリー・ビークロフト、衣装のエルザ・ザンバレッジは、当時を再現するため図書館や記録保管所で多大な時間と労力を費やしたそうでる。

インディアンたちは、 完成したこの映画を見て泣いたという。それは映画に感動したためばかりでなく、独自の規律を持ち、威厳と笑いに溢れていた過去のインディアンの姿を見て、貧困と哀しみしかない 現在の自分たちがそうのようになり得たことを思い出したと言う。本作はアメリカの原点を描いた映像叙事詩として、また、スー族の女性と愛し合いインディアンと共に生きた元北軍中尉の数奇な運命と大自然とを壮大なスケールで描く必見のエコロジー西部劇である。狼が射殺されたり、バッファローは狩で殺され、死骸が散乱しているシーンなどがあるが、これは撮影中の動物には一切危害を加えることなく終始専門の調教師の訓練と指導を行ったそうである。

第63回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、録音賞6部門を受賞及び第48回ゴールデングローブ賞のドラマ部門で作品賞、監督賞、脚本賞を受賞している。

(アメリカ映画/マジェステック・フィルム カラー 181分)





「cast」
ケヴィン・コスナー
メアリー・マクドネル
グラハム・グリーン
ロドニー・A・グラント
フリド・レッド・クロー・ウエスターマン
ロバート・パストレリ
  ■スペーサー
「staff」
製作:ジム・ウィルソン、ケヴィン・コスナー
監督:ケヴィン・コスナー
製作総指揮:ジェイク・エバーツ
原作・脚本: マイケル・ブレーク
撮影:ディーン・セムラー
美術:ジェフリー・ビークロフト
音楽:ジョン・バリー
編集: ニール・トラヴィス

 For more information "Dances with Wolves" visit the IMDb


 57 運動靴と赤い金魚(Bacheha-Ye-Aseman)(1997)  

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、イランの貧しい家に育った小学生のアリ(ミル=ファロク・ハシェミアン)は修理してもらったばかりの妹ザーラ(バハレ・セッデキ)の靴を買物途中の店先でうっかりなくしてしまった。母(フェレシュテ・サラバンディ)は、洗濯物を洗う仕事をしているが、ぎっくり腰で、父(アミル・ナージ)は厳しく、家に帰ると大家が家賃を払えと催促の最中で、靴を無くしたことなどをとても言えるような状況ではないのである。

両親にも言えないまま、運動靴が無くては学校に行けないと悲しむ妹のために、アリの一足きりの運動靴をふたりで履くことにした。通学途中で履きかえるので、妹を先に行かせ、兄はそれから行くので、どうしても遅刻してしまうのであった。ザーラは、校庭での朝礼時間に下級生が自分の靴を履いているのを見つけ、放課後跡を付け、兄と二人で、その子の家に行くが、その子の父親が盲目で貧しい生活をしているのを知って靴を返してもらおうとは言い出せなかった。

ある日、友人が高級住宅街に行って庭師をやるといい稼ぎになると道具を貸してくれたので、父はアリを連れて、何軒か断られながらも、ある家の庭仕事にありついた。だが、帰宅途中、父がふたりに新しい靴を買ってやると約束するのだが、自転車のブレーキ故障でふたりは、怪我をするが、アリは擦り傷程度で済んだ。そんな矢先に、小学校でマラソン大会が行なわれることなり、3等賞の商品が運動靴と知ってアリは、参加者締め切りは終わっていたが、先生に頼み込んで、妹の運動靴ために3等賞を目指して必死で走るのであったが・・・。

Click Here!
<1997 Oscar Winners(v 2.0)>







この作品は、運動靴をなくした小学生兄妹の姿をあたたかく見つめたドラマのイラン映画で、マラソンでは、アリは途中転倒するが、猛烈なダッシュでトップ集団に追いつき、横一線でゴールになだれ込んだが、1位になってしまう。先生たちは大喜びするが、アリは、1位では運動靴がもらえないので落ち込み、帰宅して、靴は破け、マメだらけの足を中庭の池で冷やすと、水中には赤い金魚が泳いでいる。そのころ完治した父は、約束したふたりの靴を買って帰るところだった。という幼い兄妹の心の触れ合いと家族の絆を温かいタッチで描いた心地よい感動を呼ぶ作品である。日本では1999年に公開された。

モントリオール世界映画祭でグランプリを含む4部門を受賞、イラン映画として初の第71回アカデミー外国映画賞ノミネートされた作品。

(イラン映画/子供やヤング・アダルト(10代後半の若者)の知的な発達のための研究所
(The Institute for the Intellectual Development of Children & Young Adults) カラー 89分)





「cast」
ミル・ファロク・ハシェミアン (Ali)
バハレ・セッデキ (Zahra)
アミル・ナージ (Ali's Father)
フェレシュテ・サラバンディ (Ali's Mother)
ダリウシュ・モクタリ (Ali's Teacher)
  ■スペーサー
「staff」
監督・脚本:マジッド・マジディ
撮影: パービス・マレクサデー
美術: アスガル・ネジャド・イマニ
録音: ヤドラー・ナジャフィ
編集: ハッサン・ハッサンドスト

 For more information "Bacheha-Ye-Aseman" visit the IMDb


 60 素晴らしき哉、人生(It's a Wonderful Life)(1946) 

DVD
"Ending"
ストーリーは、子供の頃からジョージ・ベイリイ(ジェームズ・スチュアート)は、世界一周旅行をしたいという希望を抱いていた。父は住宅金融会社を経営しており、町の貧しい人々に低利で住宅を提供して尊敬を集めていたが、銀行家のポッター(ライオネル・バリモア)は、目の仇に事ある毎に圧迫を加えていた。カレッジを卒業したジョージは、海外旅行に出掛けようとしたが、突然、父が過労のため世を去り、株主総会で後継の社長に推され、弟が大学を卒業したら会社を譲ることにして、一旦、海外旅行もおあずけになった。ところが、大学を卒業した弟は、大工場主の娘と結婚し、その工場を継ぐことになった。ジョージの夢は破れ去ったが、やがて、ジョージは幼馴染みのメリイ(ドナ・リード)と結婚するのである。そして新婚旅行に出発しようとしたが、世界を襲った経済恐慌のため、ジョージの会社にも取付騒ぎが起こって、彼は旅費の5000ドルを貧しい預金者たちに払い戻し、急場を凌いだ。そのため新婚旅行は出来なくなったが、2人は幸福な結婚生活に入り、次々と4人の子供に恵まれた。やがて、住宅会社の業績も上昇し、それに恐れをなした銀行家のポッターは、ジョージ懐柔策に出たが、彼は断固拒絶する。

1941年に第二次世界大戦が起こり、弟のジョージは、海軍飛行将校として従軍、殊勲をたてて大統領に表彰された。だが、その喜びの騒ぎの間に会社の金8000ドルが紛失したが、実はその金はポッターの手中にあった。彼はそれを秘してジョージを苦しめ脅迫さえしたのである。絶望したジョージは、橋の上から身投げしようとしたが、それより一瞬早く奇妙な老人が、彼のそばで身投げした。ジョージは夢中になってその老人を救ったが、老人はクラレンスといい、自分は、2級天使で翼をもらうためジョージを救ったのだと語った。自棄になったジョージが、この世に生まれなければ良かったと洩らすと、クラレンスは彼が望むとおりジョージの生まれて来なかった幻の世界に連れて行った。そこは人情も道徳もない幻滅の世界で、ジョージはたまらなくなって元の世界へ戻してくれと絶叫するのである。再び現実に戻ったジョージは、クリスマス・イヴの祝いを待つ我が家に駆け戻った。そこへジョージの窮状を知った町中の人々が、寄付金をもって彼の家に押しかけて来た。ジョージは今さらながら人の心の温かさを知り、妻や子供たちを抱きしめて、人生の幸福をしみじみと感じるのであった。

Click Here!
<1946 Oscar Winners(v 2.0)>




出演者



この作品は、天使が、生まれて来なければよかったと言うジョージ・ベイリーに、彼が生まれて来なかった場合の世の中を見せ、そして彼がいかに素晴らしい人生を送ってきたかを理解させようとすることで、彼は自分の存在理由をかいま見る事になり、自殺を思い留まるのであるが、そこには、清清しい感動を与えてくれ、ヒューマニズムにあふれた作品となっている。アメリカ映画協会が選ぶ「感動の映画ベスト100」では1位に、同協会の「アメリカ映画ベスト100」では11位にランクインしている。

(アメリカ映画/リバティ・フィルム/RKO配給 モノクロ 130分)





「cast」
ジェームズ・スチュアート
ドナ・リード
ライオネル・バリモア
トーマス・ミッチェル

  ■スペーサー
「staff」
製作・監督:フランク・キャプラ
脚本:フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット、フランク・キャプラ
原作:フィリップ・ヴァン・ドレン・スターン
撮影:ジョセフ・ウォーカー
美術:ジャック・オッケイ
音楽:ディミトリ・ティオムキン
編集: ウィリアム・ホーンベック

 For more information "It's a Wonderful Life" visit the IMDb


 63 人生模様 (O.Henry's Full House)(1954) 

DVD
"Full Movie"
第1話 「警官と賛美歌」

作家のジョン・スタインベックが、オー・ヘンリー(本名はウイリアム・S・ポーター)は社会評論家でありユーモア作家で、技術者でもあると紹介するが、作家は文字で表現し、映像化は邪道と思われている。だが、ヘンリーは既に亡くなっているので否定しないだろうと云って、彼の作品の登場人物には勇気や明るさがあり今も生きている。選ぶのが困難なほど多くの作品があり、ここに「警官と賛美歌」を示すが、雁が夜にかん高く鳴き、毛皮を持たぬ女が夫に優しいと冬が近いとわかる。この時にこの1冊をひとり開くと言ってストーリーが始まる。

紳士気取りのルンペン男のソーピイ(チャールズ・ロートン)は、夏は涼しいセントラル・パークで、冬は暖かい留置所で暮らすことにしていたが、ある年の冬、彼は仲間のホレス(デイヴィッド・ウェイン)に、留置所に入る秘術を伝授しようと、警官を後ろから殴ろうとしたり、無銭飲食などするのだが、どうもうまく警官に捕まらなかった。ある時、ソーピイは美しい街の女(マリリン・モンロー)に声をかけたが、かえって彼女に好意をよせられ面喰らって逃げ出し、ある教会に入った。彼はオルガンの響に心打たれてルンペン渡世から足を洗おうと決心し、教会を出たとたん、浮浪罪として警官に捕まり、3ヶ月の禁固を言い渡される。

チャールズ・ロートン (Soapy)
マリリン・モンロー (Streetwalker)
デイヴィッド・ウェイン (Horace)
監督: ヘンリー・コスター



第2話 「クラリオン・コール新聞」

オー・ヘンリーは、刑務所に自ら入獄して、鉄のベットの上で受刑者仲間から取材をし、彼等に優越感を持つことはなかったので、彼の小説が繰り返し読まれ、これはこの謙虚によるものであった。秀作のひとつ「クラリオン・コール新聞 」この物語の半分は警察に記録があり、残りの半分はニューヨークの新聞社の編集室に保管されている。クラリオン新聞社はノークロス事件の犯人に結びつく情報に1000ドルの懸賞金を提供したのである。

刑事のバーニイ(デール・ロバートソン)は、迷宮入りになった殺人事件の犯人をジョニイ(リチャード・ウィドマーク)だと睨んだ。バーニイとジョニイは幼な友達で、2人は十数年ぶりで再会したのである。バーニイはジョニイに証拠をつきつけて迫ったが、そのときジョニイはバーニイに、その昔1000ドル貸したことを持ち出した。バーニイはそのためジョニイを一応見逃し、1000ドルの工面を考えた。折よく「クラリオン・コール」という町の新聞が、犯人の名前を通告したものに1000ドルの懸賞を出した。バーニイは賞金を手に入れてジョニイに借金を返し、心おきなく彼を逮捕することができた。

デイル・ロバートソン (Barney Woods)
リチャード・ウィドマーク (Johnny Kernan)
監督:ヘンリー・ハサウェイ



第3話 「最後の一葉」

オー・ヘンリーは、ノース・カロライナの出身で、20歳の時にテキサスへ、南西部を渡り、中南の少共和国も歩いたが、40歳でニューヨークに着き、その街を愛し、地下鉄の走るバクダットと呼びまさにアラビアン・ナイトであった。「最後の一葉」という作品があるが、舞台は、グリニッジ・ヴィレッジ、季節は冬、気候は吹雪、家賃の安い芸術家の街である。貧しくても野心を忘れない。併し、生と死は同居し、愛も破れる時がある。

失恋した若い女画学生ジョアンナ(アン・バクスター)は、失望にうちひしがれ、寒いニューヨークの街をさまよった末、姉スーザン(ジーン・ピータース)と一緒に住むアパートに辿り着いたが、そのまま病の床に伏した。医師は肺炎と診断し、ジョアンナが生きる希望を取り戻さなければ助からないと言った。彼女は自分の部屋の窓ぎわに生えている蔦にある21枚の葉が、その1枚ごとに彼女の1年間の生命を意味し、最後に残った葉が風に吹き落とされたら、自分は死ぬと思い込んでしまった。彼女の容態は悪化し、ある朝、蔦も葉も最後の1枚になった。途方にくれたスーザンは、バーマン(グレゴリー・ラトフ)という画家に悩みを訴えた。強風の吹きすさんだ1夜が明け、ジョアンナが目を覚ました時、最後の1葉がそのまま残っているのを見て元気を取り戻した。実は最後の葉は風に吹き飛んだのだが、バーマンが描いた葉であった。夜中寒風にさらされたバーマンは、そのため死んでまった。

アン・バクスター (Joanna)
ジーン・ピータース (Susan)
グレゴリー・ラトフ (Behrman)
監督:ジーン・ネグレスコ



第4話 「赤い酋長の身代金」

オー・ヘンリーは、薬剤師、カウボーイ、簿記係、記者、編集者などを経験し、どれものめりこまず嫌がらずこなしてきた。「赤い酋長の身代金」は1900年代初めのアラバマが舞台で、サムとビルは、横領罪でニューヨーク市警察指名手配をされている。

サム(フレッド・アレン)と相棒のビル(オスカー・レヴァント)は、金持ちの子供を誘拐して身代金を稼ごうとアラバマの村へやって来た。2人はうまく少年を誘拐することに成功し、早速、金額を2000か1500ドルかに悩んだ末に、身代金請求の手紙を少年の両親のポストに投函した。ところが、この少年、インディアンの酋長気どりの腕白小僧で2人はほとほと手を焼いた。そのうち、両親から手紙が来たが、それには身代金を払わないと言うばかりか、どうしても少年を返したいなら250ドルよこせと書いてあった。腕白小僧にさんざん手こずった2人は、少年を送り返し250ドルまきあげられた。

フレッド・アレン(Sam 'Slick' Brown)
オスカー・レヴァント(Bill Peoria)
監督:ハワード・ホークス



第5話 「賢者の贈り物」

20世紀を控え、賢者に値するのは400人だけと言われていたが、オー・ヘンリーは、万人が賢者とし「400万人」を出版した。 400万人の小説から生まれたのが、「賢者の贈り物」である。彼が言った聖書にある東方の3博士こそ賢者であり、キリストの降誕を祝う贈り物を持って来たのが、クリスマス・プレゼントの由来で、この物語の頃、その習慣は続いていた。時は、1905年である。

若妻のデラ(ジーン・クレイン)と夫のジム(ファーリー・グレンジャー)は、貧しいのでクリマス・イヴには、お互いの贈物を買うことが出来なかったが、デラは出勤するジムを送りながら一緒に街に出て、途中、ある宝石商のウィンドウの前に立ち止まった。ジムは素敵な櫛に目をつけ、これがデラのふさふさした金髪を飾ったらさぞ美くしいだろうと考え、一方、デラはプラチナの時計鎖を見て、これはジムの骨董的な金の懐中時計に相応しいと思う。2人はそこで別れたが、お互にいま目をつけたプレゼントを買う金の工面に心を砕き、デラは思い切って自分の髪を売り、ジムは時計を売った。夕刻、2人は贈物を交換したが、どちらも当分の間役に立つものでなかった。しかし2人はお互いの愛を身に沁みて感じるのであった。

ジーン・クレイン(Della)
ファーリー・グレンジャー(Jim)
監督:ヘンリー・キング

Click Here!
<1954 Oscar Winners>




出演者



オー・ヘンリー
"See Large Image"
これらの作品は、O・ヘンリーの短篇5つを、それぞれ異ったスタッフ、キャストにより映画化したオムニバスの作品で、彼は短編小説を得意とし、381編の作品を残し、市民の哀歓を描き出した短編が多く欧米では短編の名手と呼ばれ、映画化されたものも数多くある。オー・ヘンリー(O. Henry)は、1862年は、ノースカロライナ州で、医師の息子として生まれ、3歳の時に母親が亡くなり、教育者の叔母に育てられた。

知人のすすめで1882年、テキサスに移住し、薬剤師、ジャーナリスト、銀行の出納係などさまざまな職を転々とし、1884年、テキサスのオースティンに移り住んだ後、1887年にアトール・エステスと結婚し、1894年に"The Rolling Stones"という諷刺週刊紙を刊行した。だが、あまりうまくいかず、翌年4月に廃刊となり、「ヒューストン・ポスト」にコラムニスト兼記者となった。1896年、以前に勤めていたオハイオ銀行の横領罪の疑いで起訴され、経営が思わしくなかった"The Rolling Stones"紙の運営費に回したと思われ、銀行側も好意的であったにもかかわらず、裁判が行われるオーストン行きの列車から降り、病気の妻と娘を残してニューオリンズへと逃亡した。

1897年には、妻の危篤で家に戻り、保釈金を納め、数ヶ月間は妻の看病に徹したが、甲斐なく先立たれた。1898年に懲役8年の有罪判決を受けるが、この横領の真相については、彼自身が何も語らなかったため不明である。服役前から掌編小説(短編小説よりさらに短い形式の小説)を書き始めていたが、この服役中にも多くの作品を密かに新聞社や雑誌社に送り、3作が服役期間中に出版された。

獄中では薬剤師として働き、刑務所病院で寝起きし、模範囚として減刑され、1901年には釈放となった。釈放された後、娘と義父母が待つピッツバーグで新しい生活を始めた。「ピッツバーグ・ディスパッチ」紙のフリーランスの記者として働き、作家活動を続けた。その後、9か月で娘のいるピッツバーグを離れ、1902年にはニューヨークへと単身移住した。当時のニューヨークは人口400万人を誇る大都市で、作家としての売り込みもしやすく、事実、このニューヨークで多くの作品を発表、出版し、中でも「ニューヨーク・ワールド」紙とは毎週1編の作品を掲載した。

1904年、処女作「キャベツと王様」が出版され、1906年にも「400万」が発表された。1905年、ヘンリーに宛てて一通の手紙が届き、それが縁で1907年、幼なじみのサラ・リンゼイ・コールマンと再婚し、新居を構えると、娘のマーガレットを呼び寄せ、新しい生活を始めた。しかし、過度の飲酒から体を壊し、1910年6月5日、肝硬変により、生涯を閉じた。テキサス州オースティンにオー・ヘンリー博物館がある。

(アメリカ映画/20世紀フォックス モノクロ 117分)





「cast」
チャールズ・ロートン
マリリン・モンロー
デイヴィッド・ウェイン
デイル・ロバートソン
リチャード・ウィドマーク
アン・バクスター
ジーン・ピータース
グレゴリー・ラトフ
フレッド・アレン
オスカー・レヴァント
ジェーン・クレイン
ファーリー・グレンジャー
トーマス・ブラウン・ヘンリー
リチャード・カーラン
ジョイス・マッケンジー
リチャード・ロバー
ウィル・ライト
リチャード・ギャリック
スティーヴン・ジレー

  ■スペーサー
「staff」
製作:アンドレ・アキム
監督:ヘンリー・コスター、ヘンリー・ハサウェイ、ジーン・ネグレスコ、ハワード・ホークス、ヘンリー・キング
脚色:ラマー・トロッティ、リチャード・ブリーン、アイヴァン・ゴフ、ベン・ロバーツ、ナナリー・ジョンソン、ウォルター・バロック
撮影:ロイド・エイハーン、ルシアン・バラード、ジョー・マクドナルド、ミルトン・クラスナー、ジョー・マクドナルド
美術:チェスター・ゴア、ライル・ウィーラー 、エディソン・ハー、リチャード・アーヴァイン、ジョセフ・C・ライト
音楽:アルフレッド・ニューマン

 For more information "O.Henry's Full House" visit the IMDb


 64 ジャイアンツ (Giant)(1956) 

Video soft
ストーリーは、テキサスの広大なレア一夕牧場の持ち主ビック・ベネディクト(ロック・ハドソン)は種馬の買い付けにメリーランド州に出掛け、そこで牧場の娘レズリー(エリザベス・テイラー)と恋に落ち結婚するが、東部育ちのレズリーにとってテキサスの生 活は自然の違いばかりか人々の考え方まで驚くことが多かった。だが、牧場や家事を 切り回していた男まさりの義姉ラズ(マーセデス・マッケンブリッジ)が落馬事故で 亡くなってからは、ビックの反対にあいながらも偏見のないレズリーの進歩的な考え がレア一夕牧場にも流れ始めたのだが・・・。

この作品は、女流作家のエドナ・ファーバーが12年の歳月を費やし、アメリカ建国を テーマに今世紀初頭の西部を舞台とした一大叙事詩的小説の映画化で、広大なテキサ スに懸けた愛と情熱、2世代、激動の30年が描かれている。



「ジャイアンツ」詳細解説ページ
(Giant Description Site)


(アメリカ映画/ワーナー・ブラザース カラー 201分)



「cast」
エリザベス・テイラー
ロック・ハドソン
ジェームズ・ディーン
ジェーン・ウィザース
チル・ウィルス
キャロル・ベイカー
マーセデス・マッケンブリッジ

  ■スペーサー
「staff」
製作:ジョージ・スティーヴンス、ヘンリー・ギンスバーグ
監督:ジョージ・スティーヴンス
原作:エドナ・ファーバー
脚本:フレッド・ガイオル、アイヴァン・モファット
撮影:ウィリアム・C・メラー
音楽:ディミトリ・ティオムキン



 70 大統領の理髪師(The President's Barber/Hyojadong ibalsa 孝子洞理髪師)(2004)  

DVD
"part1"
ストーリーは、1960年代の韓国、大統領官邸「青瓦台」のある町、孝子洞で理髪店を営むソン・ハンモ(ソン・ガンホ)は、は、近所の人々同様、大統領のお膝元であることを誇りに思い、時の政府を支持し、熱烈さのあまり町ぐるみの不正選挙にも加担する。新米の助手キム(ムン・ソリ)を無理やり口説いて結婚し、やがて、かわいい息子ナガンも生まれ、一家は幸せな毎日を送っていたが、そんな中、ソンに大きな転機が訪れる。

ある事件をきっかけに、彼は大統領の専属理髪師に選ばれ、事情を知らない町の人々は彼を羨むが、警護室長チャン・ヒョクス(ソン・ビョンホ)が、睨む中、大統領にかみそりをあてなければならない。それに大統領府の権力争いで、警護室長チャン・ヒョクスと中央情報部長パク・チョンマン(パク・ヨンス)の対立の中でハンモは危険この上ないのであった。ある夜、大統領府の後方の北岳山に北のスパイが潜入、併し、スパイは突然の下痢にしゃがみこみ、巡回中の韓国軍に見つかって銃撃戦となる。この事件を契機に、政府は下痢を「マルクス」病とみなし、下痢の者をスパイと決めつけるようになる。そんな時、ハンモの息子ナガン(イ・ジェウン)が下痢をしてしまう。不安なハンモは、息子は、スパイでないと分かっていながらナガンを警察署に連れていくが、ナガンは中央情報部の拷問室に送られ、拷問シーンはブラックユーモアたっぷりに描かれいるが、パク中央情報部長は幼いナガンを拷問して、ハンモをマルクス病で検挙しようとするが・・・。

Click Here!
<2004 Oscar Winners(v 2.0)>




ソン・ガンホ



この作品は、1960年代から1970年代、激動の時代の韓国を背景に、様々な歴史的政治事件を庶民の目線から描いた人間ドラマで、かなりパンチの効いた風刺を込めて描かれている。映画の始まりに「これはフィクションです。」とテロップが出て、暗い空気が漂っていた時代を扱っているが、作品はコミカルに仕上げられ、また家族愛が感動的に描かれいる。それに、当時の韓国の世相を十分に表現しており、現代と違う韓国の独特の雰囲気を味うことができる作品でもあるが、それにしても、現在の韓国が、自国の過去を美化することなく、表現できる国になっているということには驚きである。映画では朴正煕をモデルとした大統領が登場するが、ラスト直前に禿頭の新大統領が登場し、全斗煥をモデルにしているものと想像できる。1960年大韓民国大統領選挙、李承晩政権による大規模な不正選挙が行なわれたが、本作品でも3人組公開投票や投票用紙のすり替えなど不正選挙の一端が描写されている。

朝鮮戦争は1953年に終結したが、以降も南北対立は続き、1968年には孝子洞(ヒョジャ町)にある大統領府「青瓦台」が、北朝鮮の武装ゲリラによって襲撃されそうになった事件があるが、これが1・21ゲリラ事件である。

理髪店を営むソン・ハンモ役を演じたソン・ガンホは、1967年生まれ、最近の韓流ブームの中で次々と誕生しているハンサム系俳優とはまた違った、ひと味もふた味も魅力ある男優で、彼の存在感は、極めて大きい。この映画ではコメディで味わいのある役どころで、本人はいたって真面目にやっているのだろうが、それがどうみても自然に笑いを誘い、シリアスな内容を含んでいるから、尚更見応えのある作品となっている。平成21年6月NHK BS hi で放映されている。

(韓国映画/Chungeorahm Film カラー 116分)





「cast」
ソン・ガンホ
ムン・ソリ
リュ・スンス
イ・ジェウン
ソン・ビョンホ
  ■スペーサー
「staff」
製作:チェ・ヨンベ
監督・脚本:イム・チャンサン
撮影:チョ・ヨンギュ
音楽:パク・キホン

 For more information "Hyojadong ibalsa" visit the IMDb


 72 ミルコのひかり(Rosso Come Il Cielo)(2005)  

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、1970年代初頭のイタリア、トスカーナ地方に住む、10歳のミルコは映画を愛する少年だったが、棚から落ちた銃が暴発して両目の視力を失ってしまう。盲目の少年は、普通の学校教育を受けることが出来なかったため、全寮制の盲学校へ転校させられてしまう。ある日、ミルコは、テープレコーダーを見つけ、「音」との出会いに新鮮な喜びを感じるようになり、担任の神父は、彼の優れた聴力に気づき、救いの手を差し伸べるのだが・・・。

Click Here!
<2005 Oscar Winners(v 2.0)>





ルカ・カプリオッティ



この作品は、イタリア映画界で活躍する盲目のサウンド・デザイナー、ミルコ・メンカッチの少年時代の実話の映画化である。当時のイタリアは、盲目者は、法律により全寮制のカトリック系盲学校に入校させられた。

ミルコ・メンカッチは厳粛過ぎる規則の枠を飛び出し、子供らしい好奇心や冒険心、研ぎ澄まされた感覚で自らの才能を開花していくのであるが、「我々盲人に可能性はない」と云う校長に対し、ミルコの才能に気付き、協力する神父と息子の可能性を信じ、愛情で見守る両親や仲間と友情、不幸な境遇にありながら、子供達の可能性や希望を見出す感動の映画である。

2006サンパウロ映画祭・観客賞、2007モントリオール国際児童映画祭・グランプリ受賞。

(イタリア映画/Orisa Produzioni カラー 96分)





「cast」
ルカ・カプリオッティ
シモーネ・グッリー
アンドレア・グッソー
アレサンドロ・フィオーリ
ミケレ・イオリオ
フランチェスコ・カッポバッソ
フランチェスカ・マトゥランツァ
  ■スペーサー
「staff」
監督:クリスティアーノ・ボルトーネ
プロデューサー: クリスティアーノ・ボルトーネ 、ダニエレ・マッツォッカ
脚本:クリスティアーノ・ボルトーネ、モニカ・ザペッリ、パオロ・サッサネッリ
撮影:ヴラダン・ラドヴィッチ
美術:ダヴィデ・バッサン
音楽:エツィオ・ボッソ

 For more information "Rosso Come Il Cielo" visit the IMDb


 74 みえない雲(Die Wolke)(2006)  

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、シュリッツに暮らす高校生のハンナ(パウラ・カレンベルク)は、母と弟のウリー(ハンス=ラウリン・バイヤーリンク)と幸せな暮らしを送っていた。ある日の授業で、ハンナは、先生に光合成の質問をされ回答に窮し、転校生のエルマー(フランツ・ディンダ)に助けてもらった。これがきっかけに、ハンナはエルマーの存在が気になるようになり、そして授業中にエルマーに呼び出された彼女は、人気のない教室で突然彼にキスをされる。束の間、愛を交わす2人であったが、その時、校内にABC警報(ドイツで定められている、A=核兵器、B=細菌兵器、C=化学兵器の攻撃を知らせる警報)が鳴り響いた。生徒達は帰宅させられ、混乱の中、ハンナはウリーがいる自宅へ戻った。警報は、母の出かけたシュヴァインフルトの近隣にあるエバースベルト原発での放射能漏れ事故を知らせるもので、警察の車が拡声器で家々に指示するのに逆らい、住民は家に残らず車で逃げ始めた。

ハンナはエルマーが車で迎えに来ると言った約束を信じて家で待っていたが、母から電話が入り、2人でハンブルクの伯母ヘルガの元へ逃げるよう指示された。ハンナはウリーとともに、道路が避難者の車で渋滞する中を自転車で駅へ向かい、遅れて到着したエルマーと行き違いになってしまう。家に残されたスイッチが入ったままのラジオが、放射能を含んだ雲の接近を伝えているが・・・。

Click Here!
<2006 Oscar Winners(v 2.0)>







この作品は、1986年のチェルノブイリ原発事故を題材にし、翌年に発表された同名小説の映画化で、監督はパニック映画のスタイルで映画化され、2人の主要人物、エルマーとハンナの動向を中心に人々がパニックに陥る様子が描かれている。

原発事故直後、パニックに陥った街という極限状況下で切ない青春ラブ・ストーリーも描かれているが、責任や人々の連帯とは何か、生きる意義とは何かなど、人が生きていく上で最も大切なテーマが、原発への問題提起ともに浮かび上がるが、単に恐怖を煽られるだけでなく、主役の2人を通し、被爆後重い病を抱えながらも生きていく人達に、敬意や応援の気持が抱かされる映画でもある。

2007年、ドイツ映画賞(de:Deutscher Filmpreis)にて最優秀青少年向け青春映画にノミネートされた。

(ドイツ映画/Clasart Film カラー 96分)





「cast」
パウラ・カレンベルク
フランツ・ディンダ
ハンス=ラウリン・バイヤーリンク
カリーナ・ヴィーゼ
リッキー・ミュラー
トーマス・ヴラシーハ
  ■スペーサー
「staff」
監督:グレゴー・シュニッツラー
プロデューサー:マルクス・ツィンマー
脚本:マルコ・クロイツパイントナー
原作:グードルン・パウゼヴァング
撮影:ミヒャエル・ミーケ
美術:パトリック・スティーヴ・ミュラー
音楽:シュテファン・ハンゼン、ディルク・ライヒャルト、マックス・ベルクハウス

 For more information "Die Wolke" visit the IMDb


 76 君のためなら千回でも(The Kite Runner)(2007) 

DVD
"Full Movie"
ストーリーは、1978年冬、アフガニスタンの首都カブールに住む12歳のアミール(ゼキリア・エブラヒミ)は、父ババ(ホマユーン・エルシャディ)と共に恵まれた生活を送っているが、ハザラ人の親友ハッサンは父アリ(ナビ・ターナ)と共にアミールの家で召使いとして働いていた。2人は仲が良く、幼い頃から一緒に育ち、いつも一緒に行動した。2人で映画を観たり、アミールは、ハッサンに物語を読んでやったり、誕生日にはプレゼントをしたり、2人は主従関係を超えた兄弟のような間柄で、この絆と信頼は一生続くかと思われた。

冬休み最大のイベントである恒例の凧揚げ合戦の日、子供たちは二人一組で糸巻きと糸の操作を分担して、巧みに糸を操り他の凧の糸を切るのを競っていた。街中の人々が勝敗に熱狂するこの凧揚げで、アミールとハッサンは見事に優勝するが、凧を拾いに行ったハッサンは、日頃からハザラ人のハッサンを嫌っているパシュトゥーン人のアセフ(エラーム・エーサス)たちに襲われる。ハッサンを探しに行ったアミールはその現場を目撃するが、何もできずその場を去ってしまう。

それを機に二人の間には距離ができたまま、1979年にソ連によるアフガニスタン侵攻が始まり、アミールは父と共にアメリカへと亡命する。時は流れ2000年となり、カリフォルニア州サンフランシスコに住むアミール(ハリド・アブダビ)と妻ソラヤ(アトッサ・レオーニ)のもとに、アミールの初めての本が出版社から届く。そこへ電話がかかり、死期を悟ったラヒム・ハーン(ショーン・トーブ)は重大な真実を告げるため、アミールに故郷へ帰るように促すのであった。アミールはパキスタンにいるラヒム・ハーンを訪れ、故郷で久々の再会を果たしたが、衝撃的な事実が告げられた。ハッサンがタリバンに殺されたというのである。彼は、ハッサンが残したアミールへの手紙を手渡すが、そこには、時がいくら流れても変わらない、アミールへの信頼の想いが綴られていたのだった・・・。

Click Here!
<2007 Oscar Winners(V2)>




出演者



この作品は、アフガン出身作家カーレド・ホッセイニの同名小説の映画化で、1970年代の平穏なアフガニスタンから始まり、ソ連軍侵攻、タリバン台頭といった苦難の時代変遷を背景に、主人公アミールと使用人の子供ハッサンという二人をとりまく友情、裏切り、償いといった物語を30年の時を語っている作品である。

2003年にアメリカで出版され、日本でも2006年に『カイト・ランナー』の題で出版された。2007年に映画化され、映画の邦題が『君のためなら千回でも』となり、小説もこれに合わせて文庫化の際に改題された。なお、この題は劇中のハッサンの台詞から取られている。原作小説は全世界で800万部以上を売り上げたベストセラー作品。ニューヨークタイムズのベストセラーリストでは64週間ランクインという驚異的な記録を樹立した。映画化され、2007年に公開(日本では2008年)。

第80回アカデミー賞では作曲賞にノミネートされ、放送映画批評家協会賞:若手男優賞(アフマド・ハーン・マフムードザダ)を受賞。

(アメリカ・中国合作映画/DreamWorks カラー 128分)





「cast」
ハリド・アブダラ
ゼキリア・エブラヒ
ホマユーン・エルシャディ
アフマド・ハーン・マフムードザダ
ショーン・トーブ
アリ・ダネシュ・バクティアリ
  ■スペーサー
「staff」
監督:マーク・フォースター
エグゼクティブプロデューサー:シドニー・キンメル、ローリー・マクドナルド、サム・メンデス、ジェフ・スコール
プロデューサー: ウィリアム・ホーバーグ、ウォルター・F・パークス、イー・ベネット・ウォルシュ
脚本:デイヴィッド・ベニオフ
原作:カーレド・ホッセイニ
撮影: ロベルト・シェイファー
プロダクション・デザイン:カルロス・コンティ
音楽:アルベルト・イグレシアス

 For more information "The Kite Runner" visit the IMDb


 84 不滅の熱球 (The Immortal Pitcher)(1955) 

Video soft
ストーリーは、昭和11年7月、日本初のプロ野球公式試合である巨人対阪神戦が行われ、巨人軍の沢村投手(池部良)は人気を一身に集め、スタンドからは美しい女性、米井優子(司葉子)が見守っていた。昭和12年、日支事変が勃発、選手達は出征し、プロ野球は打撃を受けたが、9月、後楽園での対阪神戦のマウンドに立った沢村は、優子の姿が見えない為に、投球のコントロールを失ってしまった。一方、優子は夏休みで大阪の家へ帰り、プロ野球に無理解な父(清水将夫)に厳しく監視されていたのである。

沢村は、入営前の最後の選手権試合で球場に来た優子と会い、誤解もとけ、結婚の約束をし、最後の試合に悔いのない好投をするのであった。一方、沢村の除隊を待つ優子は、父に結婚を強制され、沢村の手紙は握りつぶされ、ついに大連の叔父、光雄(北沢彪)の許に逃げだした。沢村は、昭和14年に除隊し、巨人軍に復帰したが、彼の投球には昔の面影はなかったが、合宿所へ帰ると、大連の叔父に連れられた優子が沢村の帰りを待っていた。野球に自信を失った沢村は、投手もあきらめようとしたが、優子は愛情をこめて励ますのであったが・・・。

Click Here!
<1955 Oscar Winners>




出演者



沢村栄治
See Large Image
この作品は、名投手沢村栄治の半生と日本プロ野球の誕生時代を描いている映画で、沢村は、優子との結婚を機に、再び昔に勝る好調を取り戻すが、昭和16年、再び召集され、カムバックを誓ったが、3年後フィリッピンで戦死した。巨人軍は沢村の背番号14を永久欠番とし、彼の功績を称えている。

沢村 栄治は、1917年2月1日、三重県生まれ、1934年の夏の大会終了後に京都商業を中退して、読売新聞社主催による日米野球の全日本チームに参戦し、11月20日、静岡県草薙球場で開催されたアメリカ・メジャー・リーグ選抜軍とのシリーズ9戦目に登板したが、当時、日本の野球とアメリカの野球との実力には大きな開きがあり、どの試合も20点差以上の敗戦がほとんどであった。だが、澤村は速球とドロップカーブを武器に、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックス、チャーリー・ゲーリンジャーという名立たるクリーンナップを4者連続三振にしとめるなどの好投を見せた。

彼は、1944年12月2日、陸軍伍長として3度目の応召中に、乗船していた輸送船が台湾沖の東シナ海でアメリカ潜水艦シーデビルにより撃沈され、戦死、27歳であった。沢村は、「わしは、まっつぐ(まっすぐ)が好きや」を口癖にしており、妻にその言葉をよく言っていたと言う。1940年の暮れ、軍隊への入隊が近づいていた弟に、手紙で「人に負けるな。どんな仕事をしても勝て。しかし、堂々とだ。苦しい、そして誰にも言えない事はこの俺に言ってくれ。」と述べたという。

(日本映画/東宝 モノクロ 105分)





「cast」
池部良 (沢村栄治))
司葉子 (米井優子))
清水将夫 (米井徳造))
滝花久子 (米井孝子))
北沢彪 (米井光雄))
笠智衆 (藤本監督))
千秋実 (内堀捕手)

  ■スペーサー
「staff」
監督:鈴木英夫
製作:佐藤一郎
脚本:菊島隆三
撮影:中井朝一
美術:北辰夫
照明:森茂
音楽:斎藤一郎



 93 波の数だけ抱きしめて (1991)  

DVD
"You're Only Lonely"
ストーリーは、1991年11月、9年前に湘南で青春時代を過ごした旧友の小杉(織田裕二)、芹沢(阪田マサノブ)、裕子(松下由樹)、吉岡(別所哲也 )の4人が、東京の教会で行われた真理子(中山美穂)の結婚式に集まった。式の帰り、小杉と芹沢はクルマを飛ばして長柄のトンネルを抜け、134号線を茅ヶ崎に向かう。映画は回想シーンからフラッシュ・バックされて1982年5月、大学4年生の小杉、芹沢、裕子、真理子の4人は、バイト先のサーフ・ショップを拠点にノンストップ・ミュージックのミニFM局"Kiwi"を運営している。彼らは学生生活最後の夏休みに何か大きなことをやりたいと無線マニアの芹沢の発案でFM局を始めたのであった。

彼等は自分たちのFMが湘南じゅうの海岸で聞けるようになることを夢見、真理子のDJとしての才能は不可欠であった。だが、彼女はロスアンゼルスに住む両親から航空券が送られていて、7月にはロスの大学に編入しなければならなく、小杉に引きとめて欲しいと思っている。併し、シャイな小杉は、大事な話があるんだとは言えても、断られるのを恐れ、「好きだ」の一言が言えないのである。

ある日、広告マンの吉岡が、湘南の海岸でFM放送局を知り真理子に夢中になる。やがて、彼はFM放送局のサービス・エリア拡充計画を知り、一緒に遊ばせてくれと、中継局作りに積極的に協力しはじめる。そして"Kiwi"は二人の男の真理子への思いをエネルギーにして、国道134号線沿いに江ノ島方向へ急速に伸び始める。そんな時、吉岡は会社の上司から専売公社が森戸にひと夏オープンするアンテナ・ショップで行うイベントの企画を命じられ、茅ヶ崎から森戸まで湘南の海辺をカバーするFM放送局「FM湘南」の設立を提案し、"Kiwi"は森戸を目指してさらに伸びていく。

出演者

吉岡は真理子に9月までアメリカ行きを延ばすよう頼むが、真理子もそれを了承する。7月、中継局が葉山まで伸び、いよいよ明日はスポンサーが本放送を聞きにくるという晩、小杉は真理子にアメリカへは行くな!と本心を打ち明けようと、真理子に大事な話があるんだと言うが、真理子は、吉岡と約束して出掛けてしまう。彼は彼女の気持ちが完全に吉岡に移ったものと誤解してしまう。一方、真理子も小杉に思いを寄せていた裕子が小杉と抱き合っているのを目撃して、深く傷つきアメリカへの旅立ちを決心する。芹沢と裕子は、真理子と小杉の仲を取り持つ為、放送を犠牲にして、小杉の「愛してる」という言葉を電波に乗せ、真理子の車に届けようとする。だが、この放送が失敗すれば吉岡は会社をクビになる。悩んだ末だが、小杉はマイクに向かう。だが、真理子のクルマは長柄のトンネルに入ってしまい、電波は届かず、その思いは伝えられなかった。

Click Here!
<1991 Oscar Winners(v 2.0)>




この作品は、湘南を舞台に、田中真理子(中山美穂)は、都内のミッション系大学に通う女子大生で、茅ヶ崎のサーフ・ショップで小杉、裕子、芹沢とともにバイトしているが、大手商社のロサンゼルス支店に赴任している両親の元へ転居しようとしている。

小杉正明(織田裕二)は、高校時代から真理子のことが好きだが、なかなか告白出来ないでいる。芹沢良明 ( 阪田マサノブ)は、自作のミニFM送信機を作る無線マニアで、高橋裕子(松下由樹)は、田中、小杉、芹沢の高校時代の同級生で、バイクや車の運転が下手だが、小杉に想いを寄せている。吉岡卓也(別所哲也)は、大手広告代理店に勤務し、愛車のVWビートル・カブリオレでデートしているが、砂浜に車輪が埋もれ、ミニFMでDJをしている真理子に助けられ、一目ぼれしてしまう。そんなとき、吉岡は勤務先で専売公社の湘南キャンペーン企画を茅ヶ崎のミニFMと結び付けようとする。

親しい仲間たちが、学生生活の最後の夏休みに胸を膨らませ「ミニFM局"Kiwi"」のサービス・エリアの拡充に取り組んでいくという熱意が心に迫り、彼らのひと夏の夢と恋を、湘南の潮風と波を舞台に心地よいユーミン・サウンドにのせて、小杉の失恋でエンドとなるも、何か清清しいものを感じられ懐かしくも新しい青春映画である。劇中のミニFM局"Kiwi"は、実在の"FM Banana"のコンセプトをベースにしたもの。

松任谷由実の音楽は、心地よく、「心ほどいて」(アルバム「LOVE WARS」収録曲)、「Valentine's RADIO」(アルバム「LOVE WARS」収録曲)、「SWEET DREAMS」(アルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」収録曲)、「真冬のサーファー」(アルバム「流線形'80」収録曲)などが使われたほか、J.D.サウザーやネッド・ドヒニーなどのAORナンバーが流れたのも話題となった。

サウンド・トラックは、ソニー・ミュージックエンタテインメントから1991年8月23日から発売され、映画で流れる10曲をフィーチャーしている。

1.J.D.サウザー / ユア・オンリー・ロンリー
2.TOTO / ロザーナ
3.バーティ・ヒギンズ (en:Bertie Higgins) / キー・ラーゴ
4.ネッド・ドヒニー (Ned Doheny) / 愛を求めて
5.ジョージ・デューク (George Duke) / シャイン・オン
6.ジェームズ・テイラー & J.D.サウザー / 憶い出の町
7.シェリル・リン (Cheryl Lynn) / イン・ザ・ナイト
8.カーラ・ボノフ (en:Karla Bonoff) / パーソナリィ
9.ラリー・リー (en:Larry Lee) / ロンリー・フリーウェイ
10.バーティ・ヒギンズ / カサブランカ

(日本映画/東宝配給 モノクロ/カラー 104分 )





「cast」
中山美穂
織田裕二
別所哲也
松下由樹
阪田マサノブ
勝村政信
ベンガル
  ■スペーサー
「staff」
監督:馬場康夫
製作総指揮:村上光一 、堀口壽一
製作:三ツ井康、相賀昌宏
プロデューサー: 河井真也 、茂庭喜徳
脚本:一色伸幸
原作:ホイチョイ・プロダクション
撮影:長谷川元吉
美術:山口修
照明:森谷清彦
音楽監督:杉山卓夫
音楽:松任谷由実
録音:中村淳
編集:冨田功
助監督:冨永憲治 スクリプター/記録: 笹田和俊



 94 青春デンデケデケデケ (1992)  

DVD
"Movie Scene"
ストーリーは、1965年の春休み、香川県、観音寺市に住む高校入学を目前に控えた藤原竹良(林泰文)は、昼寝の最中にラジオから流れてきたベンチャーズの曲「パイプライン」の“デンデケデケデケ〜”にまさに電撃的な衝撃を受け、高校に入ったらロックバンドを結成しようと心に誓うのである。浄泉寺の住職の息子、合田富士男(大森嘉之)は、ベース、ギターの得意な白井清一(浅野忠信)は、リードギター、ブラスバンド部の岡下巧(永掘剛敏)は、ドラムと、そして、自分はサイドギター兼ボーカルと4人のメンバーが揃った。

各自それぞれ夏休みにアルバイトでお金を稼ぎ、念願の楽器を購入し、バンド名も「ロッキング・ホースメン」と決まった。こうして本物の電気ギターの音が初めて町にこだまするのであったが、手製の管球アンプを作ってくれた谷口静夫(佐藤真一郎)の協力もあり名誉メンバーということで加わった。河原での合宿も首尾よくいき、学内での活動も認められ、女子生徒たちの人気の的にもなり、そしてスナックの開店記念パーティで念願のデビューしたが、ロックバンドに明け暮れる高校生活はあっという間に過ぎていき、顧問の寺内先生(岸部一徳)が急死するという出来事もあったが・・・。

Click Here!
<1992 Oscar Winners(v 2.0)>




ポスター



この作品は、1960年代、四国の田舎町を舞台に、ベンチャーズに憧れ、ロックバンドに情熱を燃やす高校生たちを軽快に描く青春ドラマで、第105回直木賞を受賞した芦原すなおの同名小説(河出書房新社刊)の原作を元に映画化したもので、映画は、バンドの最後の演奏となった高校3年の文化祭も、大成功の内に幕を閉じ、卒業が近づく。

東京の大学へ行こうとしている不安定な気持ちの藤原竹良を、バンドの仲間たちが、頑張れよ、終身バンド・リーダーと励ましてくれ、恋や友情の熱い思い出と、愛しい歌の数々を胸に、竹良は東京に向かっていくという青春映画で、特別出演するベンチャーズの「パイプライン」をはじめ、60年代のロック・ミュージックが全編に散りばめられている。

(日本映画/東映配給 カラー 135分)





「cast」
林泰文
大森嘉之
浅野忠信
永掘剛敏
佐藤真一郎
柴山智加
滝沢涼子
岸部一徳
ベンガル
  ■スペーサー
「staff」
監督:大林宣彦
製作:川島國良、大林恭子、笹井英男
プロデューサー :大林恭子、小出賀津美、福田慶治
脚本:石森史郎
原作:芦原すなお
撮影: 萩原憲治、岩松茂
美術:薩谷和夫
照明:小熊良洋、秋田富士夫
音楽:久石譲



 100 ブタがいた教室 (2008) 

DVD
"Movie Scene"
ストーリーは、6年2組担任の新任教師、星(妻夫木聡)は、教室に1匹の子豚を連れてきた。卒業までの1年間、その豚を育てて、大きくなったらみんなで食べようというのである。星の提案に、教頭の仁科(大杉漣)は苦い顔をするが、併し、生きているものを食べるということの意味を体で感じてもらいたいという星の熱意と覚悟に負け、高原校長(原田美枝子)は学校で豚を飼う許可を出すのであった。やがて、6年2組の生徒たち26人は、全員で校庭の隅に小屋を作り、当番を決めて「Pちゃん」と名付けた子豚を飼いはじめる。池沢先生(田畑智子)のクラスが育てているトマトをPちゃんが食べたり、生徒の母親たちが豚を飼うことに反対したりと数々の問題が発生するが、クラス全員が協力してPちゃんの世話をし、時には一緒に遊んだりして楽しい日々を過ごしていった。

夏休みも終り、卒業まで4ヶ月となった頃、6年2組の中ではPちゃんを食べることに反対する意見が増えていた。Pちゃんをどうするか、クラスのみんなは、一生懸命に考え、様々な意見を出していくが、食べるか食べないかの結論は決定しないまま卒業が近づき、迎える卒業式、クラスを二つに分けた涙の激論の中、26人の子供たちと星が最後に決断することになったが・・・。

Click Here!
<2008 Oscar Winners>




出演者



この作品は、星先生の提案に6年2組の生徒たちは騒然となるが、やがて、校庭の片隅に小屋を作り、掃除、エサやリなど生まれて初めての経験に戸惑いながらも、成長してゆくブタに愛着を抱き、Pちゃんと名づけ、家畜ではなくペットとして慈しむようになる。だが、卒業の時は迫り、Pちゃんを「食べる」「食べない」で教室を二分する大論争が巻き起こるのである。

1990年7月から1992年3月の2年半にわたり新任教師の黒田恭史が大阪、豊能町立東能勢小学校で実際に900日間にかけて行った授業を基にし、1993年7月13日にはフジテレビ系の『今夜は好奇心!』の中で放送され、賛否両論を巻き起こした。

映画化により実際とは若干の変更もあり、舞台を大阪から東京に移したり、児童数も32人から26人に減らしたり、900日を1年にしている。台本は大人用と子役が使う子供用の2種類が用意され、大人用には結末までが書かれているが、子供用にはせりふも結末も何も書かれていない白紙のものしか用意されていなかったと云う。前田哲監督によると子供たちには演技ではなく、素直な気持ちでありままの姿で議論して自分たちで答えを見つけてほしいとの思いから台本を配らなかったとのことである。まさしく、このように子供達が、ある課題について自由闊達に、自分たちの思いのままに意見を交わすことは、極めて重要なことで、このような教育の姿勢は素晴らしいと思われる作品である。

第21回東京国際映画祭「コンペティション部門 観客賞」を獲得。

(日本映画/日活配給 カラー 109分)





「cast」
妻夫木聡
大杉漣
田畑智子
池田成志
甘利はるな
  ■スペーサー
「staff」
監督:前田哲
エグゼクティブプロデューサー:馬場清
企画:西谷清治
製作:佐藤直樹、堀田学、大月のぼる、喜多埜裕明
脚本:小林弘利
原案:黒田恭史
撮影:葛西誉仁
美術:磯見俊裕
音楽:吉岡聖治